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お山にお宮がたちました

お山の神様と神社仏閣めぐり

9月お詣り 一月一善

2021-09-20 05:03:00 | 田舎の神様のこと
津野山の神様のところへは、可能な限り毎月一回はお詣りしようと決めています。
今月は、熊さんが一緒に行ってくれるというので二人で行こうかと思っていましたが、夫も行くというので三人でお詣りに行きました。

途中の川にて白鷺が優雅に飛んでました。




これからは行く度に何か置いてきたいなと思っていて、行く途中に椿の花の植木を買って持って行きました。
ひと月一善です。

今回は白侘助(シロワビスケ)を三株。
咲くとこんな花です。

こんな感じで植えようと置きます。

下から持って歩いて運ぶとなると大変だけど、車で上がれて有難いです。
追加の白の玉砂利も持っていきました。
担いでフーフー言いながら10キロの玉砂利を何袋も歩いて持って上がった経験から、車で上がれて感謝感謝です。
誠さん琴さん本当にありがとうございました💖

先ずは熊さんがお詣り。
お茶とかお花とかやっていたから姿勢がいいですね!


熊さんが描いてくれた天井画もあります。
椿も一緒に買ってくれました。
いつも本当にありがとう。


お宮の中で神様と一緒に昼食です。
中でまったりできるなんて、神様が近くに感じられて、親しみやすいお宮です。


それから花を植えます。


ここに植えなさいと光ります。笑



タップリ水をかけてどうか根付いてくださいと祈ります。

それから恵比寿様へご挨拶です。
三人でつくった階段が有難いです。


熊さんがお詣りします。



頂上にサルノコシカケを発見です。


御神木。


恵比寿様のお詣りを終え、金刀比羅様へ戻ると、すっかり白侘助が似合ってそこにいました。
可憐な白椿が咲いたら可愛いだろうなぁと想像します。


お詣りを終え、車でゆっくり降りて、荒神様と耳の神様へご挨拶です。
彼岸花の季節です。
去年の今頃は母と道をつくってましたから、それを思うと凄い展開の一年でした。
神様の後押しがあったとしか思えません。
そして関わってくれた全ての人に感謝の溢れる一年でした。


荒神様です。
こちらはまだまだですがきちんとしていこうと思ってます。


耳の神様です。


なんか、お顔みたい。。
こちらで磐笛を吹いてお経を唱えました。

一月一善。
長い間、何もできず神様に哀しい想いをさせていたのだから、行くたびに一善は置いていこうと思います。









四国八十八箇所お遍路 第四十五番札所 岩屋寺

2021-09-19 06:25:00 | 四国八十八箇所 別格二十箇所
第45番札所岩屋寺本堂は、標高585m付近にあり、駐車場からもおよそ30分近く参道を歩いて登らないとたどり着けない難所でありました。

山門をくぐり、ここから300段あると云われる階段を歩きます。
杖が役に立ちます!



進行方向右手にはお大師様が迎えてくれます。


左手は不動明王様がいらっしゃいます。

かなりの距離です。


参道途中にはもの凄い数の石仏が重なるように置かれていました。

橋を渡るときはお大師様が下で休んでいるかもしれないので杖をついてはいけません。
と最初にお遍路雑学で学びました。
 
此処は本当に凄いところです。
何かはわからないけどなんか凄いって気がします。


途中、地蔵堂がありました。
きちんとお詣りさせて頂きました。



標高700m。奇峰が天を突き、巨岩の中腹に埋め込まれるように堂宇がたたずむ典型的な山岳霊場である。神仙境をおもわせる境内は、むかしから修験者が修行の場としていたようで、さまざまな伝承が残されている。

弘法大師がこの霊地を訪ねたのは弘仁6年とされている。
そのころすでに土佐の女性が岩窟に籠るなどして、法華三昧を成就、空中を自在に飛行できる神通力を身につけ、法華仙人と称していたという。
だが仙人は、大師の修法に篤く帰依し、全山を献上した。
大師は木造と石造の不動明王像を刻み、木像は本尊として本堂に安置し、また、石像を奥の院の秘仏として岩窟に祀り、全山をご本尊の不動明王として護摩修法をなされた。

岩屋寺紹介HPより


此処は海岸山岩屋寺といいます。
巨岩の中腹に埋め込まれるように堂宇がたたずむ山岳霊場なのにこの岩山がどうして海岸の山とつけられたのか?

その理由は、今から約4000万年前、海の中でマグマや岩が寄せ集まってできた海の中にあった山だからのようです。

兎に角凄い。
海のエネルギーと山のエネルギーが一つになった場所が此処、岩屋寺なのです。


境内は山に向かって右が金剛界峰、左が胎蔵峰と呼ばれる天を突く礫岩峰に挟まれ堂宇は巨岩の中腹に埋め込まれるようで、神仙境を思わせる山岳霊場であります。
なお、本堂が大師堂より小さいのは山全体が本尊とされているからであります。
以上Wikipediaより

鐘楼の横にお地蔵様がいらっしゃいました。

穴禅定(水供養所あなぜんじょう)です。

本堂の真下に20m位の洞窟があり、かなえる不動・地蔵尊(先祖供養)・弘法大師の石像が最奥に祀られていて、地蔵尊の下から水が湧いているようです。
こちらの中は真っ暗です。奥まで行くと蝋燭があって、大師作の石像の不動明王様がいらっしゃいました。真っ暗で、蝋燭でやっとお不動様がわかりました。怖いくらいです。
障りなどを封じ込めてくださる有難いお不動様のようで、大切な人の心と身体の健康を思い、お不動様の御真言とお経を唱えさせていただきました。
私の気持ちを受け取ったよとお不動様が合図をくれました。とても不思議で、それは有難かったです。

御本尊 不動明王
本尊真言 のうまく さんまんだ ばざらだん せんだん まかろしゃだ そわたや うんたらた かんまん
ご詠歌 大聖(だいしょう)のいのる力のげに岩屋 石のなかにも極楽ぞある



本堂の横に梯子があります。
上ってみます。



こな本堂右の梯子を上がったところは法華仙人窟跡と云われています。
無事辿り着きました。

こちらからの眺めはこんな感じです。



せっかくなので上がっておいでよと主人を呼びました。



高所恐怖症なので諦めたようです。
続いて登ろうとしたおじさまも途中でやめました。
降りる時、梯子の上から下をみて、夫は絶対無理だったと思いました。
やめたおじさまも、やめて良かったです。
私も怖くて後ろ向きになり下を見ないようにしてそっと降りました。


仙人窟のさらに上の左側には、飛来の仏、長さ四尺あまりの銅像で手に征鼓を持つ阿弥陀如来立像が中にいるようです。
梯子とか無いのでみえません!

写真Wikipediaより

大師堂です。

夫婦仲良く。
此処ではとても役立った私たちの杖。笑




大師堂を過ぎて仁王門をくぐり山を入っていくと三十六童子行場、逼割禅定(せりわりぜんじょう)・鎖禅定がある奥の院に至るようですが行きませんでした。
仁王門の脇が1番で、そこから順番に納めながら上って行くと最後に下記の逼割禅定の門に至ります。32番は険しい峰の上にあるのでその下に納め札箱があるそうです。
探しながら巡るので約1時間はかかるそうです。

こちらが仁王門です。



白山行場
本寺から仁王門を経て三十六童子行場を終えたところに大きな赤い不動明王立像が脇に立っている門がある。納経所で預かった鍵で扉を開けて入り、逼割禅定と呼ばれる両岸が迫った岩の隙間を上り、さらに鎖場を登ると太い梯子の下に至る。その鞍部に古い祠が一つ。その先の崖を上がればさらに祠が二つ。戻って梯子を上がった山頂に石室の祠があり白山権現が祀られている。
こんな感じみたいです。
以上Wikipediaより

斎藤ひとりさんのシールを本堂にてみつけました!

岩屋寺での感動が大きすぎて、長くなってしまいました。
ありがとうございました!




四国八十八箇所お遍路 第四十四番札所 大寳寺

2021-09-18 06:05:00 | 四国八十八箇所 別格二十箇所
第44番札所へは、愛媛県面河川と久万川の合流点にある、浸食された石灰岩でできた奇岩絶壁御三戸嶽をとおり向かいます。
こちらは高さ約37m、幅約137mと、ひときわ目を引く大きさで、頂上には老松が茂り、浸食された岩峰のそびえ立つ姿が軍艦のようにみえることから軍艦岩の愛称でも親しまれています。




駐車場に車を停め歩きます。
第43番札所明石寺からの道のりは約80㎞、峠越えの難所がつづき、歩けば20時間を超す「遍路ころがし」の霊場です。


表参道入口です。
ゴツゴツした道です。


樹齢数百年の巨杉に囲まれた参道を歩きます。


地蔵堂がありました。お詣りします。


こちらは四国霊場八十八ヶ所のちょうど半分に当たり中札所と云われます。
四国山地に囲まれ、境内は老樹が林立し、幽寂な空気が漂います。

山門です。


大きな草鞋がありました。札所最大級のわらじのようです。

寺伝によれば百済から来た聖僧が携えて来た十一面観世音菩薩を山中に安置したのが始まりで、大宝元年に安芸から来た明神右京、隼人の兄弟の猟師がその観音像を見つけて草庵を建てて祀ったといい、奏上を受けた文武天皇の勅命によって寺院が建立され、元号に合わせて寺号を定めたといわれています。
以上Wikipediaより


階段を上がるとお不動様が迎えてくれます。

句碑が手水舎の横にありました。




本堂です。

御本尊 十一面観世音菩薩
本尊真言 おん まか きゃろにきゃ そわか
ご詠歌 今の世は大悲(だいひ)のめぐみ菅生山 ついには弥陀の誓いをぞまつ



大師堂です。

掘出観音堂です。
昭和9年に大寶寺の山中から掘り出された、金銅製の観音像をお祀りしている。掘り出された観音像は、樹齢千年余りと思われる樹の根元で法華経が一字一石に書かれた約130枚の石に覆われていた。
京都博物館の鑑定によると、観音像は平安時代後期〜鎌倉時代初期のものであろうということである。
身体から病気や悪霊を掘り起こしてくれる有り難い仏様といわれ、信仰されている。
紹介HPより

十一面観音菩薩立像です。
優しいお顔です。


興教大師堂です。
興教大師は覚鑁の事で、平安時代後期の真言宗の僧。
真言宗中興の祖にして新義真言宗始祖のことだそうです。


大師像がありました。

本坊の前にある池に石の船に乗った七福神がいました。可愛いかったです。



帰り道に、みささぎ権現とありました。御神木でしょうか?
お花が可愛かったです。





六波羅蜜

2021-09-17 00:35:00 | つぶやき
お遍路さんをまわって般若心経を唱えています。
すっかりお経を覚えてしまいました。
暗唱できると何処でも何時でも唱えられて良いですね。暗唱以来、毎朝、お仏壇でも唱えます。

唱えながら言葉の意味が分からなくて少し学んでみました。

その中の波羅蜜ですが、この世にあって悟りの世界に到るという意味で、仏の境涯に到るために行う修行のことを六波羅蜜と言うようです。

以下の六つの修行、六波羅蜜を行います。

「布施」は、見返りを求めず、財施・無畏施・法施を分け与えることを言います。お布施や寄付を行うことです。

「持戒」は、戒律を守ることをさします。在家の場合、五戒や八戒を守り、出家した場合は、律によって規定されている禁戒を守ることをいいます。

「忍辱」は、どんな辱めを受けても耐え忍ぶということです。

「精進」は、不断の努力をして誠心誠意尽くすことです。

「禅定」は、自分を冷静に見ることです。

「智慧」は、これらの五つの波羅蜜を実行し、中道を歩み、般若波羅蜜を成就させることを言います。

我が取り除かれ
慈悲の心が芽生え
周りの人の幸せを願い
自分の幸せを人にも役立ててもらおうと
実際に行動に移す者を
仏教では菩薩と呼んでいるようですね。
 
いかなる時代にも輝き続ける真理。
実際、私の知る方で、こういう方いらっしゃいます。
私も仏様の心に近づけるべく精進を重ねていこうと思います。
 


四国八十八箇所お遍路 第四十三番札所 明石寺

2021-09-16 05:00:00 | 四国八十八箇所 別格二十箇所
四国八十八箇所霊場の43番札所となる明石寺は「通称 明石(あげいし)さん」とも呼ばれ、弘法大師により再興、源頼朝により修繕され、室町時代には西園寺氏、江戸時代には宇和島藩・伊達家の祈願所となっていた由緒正しい古刹であります。

この地は乙女に化身した千手観音菩薩がこもった霊地とされて、古来尊崇されてきた。
6世紀の前半、欽明天皇(在位532〜71)の勅願により、円手院正澄という行者が唐からの渡来仏であった千手観音菩薩像を祀るため、この地に七堂伽藍を建立して開創したのが起源とされています。

のち、天平6年(734)に寿元という行者(役行者小角から5代目)が紀州熊野から12社権現を勧請し、12坊を建てて修験道の中心道場として法灯を伝承した。

弘仁13年(822)には弘法大師がこの地を訪ねている。荒廃した伽藍を見た大師は、嵯峨天皇(在位809〜23)に奏上して勅命を受け、金紙金泥の『法華経』を納めて、諸堂を再興した。

その後、鎌倉時代になってから再び荒れ果てた伽藍の修復に当たったのは、源頼朝である。建久5年(1194)、頼朝は命の恩人である池禅尼の菩提を弔って阿弥陀如来像を奉納、また経塚をきずいて、山号の現光山を「源光山」に改めた。
以来、武士の帰依があつく、室町時代には領主・西園寺家の祈願所として、また江戸時代には宇和島藩主・伊達家の祈願所となり、末寺は70余寺を数えたと伝えられる。
紹介HPより





御本尊 千手観世音菩薩
本尊真言 おん ばざらたらま きりく そわか
ご詠歌 聞くならく千手の誓いふしぎには 大盤石(だいばんじゃく)もかろくあげ石

こちらが本堂です。


天井画がありました!
これは明石寺の信徒が松に鶴、亀などのお目出たい絵柄の絵馬を描いて奉納したもので、1枚1枚に使命と年齢が記入されているようです。


夫婦杉です。

大師堂です。




鐘楼です。

地蔵堂です。


納経所から眺める山門は美しかったです。



寺に隣接し平行に熊野神社がありました。


奥殿は当寺の本堂の横位置に十二社が一列に並んでいます。
主祭神は伊弉諾尊、伊弉冊尊。
天平6年に役の小角の5代後の孫である寿元行者が紀州熊野から十二社権現を勧請して当寺の鎮守とし熊野十二社権現として祀られたようです。
寺と一体であったが、明治の神仏分離で独立してお祀りされるようになったとか。

こちらもお祀りさせて頂きました。