保阪著の『検証・昭和史の焦点』(文藝春秋)の第七章、「トラウトマン工作、内幕のドラマ」において紹介されている逸話。著者はトラウトマン工作を中国側がどのように捉えていたか、という関心をもって当時蒋介石政府の政務担当責任者であった陳立夫に対し、1990年にインタビューを行なった。
陳によれば、蒋介石と打合せのうえで「根本の思想を大胆に変えなさい」と日本に伝えるよう、トラウトマンに述べたというのである。「根本の思想」を変えるとはどういうことか? インタビューによれば日独中が大同団結し、三国が共に「人類の敵である赤と白の帝国主義と戦う」べし、というのである(白の帝国主義とはイギリスを指す。ソ連への駐留とイギリスの占領は行なわない)。陳の提案はリッペントロップに伝えられたが、ヒトラーがどう考えたかは分からない、という。
著者が「こうした事情はいまも史料では裏付けられていない」と評しているように、にわかには信じがたい構想であるし、いずれにしても日本側に提案されたわけではない。重要なのは、仮にそのような構想が提案されたとして「そういう戦略を日本のあの当時の指導者は理解する能力も度量もなかったであろう」という著者の評価である。いったい日中戦争の終結と戦後処理についてどのような構想を当時の指導者は持っていたのだろうか。「満蒙」、ついで華北の資源が日本の生命線と主張しながら独力で経済開発を行なう資力もなく、蒋介石を屈服させたところで傀儡政府に民心を引きつける理念と実がなければいずれ再び抗日運動の盛り上がりに直面するのは明白であろう。
陳によれば、蒋介石と打合せのうえで「根本の思想を大胆に変えなさい」と日本に伝えるよう、トラウトマンに述べたというのである。「根本の思想」を変えるとはどういうことか? インタビューによれば日独中が大同団結し、三国が共に「人類の敵である赤と白の帝国主義と戦う」べし、というのである(白の帝国主義とはイギリスを指す。ソ連への駐留とイギリスの占領は行なわない)。陳の提案はリッペントロップに伝えられたが、ヒトラーがどう考えたかは分からない、という。
著者が「こうした事情はいまも史料では裏付けられていない」と評しているように、にわかには信じがたい構想であるし、いずれにしても日本側に提案されたわけではない。重要なのは、仮にそのような構想が提案されたとして「そういう戦略を日本のあの当時の指導者は理解する能力も度量もなかったであろう」という著者の評価である。いったい日中戦争の終結と戦後処理についてどのような構想を当時の指導者は持っていたのだろうか。「満蒙」、ついで華北の資源が日本の生命線と主張しながら独力で経済開発を行なう資力もなく、蒋介石を屈服させたところで傀儡政府に民心を引きつける理念と実がなければいずれ再び抗日運動の盛り上がりに直面するのは明白であろう。