新総理大臣に就任し、「日本学術会議」会員に推薦された学者6名の総理任命拒否が騒動になっている菅義偉首相。この件から筆者は、「法律を根拠」として行政改革を推進する菅首相の力強い意志のようなものを感じる。早くも携帯料金の値下げを掲げているが、このやり方を流用し放送業界にも圧を加える可能性もある。
その前にまず、安倍晋三政権が放送業界に対してどのような影響を与えたかを簡単に検証してみたい。
NHK経営委員会を利用した安倍前首相
NHKとの関係が何かと取り沙汰された安倍政権だったが、その伏線は第1次政権時代にすでに張られていた。2007年、経営委員長に富士フイルムの社長だった古森重隆氏が就任。富士フイルムをフィルム事業から脱皮させて成功した経営手腕をNHKに対して発揮した。古森氏を経営委員会に送り込んだのが安倍前首相だったと言われている。古森氏はNHKの経営計画を差し戻すなど、辣腕を振るった。
この頃までのNHK経営委員は高齢の大学教授が名誉職的に引き受ける、ある意味お飾り的存在も多かった。だが経営委員は衆参両議員の同意の元、総理大臣が任命する役職だ。安倍政権は形式的にすぎなかった任命を文字どおりに解釈し、経営委員選定に関わった。形骸的なシステムをルールどおりに運用したと言える。今回の日本学術会議の件と似ていないだろうか。
決して法的に誤ったことをしたわけではない。ただ、ルールに則れば政権がNHKに対し影響力が持てることを発見した。ちなみにNHKの監督官庁は総務省だが、安倍第1次政権での総務大臣が菅氏だ。
第2次安倍政権では1次政権で学びとった手法をさらに活用した。経営委員を選ぶのはもちろん、会長人事にも影響力を持つようになったと言われる。会長を決めるのは経営委員会なので介入可能なのだ。
いずれにしろ安倍政権は、経営委員会のシステムを通じてNHKに強い影響力を及ぼし続けた。ここでの問題の本質は、公共放送の制度自体に政治の介入を許す余地がある点だと思う。
放送業界にモヤモヤと力を及ぼそうとした安倍前首相に対し、菅首相はどうだろう。これまでにも菅氏は放送業界に強い態度を示していた。安倍首相よりよほどプラグマティック、実際的で具体的な言動だ。
2007年、フジテレビ系列で全国ネットされていた関西テレビ制作の「あるある大事典」が大問題を引き起こした。番組内で紹介した納豆の健康への好影響が、実は科学的根拠がない情報だったのだ。番組は放送打ち切りとなり関西テレビ社長が謝罪したが、事態は重く受け取られ、関西テレビの民放連除名にまで至った。
このときの総務大臣が菅氏だった。総務省は総務大臣名義で行政指導としては最も重い「警告」を行った。そして菅氏は総務大臣として、「今後も放送法違反が見られたら電波停止もありうる」と発言した。
振り返れば2016年、高市早苗氏が総務大臣としてほぼ同じことを発言して議論を巻き起こしたのだが、菅氏のこのときの発言はそこまでの議論にはならなかったように思う。放送業界として反論できる空気ではなかったからだろうか。
高市発言もそうだが、放送法を電波法と併せて解釈すると「総務大臣による放送停波」はありうる。菅氏が首相になったいま大事なのは、彼は法に則って強い発言もする政治家だという点だ。
総務大臣だった菅氏と「命令放送」
もうひとつ、2006年に菅氏が総務大臣だったときに起こった放送界との事件がある。「命令放送」についてだ。この名称がすでに物騒だが、NHKは政府の命令を受けて放送することがある、というもので、具体的にはNHKが短波ラジオ放送で行う国際放送についての話だ。
2006年時点の放送法には33条で「総務大臣はNHKに対し必要な事項を指定して国際放送を行うことを命じることができる」とされていた。政府による国際社会への日本のアピールにNHKが協力するものだ。その費用は国が持ち、それまでは「時事」「国の重要な政策」「国際問題に関する政府の見解」の3つの大枠を「命令」されるだけで、具体的な内容はNHKの自主性に任されていた。
2006年、菅氏は総務大臣として「北朝鮮による日本人拉致問題にとくに留意する」ようNHKに対し「命令」した。これに対し、新聞社やメディア研究者が強い反応を示した。「命令放送」であってもNHKの自主性が尊重されるべきであり、表現の自由が損なわれてはならない、というものだった。
にわかに巻き起こった議論に対し総務大臣だった菅氏は、国会での質問に応じて「表現の自由は大事であり、命令放送の中でも編集の内容には踏み込まない」と発言している。「命令放送」は2007年の放送法改定時に修正され「命令」が「要請」に変わり、NHKはこの要請に対し「応じるよう務める」と自主性を保つことが明文化された。
筆者は「命令放送」という制度がそもそも奇妙なものだったと感じるが、「停波可能発言」と併せて考えると、制度に則って強いことを言う菅氏の姿勢が浮き彫りになる。そして菅氏が第1次安倍政権の短い期間ではあるが総務大臣を経験していることは重要だと思う。内閣総理大臣就任早々、さっそく携帯電話の料金値下げを言い出したのも、この分野に通じているからだ。
また具体的な部分は官邸官僚に頼り切っていた安倍氏に比べると、菅首相は自ら制度を学び自ら考えて動くように見える。武田良太総務大臣は、これまでの経歴を考えるとこの分野に通じているとは言いがたく、菅総理の意向を反映する立場になるだろう。総務省の領域で菅氏が自らの考えを具現化する可能性は高い。
官邸官僚として暗躍した経産省出身者は退任しているが、そのうちのひとり、長谷川榮一内閣広報官の代わりに総務省出身の山田真貴子氏が広報官に就任した。そこには菅首相と総務省現場とのパイプ役の意味もあるかもしれない。
警戒する民放、恐れおののくNHK
民放側はこれまでの菅氏の放送業界への言動をもちろん覚えている。当然ながら警戒しているようだ。放送法などのルールを熟知し、それに則って強い態度に出ることもある。場合によっては「停波」を口にもする。そんなコワモテの政治家であることが民放にどう影響するか、戦々恐々のようだ。
とくに電波行政、民放が数十年間安い水準を認められてきた電波料を見直されたらたまったものではないだろう。民放はコロナ前から広告収入が激減しており、立て直しに躍起になっている最中だから、電波料が上がったらさらに打撃になる。ましてや電波オークションの話が出てきたら大汗かいて必死で止めることだろう。
ただ、菅首相が民放に圧を加えることで利する点があるようには見えない。菅氏のコワモテぶりは「お灸を据える」域でしかないと思う。むしろNHKのほうが懸念すべき点が多いかもしれない。例えば菅氏は総務大臣時代、「受信料値下げ」を国民の納付義務化とセットでNHKにかなり強硬に求めている。このときはプロパーで会長になった橋本元一氏が反対し、何度もやりあったという。
受信料値下げは安倍政権で高市早苗総務大臣が求めて実現しているので、いま値下げを菅氏が言い出すことはないだろう。ただ、第1次安倍政権で総務大臣としてNHK操縦法を会得していることを考えると今後は、安倍首相よりずっと巧妙に進めそうだ。われわれ国民としては、菅政権と民放・NHKの関係に目を光らせ、状況を把握する洞察力を磨きたいところだ。
そしてこの機に、公共放送なのに経営委員は政権の意のままにできるというNHKの不思議なガバナンスについて議論できる俎上ができるといい。受信料を払っているわれわれは株式会社で言えばNHKの株主。NHKは国民のものだと言える制度にしていきたいものだ。政権から、国民にとってプラスにならない圧がかかっていると感じたら、すかさず世論で対抗できるよう、その関係を注視していきたい。
その前にまず、安倍晋三政権が放送業界に対してどのような影響を与えたかを簡単に検証してみたい。
NHK経営委員会を利用した安倍前首相
NHKとの関係が何かと取り沙汰された安倍政権だったが、その伏線は第1次政権時代にすでに張られていた。2007年、経営委員長に富士フイルムの社長だった古森重隆氏が就任。富士フイルムをフィルム事業から脱皮させて成功した経営手腕をNHKに対して発揮した。古森氏を経営委員会に送り込んだのが安倍前首相だったと言われている。古森氏はNHKの経営計画を差し戻すなど、辣腕を振るった。
この頃までのNHK経営委員は高齢の大学教授が名誉職的に引き受ける、ある意味お飾り的存在も多かった。だが経営委員は衆参両議員の同意の元、総理大臣が任命する役職だ。安倍政権は形式的にすぎなかった任命を文字どおりに解釈し、経営委員選定に関わった。形骸的なシステムをルールどおりに運用したと言える。今回の日本学術会議の件と似ていないだろうか。
決して法的に誤ったことをしたわけではない。ただ、ルールに則れば政権がNHKに対し影響力が持てることを発見した。ちなみにNHKの監督官庁は総務省だが、安倍第1次政権での総務大臣が菅氏だ。
第2次安倍政権では1次政権で学びとった手法をさらに活用した。経営委員を選ぶのはもちろん、会長人事にも影響力を持つようになったと言われる。会長を決めるのは経営委員会なので介入可能なのだ。
いずれにしろ安倍政権は、経営委員会のシステムを通じてNHKに強い影響力を及ぼし続けた。ここでの問題の本質は、公共放送の制度自体に政治の介入を許す余地がある点だと思う。
放送業界にモヤモヤと力を及ぼそうとした安倍前首相に対し、菅首相はどうだろう。これまでにも菅氏は放送業界に強い態度を示していた。安倍首相よりよほどプラグマティック、実際的で具体的な言動だ。
2007年、フジテレビ系列で全国ネットされていた関西テレビ制作の「あるある大事典」が大問題を引き起こした。番組内で紹介した納豆の健康への好影響が、実は科学的根拠がない情報だったのだ。番組は放送打ち切りとなり関西テレビ社長が謝罪したが、事態は重く受け取られ、関西テレビの民放連除名にまで至った。
このときの総務大臣が菅氏だった。総務省は総務大臣名義で行政指導としては最も重い「警告」を行った。そして菅氏は総務大臣として、「今後も放送法違反が見られたら電波停止もありうる」と発言した。
振り返れば2016年、高市早苗氏が総務大臣としてほぼ同じことを発言して議論を巻き起こしたのだが、菅氏のこのときの発言はそこまでの議論にはならなかったように思う。放送業界として反論できる空気ではなかったからだろうか。
高市発言もそうだが、放送法を電波法と併せて解釈すると「総務大臣による放送停波」はありうる。菅氏が首相になったいま大事なのは、彼は法に則って強い発言もする政治家だという点だ。
総務大臣だった菅氏と「命令放送」
もうひとつ、2006年に菅氏が総務大臣だったときに起こった放送界との事件がある。「命令放送」についてだ。この名称がすでに物騒だが、NHKは政府の命令を受けて放送することがある、というもので、具体的にはNHKが短波ラジオ放送で行う国際放送についての話だ。
2006年時点の放送法には33条で「総務大臣はNHKに対し必要な事項を指定して国際放送を行うことを命じることができる」とされていた。政府による国際社会への日本のアピールにNHKが協力するものだ。その費用は国が持ち、それまでは「時事」「国の重要な政策」「国際問題に関する政府の見解」の3つの大枠を「命令」されるだけで、具体的な内容はNHKの自主性に任されていた。
2006年、菅氏は総務大臣として「北朝鮮による日本人拉致問題にとくに留意する」ようNHKに対し「命令」した。これに対し、新聞社やメディア研究者が強い反応を示した。「命令放送」であってもNHKの自主性が尊重されるべきであり、表現の自由が損なわれてはならない、というものだった。
にわかに巻き起こった議論に対し総務大臣だった菅氏は、国会での質問に応じて「表現の自由は大事であり、命令放送の中でも編集の内容には踏み込まない」と発言している。「命令放送」は2007年の放送法改定時に修正され「命令」が「要請」に変わり、NHKはこの要請に対し「応じるよう務める」と自主性を保つことが明文化された。
筆者は「命令放送」という制度がそもそも奇妙なものだったと感じるが、「停波可能発言」と併せて考えると、制度に則って強いことを言う菅氏の姿勢が浮き彫りになる。そして菅氏が第1次安倍政権の短い期間ではあるが総務大臣を経験していることは重要だと思う。内閣総理大臣就任早々、さっそく携帯電話の料金値下げを言い出したのも、この分野に通じているからだ。
また具体的な部分は官邸官僚に頼り切っていた安倍氏に比べると、菅首相は自ら制度を学び自ら考えて動くように見える。武田良太総務大臣は、これまでの経歴を考えるとこの分野に通じているとは言いがたく、菅総理の意向を反映する立場になるだろう。総務省の領域で菅氏が自らの考えを具現化する可能性は高い。
官邸官僚として暗躍した経産省出身者は退任しているが、そのうちのひとり、長谷川榮一内閣広報官の代わりに総務省出身の山田真貴子氏が広報官に就任した。そこには菅首相と総務省現場とのパイプ役の意味もあるかもしれない。
警戒する民放、恐れおののくNHK
民放側はこれまでの菅氏の放送業界への言動をもちろん覚えている。当然ながら警戒しているようだ。放送法などのルールを熟知し、それに則って強い態度に出ることもある。場合によっては「停波」を口にもする。そんなコワモテの政治家であることが民放にどう影響するか、戦々恐々のようだ。
とくに電波行政、民放が数十年間安い水準を認められてきた電波料を見直されたらたまったものではないだろう。民放はコロナ前から広告収入が激減しており、立て直しに躍起になっている最中だから、電波料が上がったらさらに打撃になる。ましてや電波オークションの話が出てきたら大汗かいて必死で止めることだろう。
ただ、菅首相が民放に圧を加えることで利する点があるようには見えない。菅氏のコワモテぶりは「お灸を据える」域でしかないと思う。むしろNHKのほうが懸念すべき点が多いかもしれない。例えば菅氏は総務大臣時代、「受信料値下げ」を国民の納付義務化とセットでNHKにかなり強硬に求めている。このときはプロパーで会長になった橋本元一氏が反対し、何度もやりあったという。
受信料値下げは安倍政権で高市早苗総務大臣が求めて実現しているので、いま値下げを菅氏が言い出すことはないだろう。ただ、第1次安倍政権で総務大臣としてNHK操縦法を会得していることを考えると今後は、安倍首相よりずっと巧妙に進めそうだ。われわれ国民としては、菅政権と民放・NHKの関係に目を光らせ、状況を把握する洞察力を磨きたいところだ。
そしてこの機に、公共放送なのに経営委員は政権の意のままにできるというNHKの不思議なガバナンスについて議論できる俎上ができるといい。受信料を払っているわれわれは株式会社で言えばNHKの株主。NHKは国民のものだと言える制度にしていきたいものだ。政権から、国民にとってプラスにならない圧がかかっていると感じたら、すかさず世論で対抗できるよう、その関係を注視していきたい。