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お山にお宮がたちました

お山の神様と神社仏閣めぐり

国宝 臼杵石仏 in 大分県

2023-09-27 05:37:00 | 神社仏閣詣り
大分県には民話や伝説が数多く残されており、臼杵石仏にまつわる真名野長者伝説は大分県内でも、よく知られる物語の1つのようです。

以下 HP臼杵めぐりより



時は大和朝廷(4世紀)の時代、豊後の国(大分県)大野郡三重の山里に、藤治という若者がいました。

藤治は、玉田の里の炭焼き又五郎にひきとられて育てられます。そして又五郎の跡をついだことにより炭焼小五郎すみやきこごろうと呼ばれるようになりました。



一方、奈良の都では久我大臣の娘で顔に醜いあざのある玉津姫という美しい姫がいました。

姫は「三輪の神」お告げに従って豊後の国の深田に住む炭焼小五郎(藤治)の許へ行き夫婦になりました。



金亀ケ淵で顔を洗ったら玉津姫のあざが消えてなくなるなど、夫婦は数々の奇跡により富を得て長者となります。

そして2人の間には1人の娘が誕生し「般若姫」と名付けられました。




姫は都にまで伝わるほどの美女に成長し、1人の男性と出会い結婚することになります。

実はその男性は都より忍びで来ていた皇子(後の用明天皇)でした。




その後、皇子は天皇の崩御にともない都へと帰らなければならなくなりました。

その時、般若姫のお腹にはすでに新しい命が宿っていたため、皇子は「男の子なら跡継ぎとして都まで一緒に連れてきないさい。もし女の子であれば長者夫婦の跡継ぎとして残し、姫1人で来なさい」と告げて帰京します。




産まれた子供が女の子であった為、姫は皇子との約束通リ1人で船に乗り都を目指しましたが、途中の周防灘で嵐に会い姫はついに帰らぬ人となってしまいます。




姫の死を悲しんだ長者夫妻は蓮城法師から、天竺にあるという祇園精舎ぎおんしょうじゃの話を聞きます。

そして臼杵深田の里に「満月寺」を造り、深田の岩崖には仏像を彫ってもらいました。



その仏像が現在も残る「国宝臼杵石仏」であると伝わっています。

こちらは日吉社。臼杵石仏のある地の小高い山に大山咋神が祀られています。

九州への旅は、フェリーを使うと疲れもなく便利で、思いのほか近いと感じました。
四国の愛媛県八幡浜からフェリーで2時間弱で九州の臼杵港に到着です。
そして、臼杵港から車で15分ほどで石仏を観に行く事ができます。



こちら⇩の石仏、実際発見された時は、上の写真のように、仏様の頭が落ちてしまっていたようなのですが、修復されていました。



真名野長者伝説、般若姫のお話は、以前、姉に教えてもらい記憶にありましたが、実際こうして現地を訪れ、石仏を観ると、感慨深いものがあります。
老夫婦はお金を沢山手にしたものの、娘を失い深い哀しみを抱え、神に帰依することにより、心の救いを見出そうとしたのではないかなと、そんな事を考えてしまいました。


用明天皇 の子供には聖徳太子がおり、般若姫との間に産まれた女の子は、聖徳太子のご兄弟ということになりますね。



壮大な石仏を前に、日本の素晴らしさを感じました。




出雲大社

2023-09-20 05:08:00 | 神社仏閣詣り
高速を走り出雲に向かいます。
目の前に現れる四国の讃岐富士といわれる飯野山は、いつ観ても形の綺麗なピラミッドみたいな山だなと思います。



そして瀬戸大橋を渡ります。



瀬戸大橋のサービスエリアにて休憩。



久々の出雲大社。
神有月では無いので、そこまで混雑してなかったです。





大社の裏側に素戔嗚尊が祀られているのですが、出雲大社の中で、この場所が一番好きです。





裏側に回ってみました。



大きなしめ縄です。



神楽殿の横を過ぎ、裏手にまわるとひっそり鎮守社がありました。
こちらははじめてお詣りさせて頂きました。



そして、さらに出雲の郷戸家からアマベ家のホアカリに輿入れした高照姫(天道姫)を祀る社が奥にありました。

高照姫は、初代出雲王八耳王から数えて八代目の大国主である八千矛と宗像三女神の一柱多岐津姫の娘であり土佐神社の御祭神である味鋤高彦と兄弟神です。



出雲口伝による、高照姫の置かれた立場は、父を亡くし哀しみに包まれており、高照姫の御魂は出雲に里帰りし、出雲大社の裏の大穴持御子神社に祀られているといいます。
奈良の葛城御歳神社にも姉とお詣りさせていただきましたが、その御霊は故郷の出雲に還られているのでしょうか。。



今回で私は4回目の出雲詣りとなりますが、偶然こちらを見つけ、はじめて、この三歳社に導かれるようにお詣りさせて頂きました。
出雲大社の裏の小径を進み、福迎の社に向かいます。



この社は通称、三歳社といい、歳神(通称、トシガミさん)として、正月三日に参拝すると福を招くといわれ、参拝客は福柴を受けて家に飾るそうです。





出雲大社の参拝を終え、神有月に神迎えのお祭りがある稲佐の浜に向かいました。



鳥居の近くの木に可愛い鳥がとまっていました。





娘と夫ははじめての出雲でしたが、とても喜んでくれました。





出雲口伝を読んだこともあり、太古の情景や背景を想像しながらお詣りさせて頂けることが有難く、とても感慨深い旅となりました。



八重垣神社

2023-09-16 07:33:00 | 神社仏閣詣り
神魂神社から、車で10分くらいで八重垣神社に到着です。

八重垣(ヤエガキ)について出雲口伝より。

出雲初代大名持、八耳王の后は稲田姫というお方で、稲田姫は現在の須我神社の地に実家があり、そこから大宮に輿入れしたといいます。
その須我神社に八重垣について詠んだ和歌があります。

八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣つくる その八重垣を

これは一般的には素戔嗚尊が詠んだ歌とされていますが、出雲口伝によると出雲族がつくった歌のようです。



出雲散家(サンカ)の掟はヤエガキと呼ばれており、この歌の解釈は、出雲憲法喜びの歌であり、その要約が出雲口伝の書に紹介されていました。

自分達イズモ族に暴漢(ヤクモ)はいない(ヤクモタチ)
婦女暴行(ツマゴメ)に対する憲法(イズモヤエガキ)がある
憲法を制定して、その憲法をいま手にして(ヤエガキツクル)
この憲法を守るぞ(コノヤエガキヲ)



つまり、この歌は、婦女暴行(一夫多妻)を禁じた掟(ヤエガキ)が特に良い法律であると喜び歌にしたとようです。



日本初の統一王国となった出雲王国は、同じ信仰を持つ各地域の連合体として成立し、その初代の王は人の話をよく聞き、八つの耳を持つ王、八耳王と呼ばれたといいます。

縄文時代は争いのない平和な社会であり、この出雲王国のことをいうようです。
次第に、他の地域に対抗勢力が現われ、王国の領土を脅かすことがあり、王家の兵士を中心に出雲兵の組織が調えられたといいます。

出雲王国は、その後滅亡し、日本神話によると、出雲の国譲りといった内容で伝わりますが、真実はかなり違うようです。

出雲散家とは、出雲王国が滅亡した3世紀以降に各地に散った王家の兵士の事で、「出雲散家(サンカ)」や「出雲忍者」と呼ばれた。

そのサンカの掟がヤエガキ。


出雲口伝を読み、かつて訪れた神社の情景を思い浮かべていました。
出雲だけでは無く、筑紫、吉備、大和、丹後などなど。

各地の神社で祀られていた御祭神が、今になって一気に繋がり、沢山訪れた神社の点が線になって日本の真実の歴史を辿っていた感じがしてます。

八重垣神社。
娘のお気に入りの神社になりました。
奥の院には鏡の池があり、池に紙を浮かべ縁占いができます。

私が浮かべた紙には

人は鏡
万象は師なり

とありました。


娘の紙には

貴方の中の
愛と光を思い出せ

でした。



私は愛と光と忍耐です。

娘の紙を見て、かつて、斎藤一人さんがこの言葉を唱えなさいと言っていたのを思い出しました。

愛と光、そして忍耐。

縄文時代の人々は神の信仰を大切にし、愛と光を大切に生きていたのではないかなと思いました。

世界が優しい和を尊ぶ社会になると良いですね。




神魂神社 in 出雲

2023-09-09 07:31:00 | 神社仏閣詣り
出雲大社より車でおよそ1時間ほどのところに神魂神社があります。
娘が帰省をしており、何処かに連れてってというので、神社だったらいいよと話すと出雲に行きたいと言います。
出雲なら一泊で車で行けるから、週末に出かけました。

出雲大社横の博物館内にて、神魂神社が紹介されているのを目にしました。
実は、出雲に行く直前のこと。
姉に勧められて買って読んだこの本。

表紙が神魂神社でした。
この本には、長い間、口伝で子孫にのみ語り継がれたという出雲王国の歴史が記されていました。

近年次々と、こうした日本の史実が表に出てくるようになり、昔なら口にする事も憚られるような内容が書かれてあり、こうした事を誰でも求めれば知る事が可能になり、時代は変わったなと感じています。

内容も古事記などで書かれている国譲りとは全く違っており、3世紀頃にあったであろう日本の真実の歴史を垣間見ている感じがします。

こちらの神魂神社はかつて栄えていた出雲王国の王である富家の宮殿のようです。

前日に寄った、出雲博物館にて神魂神社が紹介されていたのをみて、本の表紙と重なりらどうしてもお詣りしたいと思い、早朝に訪れる事にしました。
人が少なくて清々しい空気が流れています。



苔むした手水舎にて手と口をゆすぎます。


本によれば、出雲王国は武力による統一王国では無く、同じ宗教により結ばれた平和的な王国であったと紹介されていました。
王家は「言向け」つまり、言葉により説得したことから、古くはムケ家(向家)と呼ばれ、その向家が後に、富家と呼ばれるようになったようです。

その、向家(富家)が先祖の神として祀っていたのがクナトノ大神と幸姫命(サイノヒメノミコト)の二神だったようです。


後に出雲王国はモノノベ東征により滅亡するのですが、モノノベ家を継ぐ秋上家がこの王家宮殿を神魂神社に変え、
クナトノ大神をイザナギ大神に
幸姫命をイザナミ大神に変えて
こちらの神魂神社で祀ったと、この本では紹介されています。
現在もこの秋上家が神魂神社の宮司をされているようです。

クナトノ大神と幸姫命の夫婦神が多くの神々を産んだから、この夫婦神を「むすびの神」
と呼んだとか。。



また、クナトノ大神は日本人全体の先祖であり、神々を産んだことから、神魂神(カミムスビ神)と呼ばれ、その名前が神魂神社の由来になっているそうです。



早朝参拝という事もあり、良い氣が流れており、とても美しかったです。
本殿は現存する日本最古の大社造りで国宝にもなっています。





こちらに小さな洞窟がありました。
そっと覗いてみると蛇さんがおり、思わず手を合わせました。






参拝が終わり、綺麗だねと美しいねと娘と話しました。この空間にいると心が洗われるようで暫く座って本殿を眺めていました。

かつて栄えた王国のあった出雲には、かつての栄華の歴史を感じる神社が沢山あり本当に素晴らしいと思いました。







9月お詣り 津野山夜神楽 

2023-09-05 05:00:00 | 田舎の神様のこと
9月のお詣りは、お兄様とmokoちゃんと私の3人です。
今回はお兄様のご親戚の神主さん一族にお会いできるというので、お兄様の車に乗せて連れて来てもらいました。

道を作るために切った岩肌に、誠さんが杉を植えてくれていたのですが、それが根付いて大きくなってくれています。


到着してから知ったのですが、この日の夜、北川という集落の神社にて津野山神楽があることを教えてもらいました。
全く予定外でしたが行ってみることに。。
母の古くからの友人のお兄様は、津野山神楽を守り続けている神主さん一族のお一人なのです。

津野山神楽は何百年も続いている伝統神楽です。
母がいつか力石のお山でも、舞ってもらいたいと願っている神楽。
私は今回、初めて観ることになります。


お山の神様の地から10分くらいのところにある北川という集落にある河内五社神社で、毎年9月の第一土曜日に夜神楽が開催されているようです。


今回初めて、こちらの神社に訪れたのですが、あまりに立派な神社だったのでびっくりしました。

四万十の美しい川が前を流れ、大きな御神木が聳え、昼の明るい時間に改めてお詣りに来たいと思いました。
津野町は本当に素晴らしいところです。





今から30年くらい前、まだ私が小さかった時に、母に連れられた私に会った事があるよと言ってくれた方もいました。遠い親戚みたいです。
でも、30年では、年齢合わんですね。。。40年。。いやもっと前ね😅

その方もお優しい方で素敵に神楽を舞っていました。帰りにはお土産までくれて🙇‍♀️

皆んな優しく声かけしてくれて、田舎の方は気さくで人が良いです。
神事を真剣にされている方の人の良さは別格です。皆んなお顔が素晴らしく良いです❤️

そして、本格的に神楽が始まる前に、太鼓を叩いてみいや、と叩かせてもらいました。
これが難しい。

テンポは
団子三つ四つ食う🎶
団子三つ四つ食う🎵
ですって。

そう言いながら叩くと上手く叩けると教えて頂きました。
オモシロイ🤣



いよいよ始まりです。
こんなに素晴らしい神楽なのに観客が少なくて、特等席で楽しめます。



こちらは天の岩戸。
隣に座ったおじ様が、
あんた今度あの舞を教えてもろうて踊りや。
と言ってくれました。
天照大御神ですよ。
そんな大役言われてもね😂


岩戸から出てくる天照大御神。
本当に素晴らしすぎて感動しました。


お山友達のmokoちゃん。
太鼓を本舞に合わせて叩いてます。
私も叩かせて貰いました。



こんなに素晴らしい舞が、何百年もひっそり神様に奉納され続けているなんて感動です。



猿田彦の舞。
こちらは神主さんが舞ってます。
お兄様のご親戚の神主さん。
お昼にもお会いしたけど、お若くて笑顔の素敵な、爽やかなイケメン神主さんです。
なかなかこんなかっこいい神主さんはいません‼️
お昼にお会いした姿とは違い、神主さんの装束に身を纏い、力強く迫力ある神楽を次々舞います。
お昼も色々とお世話になったんです。。。






 
この日は地区の方がお宮に泊まり、朝が来て神主さんが祈りを捧げて、それでおしまいとなるようです。



私たちは夜の11時過ぎに神社を出て、高知に帰り着いたのは午前1時。連れて行ってくれたお兄さまには本当に感謝です。
私が行きたい!と言ったものだから、お付き合いしてくれて、本当に楽しい濃い一日となりました。

実は、この日の朝のこと、我が家の小さな恵比寿様のお人形をふとみると、小さな釣り竿が無くなってました。
アレ!?無い。。。と。



ですが、夜神楽の後、そんな事は何も言ってないのに、恵比寿の舞で踊る恵比寿様の竿を、
これを持って帰りや。。
と村の方がプレゼントしてくれました。



いっぱいえいもん(良い物)を持ってきてくれるわよ。。
ですって🤭
有難うございました🙇‍♀️🙇‍♀️🙇‍♀️
今でも十分幸せを頂いています。

翌朝のこと、何となくですが、我が家の恵比寿様が大きな竿を得て、喜んでいるのがわかりました。


そして、神楽の舞で使ったヘイもプレゼントしてくれました。
mokoちゃんが MOKONRO/もこん炉 に、神楽後に頂いたヘイを飾ったオシャレな写真を送ってくれました。

夜中までお付き合いくださったお兄さまに本当に感謝です。

津野山神楽。
ただただ素晴らしすぎて感動しました。
太鼓に笛に鈴の音色に迫力ある美しい舞。

何にも知らないのに、お山で神楽を舞ってもらいたいなんて簡単に言って少し反省しました。

もっと深く感じ味わって、お山の神様と心が完全に通じ合い、自分の心にしっかり落とし込めた時、いつの日か復興の証に、お山のお宮にて、何十年の時を超え皆んなが楽しめるお祭りが出来れば良いなと改めて思いました❤️

それが母の尊い願いでもありますから。。。