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るるの日記

なんでも書きます

巫女の歴史・多くの百姓女子を巫女にし妾とした神主

2021-02-18 13:18:15 | 日記
巫女が遊女に転身していく要素は原始巫女時代から存在した
三輪山型神話でも山神を迎える巫女(たまよりひめ・せせたたらひめ)は神霊が憑依するばかりでなく神妻となって神の子を生誕している

平安期「出雲の国造、神事につけて多くの百姓の女子を娶り妾となすを禁ずる」
中央から遠離する出雲大社、宗像社においては、神社の巫女が国造神主の妾化。これは国造神主の政教権力を乱用したものとして禁制対象

妾化した巫女は神霊に霊魂を捧げる以上は神主に身体を預けることも承知し、あるいは積極的に生活の手段とする者もいた

巫女の歴史・巫女に人霊を憑依させる時、同時に氏神が存在する

2021-02-18 13:01:57 | 日記
巫女は本来、神が憑依し託宣するが、平安中期に巫女に要求されたのは人霊の憑依。共に神宣を請うてその憑依した人霊の虚実を決した

巫女の宇宙観に天・地・下界の三区分あり、三神一組の神観である
巫女に降下する神霊には氏神的性格が強い。入神憑依の際には神樹や打楽器・琴が必要

口寄せに神語がでるのは、神話時代のウケヒ(誓約)儀礼が存在するからである
口寄せで人霊を招魂する目的で巫女儀が行われたとしても、神事であるので、氏族神の存在を予測してその神意によって正偽を判断する。その際悪霊の憑依やもののけを神霊によって祓う意志がはたらく

巫女の歴史・後白河院の一世の師・傀儡目

2021-02-18 12:39:02 | 日記
平安後期。中央⇔地方の政治、経済、芸能、宗教などの伝播現象は、古代巫女の末裔・歩き巫女が各地に移動することでもたらした

平安後期の巫女の行方
※呪人形を使う巫女の変身・傀儡目(くぐつめ)
※古代のまま神社に土着し御子神に奉仕する巫女
※巡行する歩き巫女
(琵琶法師、田楽法師、猿楽は
巫女系芸能を津々浦々にもたらした)

その中心は今様
今様の集大成者・後白河院に、今様の大曲を伝授したのは乙前
後白河はこの遊行巫女傀儡目老女を一世の師として仰いだ

巫女の歴史・芸能集団や遊女へ

2021-02-18 12:16:15 | 日記
律令時代、国教たる神祇制・仏教の隙間をぬってしばしば託宣し、朝野をおどろかした巫女も、中世には凋落し芸能集団として再生した。だがそれはたんなる転業ではなく、平安期の「御霊会」という集団芸能の型を受け継いだものである

かつて古代巫女たちが、琴によって神語託宣した「語りごと」の世界は、琵琶を抱いて平家を語る「琵琶法師の軍記物」の舞台に変化

それら男系の芸能に圧されて、遊女化した巫女たちは公武の間をさ迷い社寺の宗教芸能に身を寄せ、歩き巫女たちは後に歌舞伎などをもうんでいく

巫女の歴史・志多羅神の巡行歌舞集団祭礼

2021-02-18 12:00:02 | 日記
■志多羅神という宗教運動は巡行する信仰集団。古き巫祝教と大衆を動かす歌舞を持った芸能集団祭礼
(しだら→拍手の意味もある、手を打つことは巫儀の重要要素)

■945年7月28日~8月1日、東西諸国から諸神、無名の巫女は堂々入京し一大集団行進を行った

「川辺郡の方より数百人、神輿をかつぎ弊を捧げ持ち、鼓を打ち、歌舞羅列し当郡に来す。道俗男女、貴賤、老少、かの日朝より明暁に至るまで市を成し、その歌舞は山を動かす。ついに歌遊の前後を囲繞する輩数千万人にいたる」
大群衆は自らのおもむくままに歌い舞った

この時の歌は「わざうた」。巫女が憑依して歌う神語の呪歌。皇極天皇以来300年の系譜を伝えている

■大化以前から北九州は巫祝信仰が盛ん
奈良期→宇佐八幡を中心とした巫祝基地
平安期→天満天神の託宣と九州大宰発祥

■志多羅神という律令神祇制から逸脱した諸神、いわば「令外の神」の活躍は、西国から巡幸し京都へ入京する。(原始信仰の型)

■九州土着の巫祝らの宗教活動は、古き八幡信仰と新しい天神信仰と癒着し、中央朝廷に迫った