南京攻略戦のさなか、残留して中国市民の保護に尽力したアメリカ人、ミニー・ヴォートリンの12月5日の日記より(『南京事件の日々』、大月書店)。
数年後には日本の都市でも見られるようになった光景であり、現在でもイラクやレバノンで見られる光景である。
鼓楼教会へ礼拝に行く時刻のころ、「空襲警報」のサイレン(日本軍の前線がすぐ近くまで迫っているので、いまでは警戒警報は出されない)が鳴り、するとまもなく爆撃音が聞こえてきた。明朝故宮の「西華門」がやられたのだ、とウィルソン医師が教えてくれた。気の毒なことに、爆撃されたのはほとんどが貧しい民間人であった。ウィルソン医師が、ある一家のことを話してくれた。そこの母親と娘は即死、茫然自失の父親をウィルソン医師が発見したとき、彼は赤ん坊を抱いていたが、その子の頭部は吹き飛ばされてしまっていた。(…)
数年後には日本の都市でも見られるようになった光景であり、現在でもイラクやレバノンで見られる光景である。