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るるの日記

なんでも書きます

陰陽両極の美

2022-05-09 15:31:19 | 日記
晩秋は、春の花の艶やかさもなく、秋の紅葉の美しさもない。ただススキが風にたなびく。枯れきった大自然の行き着いた陰の極である。

同時に、これから動き出そうとするパワーをはらんだ静止の境地、陽の始めである。

それらはまったく紙一重。背中合わせにある両極。

静止中には新たな何かを秘め、すでに未来の方向性は決まっている。
時至れば発し、時至れば枯れるのみ。

利休の師匠・武野紹鴎は、枯れきった大自然の風情こそ、本当の侘びの世界であり、そこに茶の境地があると求めた
「見渡せば、花も紅葉も、なかりけり、浦のとまやの、秋の夕暮」という藤原定家の一首は、武野紹鴎が徹底した世界である

利休はこの一首に込められた世界を足場に、さらにこの消極的な世界から抜けだし、生命あふれた侘びの世界に生きようとした
「花をのみ、待つらん人に、山里の、雪間の草の、春を見せばや」という藤原家隆の一首を挙げ、利休はこの歌の心こそ侘び心そのもの、茶道の最高の美の世界であるとした

そして侘び寂びの本質、これこそ茶の心であると一首の歌を挙げた
それはやはり
「見渡せば、花も紅葉も、なかりけり、浦のとまやの、秋の夕暮」
という一首である

つまり、二極点の融合と、それによって誕生したのが、美的判断基準である。それを侘び寂びというのである
この両極を持たねば茶道は成り立たない。茶道はこの広大無辺な大きな場を歩む大道。それは頂上も見えなければ、終局も知らない無限の大道。自ら師を求め、心にそのよりどころを求め、捨て身になって修行し、実践して、はじめて道がつけられるのである。それは芸とか術といったものではなく、私ども自身で築き上げあげる道そのものなのである。

過去から今の刹那→静止し方向性は決まる→未来の結果

2022-05-09 14:41:24 | 日記
弓道で、矢がまさに弦を離れようとする、その一瞬の静寂を
「会(え)に入る」という。

満に引き絞った矢の発するその刹那の状態には、過去から今までの修練(準備)の一切を秘め、同時に今から未来に起こる一切の結果までの、一瞬静止した瞬間で、エネルギーの方向性が定まる瞬間。それは自分が定めるのではなく、自我を越えた無我の境地が定めてくれる(他力のはからい)。あとはお任せな楽な気持ちでしょう。つまり結果へのこだわりが消え、どうでもいいわ!といった楽な気持ちなんでしょう。





梅の気高い可愛らしさ

2022-05-09 14:12:42 | 日記
寒い冬の苦しさに耐えてきた梅が、春雨にあって、固く閉ざしていた蕾を開く。梅はどこかに気高さをただよわせながらも、そよ風が吹くとふくよかな梅の香を伝える
梅は寒い冬の困難を闘い抜いてここまできた。人間の人生も同様である。捨て身で困難と闘ってこそ、その人生に威容を備えることができる。媚びることなく、いつも穏やかで他人を落ち着かせ、必要とあれば他人に厳しくできる人のその裏には、そこまでに至る厳しい修行の成果が秘められているのである

目の前に美しく実っている果実だけに目を奪われることなく、その前提にある結実までの過程を察しましょう。

待てる空間「待庵」

2022-05-09 13:17:18 | 日記
■待たねばならない。待ちきれず苛立つだろうが待たねばならない時がある。
利休は心静かに大切な時を待つ茶席を造った。庵号は「待庵」

茶席は二畳。客は一人二人招く。
縁側はいらない。障子戸もつけない。外の景色は見えない方がいい。見えない方が気持ちが落ち着く。

光をとる窓は二つ。正面の窓は大きめにし、竹の格子戸にする。景色を見なくても光があれば、空の向こうに心は馳せられる。

出入り口は腰を折って入るほどの大きさの潜り戸(約66センチ)で左に引く。潜り戸からは正面に四尺幅の室床があり、奥行きが感じられる。

天井は低い空間だが、部分的に屋根と同じ勾配をつけ、広がりを出している
壁は荒い藁すきの土壁。ほのかに青く見えるのは墨を薄く塗ったからだ。

窓からの光は柔らかく穏やかで、しっとりと潤いがある。その光が畳に映え、薄墨色の壁に吸い込まれていく。聞こえるのは風の音ばかりだ。風は外の松の枝をさざめかせる。松風は心をやさしく撫でる。
狭くとも心落ち着かせるしつらえの空間である。

■利休はこの待庵に秀吉を招いた。床の間には軸を掛けず、花を活けず、うつろなままにしておいた。秀吉は肩を下げ、背を丸めてすわっていた。眼にはくまができている。どうやら眠れない日々が続いているようだ。。無理もない。。ここがこの男の踏ん張りどころなのだ。手の届くすぐそこに、天下が転がっている。やり方さえ間違わねば、それがつかめる
焦らず時機を待つことだ。待っていれば必ず時機がおとずれる

■秀吉は酒を飲む気分ではないようだ。難しい顔で何かを考えている。
利休は裏の調理場にひっこみ料理人に言った。「あれを先に出そう。焼いてくれ」

秀吉は料理が出てくるのを待っている。遅くなれば腹を立てるだろうが、それでもかまわない。釜の湯の音と、風の音を聴いていればいい。待っただけのものを食べさせてやる。

風が冷たい。北国街道では待てば必ず雪は降り深く積もる。北国街道は雪で閉ざされる。その時こそ秀吉の出番なのだ。

■竈から香りが立ち上がった。
焼きあがったものを、半分に割った竹に入れ、もう片方の竹でふたをし、二畳の座敷に運ぶと秀吉は「おそいぞ!」と叫んだ。

利休は「旬よりずっと早いものをお持ちしました」と言って、焼きものを入れた竹の器を置く。秀吉は面白くなさそうにふたをとった。中には焦げた板が入っていた。秀吉が板を結んである藁をほどくと、鮮烈な香りが広がった

「筍か、、、」
焼いた筍を箸でつまみ、秀吉はけげんな目つきで見つめた。「なぜ冬に筍がある?」

利休
「寒筍でございます。陽だまりでは、冬を飛び越えて春が来ております」
竹藪の陽だまりを見つけ、炭の粉で黒く染めたむしろで覆っておくと、地中が温もり、春と間違えた筍が顔を出したのだ。

秀吉は筍を口に入れると、顔がほころんだ。「思いがけぬ珍味だ」

利休「時は思いもよらぬ早さで駆け巡っております。お心ゆるりとお待ちなさいませ。何ほどの長さでもございません」

秀吉は杯を手にとった。
利休は酒を注ぐと、三杯たてつづけに飲んだ
「腹が減った。飯を食うぞ」
秀吉が飯を食べ薄茶を飲むと、ごろりと横になった
「家宝は寝て待つべし。ひと眠りしよう」

利休は両手をついて頭を下げ、襖を閉めようとすると、秀吉から声がかった。「おまえは極悪人だな。筍を騙すなど、極めつきの悪党だ」

利休は「ありがとうけなざいます。お褒めの言葉と思っておきます」今一度頭を下げ、利休は静かに襖を閉めた


何でもない些細なことが、利休の手にかかると特別になる不思議

2022-05-09 10:32:31 | 日記
■利休は三畳の茶席を建てた
屋根は茅葺き。壁には青茅が編んである。
大きな松陰にあり、日盛りでも涼しい。昼寝でもしたくなるような夏らしい茶室である。
海に近く夜明けの風がさわやかだ。いっせいにひぐらしが鳴く。
ここは極楽か、、?
腹の底から麗しい気持ちがわきあがってくる。不思議なことだ。

■利休のしつらえる茶の席にすわると、どういうわけか、そこはかとない生の慶びが、静かにこみあげてくる。
ただ四本の細い柱を立て、茅を葺くだけのことなのに、利休が差配すると、屋根の傾きも、軒の具合も、席から見える風景も、実にしっくりと客の心になじみ、すわっているだけで、今このときに生きていることの歓びが、しっとり味わえる。

ほかの茶頭とは何かが違う。利休の茶の席は、どこかがはっきりと違っている。しかし、さて、その違いが何なのかよくわからない
利休のしつらえる席は、、あくまでも自然でありながら、つい吸い寄せられるだけの色香さえ漂っている。それはいったい何なのか、、

柱の花入れには、すすきと益母草の花が活けてある。なんでもない野の草花が、利休の手にかかると命の息吹をもって力強く立ち上がってくる。利休は何をどうやらせても、物事の本質をしっかり握りしめている。

■利休が姿を見せた。
一礼して席に上がる。
手をついて今一度深々と頭を下げた。「おはようございます」

点前座にすわった利休は、持ってきたざるの布巾をとると、ざるには黄色い瓜が一つのっていた。

利休は菜切り包丁で瓜の皮を厚く剥いて、半分に割って種を除き、濡らした葉蘭に二切れのせて客の前に置いた。

客は思った
「甘い瓜だ。いま畑でもいだばかりだろう。わざとらしく冷やしてないのが気にいった。瓜はもぎたてが馳走か、、ほのかな甘味が滋養となって全身に染み渡る」

つぎに利休が小さな竹籠を差し出した。中には菓子が入っている。「おこしこめ」といって、炊いた米を水で洗って乾かし、茶色くなるまで炒って、甘い汁でかためたものだ。茶の前の口直しだ