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『「南京事件」発展史』への批判 (1)

2007-02-13 23:00:16 | 考察
今年の1月、南京事件研究会会員にして日本「南京」学会理事事務局長である冨澤繁信の新著、『「南京事件」発展史』(展転社、以下『発展史』と略記)が刊行された。南京事件否定派の近年における主張をよく代表する著作と思われるので、以下数回に分けて検討する。今回は本書が依拠する基本的な枠組みについて。個別論は次回以降。

『発展史』が描こうとする構図は目次で第一篇「「南京事件」発展史 それは宣教師との争いから始まった」の小見出しをみるだけでもおおよそ把握できる。

はじめに
一、「原初的南京事件」
二、「ベイツ南京事件」
三、「東京裁判南京暴虐事件」
四、「朝日新聞南京大虐殺事件」
おわりに

すなわち、『南京安全地帯の記録』に収められた資料が物語る「原初的南京事件」=「南京安全地帯の事件」がベイツ、連合国(マッカーサー)、朝日新聞/中国共産党によって利用され、「五十三人の殺人事件」が「三十万人殺害の事件に捏造拡大」された、というのである。
『発展史』のこうした構図の奇妙さは、「南京安全地帯の事件」が「原初的南京事件」として極めて恣意的に位置づけられている、というところにまずは存する。たしかに国際安全区委員会がまとめた文書は 1) 安全区委員会の欧米人たちが当時有していた認識の一部を反映しており、2) 日本政府、軍中央が南京の日本軍の軍紀について知るうえでの重要な情報源となっており、3) 後の軍事裁判でも証拠としての役割を果たした。しかしながら、『南京安全地帯の記録』が当時南京市およびその近郊で起きていた出来事の全貌をカバーしていないことはいうまでもない。「原初的南京事件」と呼ぶべきものがあるとすれば、それは当時南京およびその周辺にいた人間たち(日本軍将兵、日本人外交官、中国軍将兵、中国市民、南京に残留した欧米人)がそれぞれ自ら体験するか伝え聞いた、断片的かつ多様な出来事の総体でなければならない。人間が自ら体験することのできる出来事の範囲は限られている。個人が直接体験可能な規模を越えた出来事についての認識は、月日が経って情報が統合・整理されるにつれて変化して当然である。しかるに、『発展史』はそうした変化を不当だというのである。

すでに紹介したように、幕府山での捕虜殺害に関わった山田支隊の将兵たちは自らの体験、見聞を陣中日記等に記していた。そうした体験、見聞はなぜ「原初的南京事件」から排除され、『南京安全地帯の記録』はなにゆえ特権的に「原初的南京事件」を構成するものとされるのか? それは『発展史』が南京事件の「発展」の各段階に、何者かの何らかの「意図」を見いだそうとしているからである。例えば「原初的南京事件」は「アメリカ人宣教師たちの安全地帯を中心とする南京の行政権確保のための道具だった」とされる(29頁)。なんとも穿った見方である。欧米人たちが「行政権」を確保したとしてそれが彼らにとっていかなる利益を生むのであろうか? 安全区に集まった難民たちの生命・財産の保護を可能にすること、以外のなにものでもなかろう。しかしそれはそもそも安全区が設定された際の目的なのである。その目的を達成するべく活動したことが、あたかも一種の陰謀であるかのように語られているのである。

(…)その後の調査で、現在の「南京特別市域」には近郊五縣を含むことが分かったので、「南京事件」とはこの「特別市域」の中で起こった事件であり、時間的には日本軍が、上海を出発してこの「特別市域」に入ったときからである、と言い出した。
(27頁)

否定派の文献にしばしば登場するこのレトリックも、情報の恣意的な利用によって成立したものである。「現在の」という一語によって、あたかも「近郊五縣」は当時南京とは無関係の場所として認識されていたかのような印象を与えようとしているわけだが、スマイスによる調査がその「近郊五縣」を対象として含んでいる(「農村調査」、なお調査を実施できなかった地域もある)ことは無視されてしまっている。実際には安全区内で起こったこと・城内で起こったこと、城壁周辺で起こったことを、「近郊五縣」で起こったことと結びつけて概念化する認識は、すでに1938年春の時点で存在していたことを示す資料であるから、無視せざるを得なかったのであろう。

(続く)

南京事件否定派の最近の動向について、参考→http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20070213/p1

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2 コメント

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TBありがとうございます (anemonefish)
2007-03-01 22:44:01
(1)(2)拝見しました。続編楽しみにしています。
Unknown (ziebzig)
2007-03-04 00:23:35
anemonefishさん、コメントありがとうございました。
28日から書きはじめたエントリをようやく先ほどアップロードできました。まだまだ先は長いですが。