斉東野人の斉東野語 「コトノハとりっく」

野蛮人(=斉東野人)による珍論奇説(=斉東野語)。コトノハ(言葉)に潜(ひそ)むトリックを覗(のぞ)いてみました。

67 【教皇の消されたメッセージ】

2019年12月01日 | 言葉
 「とてつもないテロ行為」とローマ教皇
 教皇としての来日は38年ぶりになるという。フランシスコ・ローマ教皇が11月24日に被爆地の長崎と広島を訪れ、核兵器廃絶を訴えた。若い頃に日本での布教を熱望したというだけあって、発せられた核兵器及び大量破壊兵器廃絶への訴えは、82歳とは思えないほど情熱に満ちていた。訪日の目的はただ一つ、核兵器廃絶の訴えにあったようだ。

「核兵器による威嚇に頼りながら、平和を提案できるのか?」
 世界唯一の被爆国であり、なお核抑止力と「核の傘」に守られていると信じる日本の国民に、教皇は問い掛けた。日本政府は核兵器禁止条約の批准に対して「現実を十分に踏まえた条約ではなく、核兵器保有国からも非保有国からも支持を得られていない」(25日、菅義偉官房長官の会見から)と否定的な立場をとっている。教皇の問い掛けに菅長官は「核を含めた米国の抑止力を維持強化してゆくことが現実的で適切な考え方だ」と反論した。

 教皇の発言は明快であり、神に仕える身として正直かつ遠慮のないものだった。教皇は長崎で、こうとも明言した。
「武器の製造や維持、改良は、とてつもないテロ行為だ」(25日付け東京新聞朝刊ほか)
 コトバは使い方次第で強くもなり、弱くもなる。教皇の言によれば米国やロシア、中国といった軍事超大国は例外なく「テロ行為の国、すなわちテロ国家」ということになる。核兵器こそ持たないが、日本とて世界有数の軍事大国である点は変わらない。世界に多くの信奉者を持つローマ・カトリック教会のトップとはいえ、言い切るには勇気が必要だったろう。従来バチカンの立場とされてきた「最小限の核抑止力は認められるべき」から、一歩前へ踏み出すコトバでもあった。キリスト教徒でない筆者でさえ「よくぞ、はっきり言ってくださった」と、仰ぎ見るような敬意を覚えたものだ。

 消されたメッセージ
 ジャーナリストたちの思いも同じだったのだろうか。発言翌日の大手各紙朝刊は、そろって「とてつもないテロ行為」のコトバを軸に報じた。ところが、ところが、である。最大手の読売新聞(13S版)に、このコトバはなかった。1面、社会面のほか7面には特集「ローマ教皇フンシスコ 長崎演説の全文」及び「広島演説の要旨」を組み、演説内容の紹介に大きなスペースを割いたにもかかわらず、である。他紙や共同通信、時事通信が電子媒体も含めて「とてつもないテロ行為」の語をこの日の記事のキーワードとして取り上げていたから、読売新聞の扱いは余計に目立ってしまった。

 読売1紙だけを購読している読者は、この違いに気づかなかったかもしれない。しかし、たまたま他紙に目を通した人を含め2紙以上を読み比べてみた人は、この点に甚だしい違和感を覚えたはずだ。「なぜ読売新聞は『とてつもないテロ行為』というコトバを削ったのか?」と、首をかしげたに違いない。
 もっとも、多くのジャーナリストが下したであろう結論は、容易に想像がつく。政権寄りの論調か目立つ同紙ゆえに、米国と同盟関係にある安倍政権の立場を慮(おもんばか)ったのではないか、ということだ。いわば忖度(そんたく)。米国を「とてつもないテロ国家」と名指すことは、刺激が強すぎるのである。

 テロとは何か
 現代の国際法にはテロリズムの語に関して統一した定義がないという。ここでもう一度テロとは何かを考えてみたい。詳細は当ブログ「35【テロリズム】」に譲るとして、このコトバに対する現代的な理解は「民間人を脅迫または威圧し、政府の政策に影響を与えること。大量破壊、暗殺、誘拐、人質行為により政府の行動に影響を与えること」(「アメリカ愛国者法」、2001年制定)とする定義がスタンダードだ。他国の政策や行動に影響を与えるという意味では、たとえ「抑止力」の語が付いてもテロ行為であることに変わりない。北朝鮮の核武装がテロ行為なら、全地球を一瞬にして破壊する米ロ中3国の大量核兵器保有もまたテロ行為なのである。
 
 歴史をさかのぼれば第二次大戦中の英独両国の都市空爆合戦、なにより米国による日本全土への空爆と二度の原爆投下は、女性や子供などの非戦闘員を巻き込んだ無差別殺傷テロだった。まさしく「民間人を威圧し、大量破壊により政府の行動に(戦争終結を促すべく)影響を与える」行為だった。
 現代の日本では「過激派のテロ」など、反・非政府武装勢力の殺傷行為を指すコトバという理解が一般的だ。しかし、これまで米国は中米や中東の反政府武装勢力に対して幾度となく武器を供与してきたし、中国も「政権は鉄砲から生まれる」(毛沢東)と公言する国家だった。フランシスコ教皇や「アメリカ愛国者法」が意味する「テロ行為」は、日本で通用しているコトバのイメージとは異なる。

 報道サイドの忖度(そんたく)
 「テロ行為」は、現代の日本では意味の揺れているコトバ、それゆえ誤解されやすいコトバだ。「とてつもないテロ行為」のコトバ削除も、好意的に解釈すれば、誤解を避ける意図だったのかもしれない。あくまで筆者の一方的な解釈、憶測にすぎないが・・。
 しかし、そうだとしても削除が適切な処置だったとは言い難い。見出しに「演説」と明記しながら、インパクトのあるコトバを、インパクトが強いという理由で削ってしまうのでは、報道の公正な姿勢からは遠い。誤解されやすいコトバなら別項を建てて解説しても良いし、後日改めて「テロ」というコトバの特集を組んでも良いはずだ。削除した後で何もせず、素通りしてしまうのは報じる側の怠慢である。
 最近は「フェイクニュース」というコトバがメディアを賑わしている。ウソのニュースを流すことが大きなフェイクなら、コトバを意図的に変えたり削除したりするのは小さなフェイクだろう。「とてつもないテロ行為」発言の削除は、フランシスコ教皇には顔を向けず、もちろん読者にも顔を向けず、もっぱら日米首脳に顔を向けた、報道サイドの忖度である。

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