
今月は父親の命日がちょうど公休日になっているので。
きちんと花を手向けての墓参はあらためてするとして。
今日のお散歩もお線香だけ片手のフリー墓参。
あの日の朝の、父親の異変を知らせる病院からの電話は。
今でも色褪せることなく記憶している。
半ばパジャマみたいな格好のまんま、病院まで車を走らせたけれど。
こと切れる瞬間には間に合わなかった。
介護の日々も身内に頼ることは出来なかったし、しなかったので。
看護師たちの処置が行われている間に。
かねてよりチマチマと積み立てて来るべき日に備えていた葬儀社に連絡を入れて。
父親の迎えを待った。
いろいろ利便性を考慮して。
駅前の葬儀社で長らく契約をしていたのだけど。
遺体安置部屋が埋まっていたので。
系列支店の成田の葬儀場に運ばれてしまって。
当時はひとりで成田まで車移動したことがなかったので。
焦りまくった思い出。
それを機に、成田山散歩や。
叔母たちの墓参もするまでになったのだから。
それも父親の最後の想いがそうさせたのかも、なんて思ってる。
昨今、親ガチャなる言葉が世に蔓延っているけれど。
私にしてみたら、子ガチャだ。
両親に当たり前の幸せな親の日常をもたらすことが出来なかった事だけが。
私の後悔なのだ。



