■1941年12月1日の御前会議にて、アメリカ、イギリス、オランダとの戦争開始は決まった
12月8日、航空母艦から飛び立った日本海軍・航空隊は、ハワイの真珠湾に停まっていたアメリカ艦隊と飛行場を、突然襲った。そしてこの日、アメリカとイギリスに対して宣戦布告した
■日本はこの戦争を【大東亜戦争】と名づけた。日本は半年間で東南アジアのほぼ全域を押さえた
「アジアは1つだ。日本が中心になって、アジアの国は植民地支配をぬけだし、協力して栄えなければならない」という大東亜共栄圏の理想を旗印に、日本は占領地域の開発にのり出した。しかしこれは、それまでの欧米諸国にかわって、日本がアジア支配することと同じだった
アジア各地で、日本が欧米にかわって侵入すると、抗日運動が激しくなった。中国、インドネシア、インドシナに抗日運動が高まり、植民地支配から抜け出そうとする民族運動になっていった
★新聞やラジオが戦争の動きを国民に知らせようとする時、そのニュースは、すべて大本営(陸軍報道部・海軍報道部)の許可が必要だった。新聞のトップニュースは、いつも大本営が発表した大勝利の記事で一杯だった
ミッドウエー海戦で日本海軍は、航空母艦4せき、巡洋艦1せき、多数の航空機を失ったが、大本営は日本が勝ったように発表した
■アメリカでは日本海軍の真珠湾奇襲によって、世論は「真珠湾での仕打ちを忘れるな、日本と戦え」に統一され、世界の国々は、日本・ドイツ・イタリアなどの枢軸国と、アメリカ・イギリス・ソ連・中華民国などの連合国の2つに分かれて戦うことになった
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