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るるの日記

なんでも書きます

命・人・この世・霊界は同時に産まれ1セット。命と人の相互作用の場がこの世。命だけの場が霊界

2021-07-06 09:40:47 | 日記
■「私がこの世に生まれる」とは何か?
自分が生まれる前から存在しているこの世へ、母親から産み落とされる。それが「私がこの世に生まれる」であり、私が死んでこの世を去ってからも、この世は何事もなく展開される。。という見方をすると無意味なこの世だと思う。私は人として生まれ、この世限りの数十年の命を生きて死ぬ、そこには何の意味もない

■もう一つの見方
私は悠久の昔からこの世とともに産まれ落ち、常にこの世とともにあり、命を全うし満ち満ちている。母親から産み落とされたのは、人としての私だけど、物心がつくまで、満ち満ちて全うされていた

物心ついて年を重ねるにしたがって分別心がつき、「私の思い(自我)」が生まれた。それでも常に満ち満ちて全うする展開は存在しつづけるが、物心つかないうちだけの安住感覚。人としてこの世で生き抜くためにその感覚は忘却されるのが人としての宿命である

■なぜ安住する世界から私は人として生まれたか?それは何かに成るためである。私の命はこの世とともに常にあるが、何かに成るために、私の命は人として生まれ死ぬという展開もする。何かに成るためには人として生まれ死ななければならない

命に感覚はないけど、あるとすれば心地よい眠りの世界。常にありのままで満ち満ちて全うされた不動心で眠る。だけど命ありのままでは、何かに成れない。なぜなら因縁なく、常であり、我の循環という世界で、楽を循環し常に等しい世界だから
それが命の世界
命そのものは何かを生かすが、何かに成れない。変化しない。だから命は人を経由して変化し何かに成る

■命は人が生かす
人は命の細胞のようなもの
生まれては消え
消えては生まれ
命を生かす
人は命を生かし、命を何かに変化させるという重要な働きをする。人が滅亡すると命とこの世も存在意味がなくなり元の元の元の、、原点の無となる



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