日中戦争スタディーズ

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某少佐「上官脅迫、上官侮辱、強姦、略奪」事件

2006-12-02 11:38:05 | 個別事例
「中支那方面軍軍法会議陣中日誌」(みすず書房の『続現代史資料6』に所収)の「処理事件概要通報 第一号(自昭和十二年十月三十日至同十二月三十一日」の最後に、凄まじい事例が記載されている。摘発例の少ない将校、それも佐官の犯罪である。予備役の輜重兵少佐、当時47才。この事例が示すように、後方の部隊による犯罪も少なくなかった。

処理罪名:上官脅迫、上官侮辱、強姦、略奪
犯罪の原因動機:(四)を除く外飲酒泥酔の結果平素の怒り易き性質度を増したるに由る (四)は慾心に駆られたるに因る
犯罪事実の概要:被告人は (一)出征途中昭和十二年十一月二日陸軍用船内に於て飲酒中所属隊長某大佐が被告の酒癖を慮り注意を与えたるに不満を感じ「自分は隊長と決闘する」等と暴言を吐き (二)上海に宿営中同月十八日宿舎に於て飲酒泥酔し隣室に居たる前記大佐に聞ゆるが如く「隊長は老耄して頭が変になって居る」等と悔慢〔ママ〕の雑言を吐き (三)松江に宿営中同月二十九日泥酔の上支那夫人収容室に至り強力を用いて五、六十歳の某女を姦淫し (四)同日時頃同所に於て避難民の空家数軒に立入り古文銭数百箇、軸物数十本、白木綿二反、絨毯一枚及硯二箇を公然奪取し凱旋の際持帰る目的を以て某主計少尉に託し上海に送付し (五)国宿営中同年十二月十五日飲酒泥酔し前記隊長の宿舎に接近して焚火を為し乍ら「隊長が何だ皆焼殺して遣る」等と暴言を吐きたり

殺人未遂が追加されてもおかしくない犯行である。この事件については、第十軍法務部の法務官、小川関二郎氏の日記にも繰り返し記述されている。

12月25日の日記、上砂憲兵中佐との打ち合わせについての記述。

(…)
次に某少佐暴行掠奪事件に付き同中佐に対し自分は 同事件は如何になり居るや 聞く所によれば相当悪質なるが如し 何れにしても十分調査研究して最後の処置を為すの要あるべし 斯かる事件は事重大なれば自分の立場として内容を明らかにし 適当の処置を採るにあらざれば職務上尽くすべき所を尽くさざる責を免れず 長官にも申訳なければ最後の措置を取らるる場合には十分連絡ありたき旨を求めたり
(…)

翌26日の日記から。

(…)
○松岡憲兵大尉午後6時頃来部打合せ、某少佐事件に対し大尉は曰く 上官を脅迫し強姦し掠奪物を内地に送り暴行数度に及ぶが如き幹部のものを不問に付するが如きは不公平なり 若し隊長に於て適当の処置を為さざる場合には自分は今後兵の事件を検挙せざるべしと
(…)

一般論として軍紀は兵に厳しく将校に甘い。この事件の場合、上官への脅迫、暴言があったがために事件が表沙汰になったわけであろう。松岡憲兵大尉の憤りが簡潔な文面からも伝わってくる。
ではこの事件は結局どのように処理されたのか。30日に某少佐の取り調べにあたり、年が明けた1月4日。

(…)
次で司令官官舎に行き参謀長も居合せ某少佐〔原文では一部伏せ字だがここでは「某」とした。引用者〕の事件に対する処置に付き報告す その結果尚一応同人を取調べ最後の決定を為すこととなり 直に宿営に帰り同少佐を呼出し殆ど半日に亘り 一、自覚の程度 二、覚悟 三、処分を如何なる程度に予想せしか 四、真の原因に付き同人は隊長に対する礼節の気持ちを欠き平常理性に合わせ満足せざるが為飲酒の結果理性が壊れたりと思う 又自分は十分に自覚して悔悟せざるべからざるものと思う 又それを為し得る自信あり 五、自分は凡て少くとも在隊中は対立観念を止め我侭を出さぬようにせよと命ず 六、是までは不行跡の結果等考えず遂に浮か浮かとして斯かることを為せしと 七、自分は今後酒は悪魔なりと思え 悪魔に心を引かるることはなかるべし 又悪魔に取憑かれざる様これを免るることに努めざるべからずと諭す 将来は酒に負けるなと戒む 八、在隊中は少なくとも禁酒は勿論のことなるが他を咎めず自分を捨つる覚悟なければ到底円満を期し得ざるべし 能く能く戒心の要あるべしと説く 九、結局この際が生死の境目なれば妻子のことを思い茲に生きることを考えざるべからず如何と諭す その他数項に亘り懇々と説き諭す 而して禁酒の誓紙を書かしむ 終止徹頭徹尾悔悟し絶対に禁酒を守るべしと 自分は観察しその他諸般の情状を参酌し不起訴に付し処置す 自分の努力に対し処置の是非は別として司令官よりは特に鄭重なる謝意の言を受けたり 今日は司令官の許に午前午後の二回も具に報告し一日中事件の為に要したり
(…)

お咎めなし、で一件落着である。実は年末の取調べの段階で、小川法務官は「同情に堪えざる点あり」という感触を得ていたのである。今日の感覚なら「上司への暴言はともかく、強姦と窃盗で不起訴とは」と思うところであるが、日記の記述からは主たる関心が上官への脅迫、暴言であることが伺える。軍ならではの価値観といえよう。

ところで、各種の資料から判断するに、泥酔した日本軍将兵の不祥事は頻発していたようである。徴発(その実態は掠奪)によって得た酒はいわゆる「タダ酒」であり、かつ深酒を咎められるような雰囲気でもなかったためかと思われる。


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4 コメント

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Unknown (1937-2007)
2006-12-05 22:41:32
この陸軍次官の通牒は東京裁判にも証拠として提出されていたはずですよね。

>なお、判決書には国側の主張もあるから面白いです。

こちらは初見でした。ご教示ありがとうございます。
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Unknown (pippo)
2006-12-05 18:02:03
年数は少し経ちますが、教科書検定第三次訴訟第一審の証拠ともなった、強姦の証拠です。どっかでお使いください。
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「南京大虐殺の研究」p81『南京攻略戦の展開』藤原章より
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強姦は、被害者となった女性に与える精神的苦痛ははかり知れないものがあり、それは生涯にわたって被害者を苦しめるものである。さらに事柄の性質上、被害者自身がその事実を公にしたがらないのも特徴である。したがって被害者からの強姦についての資料は、氷山の一角にすぎないものである。それにしても、日中戦争初期、とくに南京戦におげる日本軍の強姦は問題であり、日清、日露戦争期の日本軍と比較してもきわだっていたのである。

中国戦線における強姦の多発を示すものとして、一九三九(昭和一四)年二月、陸軍次官が関係陸軍部隊に出した通牒「支那事変地ヨリ帰還スル軍隊及軍人ノ言論指導取締二関スル件」があげられる。これは中国戦線からの帰還兵が、虐殺や強姦の事実を言い立てるのを取締るようにという通牒であるが、それに参考資料として添付された「事変地ヨリ帰還ノ軍隊・軍人ノ状況」には、強姦についての次のような帰還兵の露骨な言辞が記録されている。

・○○デ親子四人ヲ捕へ、娘ハ女郎同様二弄ソデ居タガ、親ガ余リ娘ヲ返セト言フノデ親ハ殺シ、残ル娘ハ部隊出発迄相変ワラズ弄ソデ、出発間際二殺シテ了。
・或中隊長ハ、「余リ問題ガ起ラヌ様二金ヲヤルカ、又ハ用ヲ済マシタ後ハ分ラヌ様二殺シテ置ク様ニシロ」ト暗二強姦ヲ教ヘテヰタ。
・戦争二参加シタ軍人ヲ一々調ベタラ、皆殺人・強盗・強姦ノ犯人許リダラウ。
・戦地デハ強姦位ハ何トモ思ハヌ。現行犯ヲ憲兵二発見セラレ、発砲シテ低抗シタ奴モアル。
・約半歳二亘ル戦闘中二覚エタノハ強姦ト強盗位ノモノダ。
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なお、判決書には国側の主張もあるから面白いです。
http://www.hiraoka.rose.ne.jp/C/t891003tky.htm
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Unknown (1937-2007)
2006-12-03 00:36:48
pippoさん

もうちょっとましなHNを考えねばなりませんね…。

旧ソ連時代のアネクドートじゃありませんが、まさか「国家機密漏洩罪」で取り締まるわけにもいかないので「造言飛語」となるんでしょうね。
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Unknown (pippo)
2006-12-02 21:21:21
道草ですが・・・・
造言飛語の例とあるがおそらく実際に起こったことでしょう
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中公新書1218 北博昭著 「日中開戦」
軍法務局文書からみた挙国一致体制への道
p155-156
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造言飛語は一般杜会だけでなく、軍隊内でもあった。十五年十二月十二日、支那駐屯憲兵隊司令官矢野音三郎中将は第百十師団長飯沼守中将に、同憲兵隊司令部の作成した「出征軍人軍属の思想状況」を送付した。同年七月から九月にいたる間の報告書で、同じものは同師団以外の北支那方面軍下の軍と直轄師団、日本国内や朝鮮といったところの各憲兵隊司令部などにも送られている。

そこには、「現役兵の党与上官暴行、侮辱又は抗命、軍中逃亡等の思想上要注意の犯罪三〇件三四名にして従来に比し、若干増加の傾向あり」などと、長引くシナ事変下での将兵たちの注意を要する行為事実が記されている。「憲兵の軍事郵便検閲に依り思想上有害と認め押収削除」された郵便物四六三通の報告もある。そのなかには、「造言輩語」九六通もふくまれている。以下は、九六通中からの、北支那方面軍下における「造言輩語」、すなわち造言飛語の例示である。氏名・階級は原文に記されていない。


歩兵第二百三十九連隊の兵。

昨日精神に発作的に異常を来し、兵が自分の銃で咽喉を射って自殺しました。
十数日前、隣の中隊で、下士官と兵が喧嘩をして、銃で射ち合い、二名共死去しました。戦地では滞在期問が長くなるに連れ、此の種の事件が頻々と起きて来るらしい。


独立混成第三旅団独立歩兵第六大隊の兵。

「クリーク」の川に敵が毒を入れて居るので、水を呑んだ者は皆病気になり、今は伝染病が多くて困っている。山西の支那兵には捕虜になっている日本軍人も混っています。


独立混成第六旅団独立歩兵第二十二大隊の兵。

この部隊は入浴を支那風呂へ行く。
昼食から、点呼だ。外出は日曜と水曜。全く出鱈目な部隊だ。


造言飛語とされるこうした言句が日本国内に伝えられれぼ、軍に対する信頼がそこなわれ、挙国一致への盛りあがりに水をさしかねない。事変に向かう国民の気持ちを引き締め、まとめていくために、造言飛語の取り締まりは必要だったのである。なお、報告中の造言飛語のなかに、反戦・厭戦の気運など四囲の状況の様相を、さらにいえぼ、そうした状況への風刺もしくは批判のようなものまでうかがうこともできる。あたらずといえども遠からず、火のない所に煙は立たぬ、といったケースもある。


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