斉東野人の斉東野語 「コトノハとりっく」

野蛮人(=斉東野人)による珍論奇説(=斉東野語)。コトノハ(言葉)に潜(ひそ)むトリックを覗(のぞ)いてみました。

44 【花の名前・春】

2018年04月11日 | 言葉
 満天星
 「満天星」と書いて「ドウダンツツジ」と読む。「満天星躑躅」や「灯台躑躅」と表記したり、「満天星」で「ドウダン」とだけ読ませたりする場合も。ツツジ科の落葉低木で、釣鐘の形の、直径3-5ミリの小さな白い花を無数に咲かせる。同じドウダンツツジ属の仲間には、花の色の黄色がかったシロドウダンや、赤色のベニドウダンなどもある。それにしても、なぜ「満天星」という美しい名がついたのか。夜空ではなく、昼の空に散りばめられた満天の星。「ん?」と首をかしげる人は多いかもしれない。
 筆者宅の玄関先にも、一階の屋根に届く高さのドウダンツツジの木が1本植えられている。家の元所有者が植えたものだ。新芽を刈り込まないせいか毎春盛大に咲く。ちょうど今が花の盛りで、よく晴れた春の青い空をバックに無数の白い花が咲き揺れる様子は、真に満天にまたたく星々に見える。枝の届く範囲全体が小宇宙のようだ。「満天星」の名は花の形に由来するのではなく、星空にも匹敵するかと思えるほどの花の数に由ることが分かる。
 
 こんな言い伝えもある。中国・道教の祖である老子が霊薬を作っている時、誤って霊水をこぼし近くの木にかかった。すると霊水は満天の星のようの枝々に輝いた――と。「満天星」のほかに「灯台躑躅」(読み方は、どうだんつつじ)の表記も。枝分かれした様子が3又状の台架に灯明皿を置いた照明具「結び灯台」(岬の灯台ではない)に似ていたところから名づけられたようだ。植物学者の牧野富太郎博士も支持したことで、お墨付きとなった。ちなみに「結び灯台」をイメージするには、割り箸3本と輪ゴムを用意すると良い。高さ3分の1ほどの所を輪ゴムで束ね、長い方(3分の2)を下にして脚として開き、上になった短い方(3分の1)を腕に見立てて灯明皿を抱かせる(置く)。その昔、宮中で用いられた照明器具である。実際にドウダンツツジを観察すると、1つの枝から3-5又が分かれ、さらに分かれた枝が伸びて、分岐を繰り返している。残念ながら割り箸で描いたイメージとは異なる。脚の部分が常に1本だから灯明器具としては不安定だろう。無理のある説に思える。
 まだある。「灯台躑躅」の「灯台」を、なぜ「どうだん」と読ませるのかも不審だ。次第に発音が変化して「どうだん」になったとする説明が有力だが、強引過ぎて説得力がない。「躑躅」はどうか。『漢語林』(大修館書店刊)によれば、「躑(てき)」も「躅(ちょく)」も同じく「行きつ戻りつする、立ち止まる、たたずむ」の意味。同義字を重ねた「躑躅(てきちょく)」の字にも「ツツジ」のほかは「足踏みする、行きつ戻りつする」との意味があるだけ。「素通りしてしまうには惜しい花」「つい立ち止まって見入る花」だから、こちらは花の名にぴったりのネーミングだ。なぜ「どうだん」かが最後まで引っかかる。
<雲ひくし満天星に雨よほそく降れ>(水原秋櫻子)
<触れてみしどうだんの花かたきかな>(星野立子)
 春も後半の落花時期なのか、細雨にさえ落ちてしまいそうな小さな花。盛んな頃の花は硬くて風雨にも強い。視覚と触覚。

 山吹
 花や木の名前には満天星以外にも馬酔木(あせび)や紫陽花(あじさい)、百日紅(さるすべり)、秋桜(こすもす)、公孫樹(いちょう)、山茶花(さざんか)など読み方の異なる漢字の当て字(借字)が多い。どれも趣があり、考え抜かれたネーミングに感心させられる。この点、山吹(やまぶき)は『万葉集』から歌い継がれてきた代表的な花なので、他の漢字は当てにくかったはず。古来、清楚な美女に喩えられることが多く、蕉門十哲の一人に数えられる森川許六は『許六百華賦』という本の中で「山吹の清げなる、眉目貌(みめかたち)すぐれ、鼻筋おしとをり、襟廻り(うなじ)綺麗に生まれつき透融(すきとおる)などといへるばかり」と書いている。

 室町後期の武将、太田道灌生誕の地と伝えられる埼玉県越生(おごせ)町には「山吹の里歴史公園」があり、筆者も山吹の花の盛りに何度か訪ねた。道灌が鷹狩りの帰りに雨に降られ、蓑(みの)を借りようと、山吹の花が咲く農家へ立ち寄る。すると娘が出て来て山吹の花を1枝、道灌へ差し出した。訝(いぶか)りつつ帰るが、後日、家臣から「山吹の花」の意味を教えられた。<七重八重花は咲けども山吹の実の一つだに無きぞ悲しき>(兼明親王、『後拾遺集』)。美しいが実を結ばない八重咲きの山吹の花になぞらえ、古歌中の「実の一つさえ無き」で「(貧乏ゆえ)蓑一つさえ無き」と伝えたかったのだと。「咲けども実の無き」には、娘自身の現在の境遇を伝える意味も込められていたのだろう。道灌は恥じて、以後、歌の道に励んだという。越生町に限らず「山吹の里」伝説は東京・豊島区など各地にあるが、ビルの谷間の史跡では、時代をイメージしにくいかもしれない。水車小屋を中心に3千株の山吹が咲く越生の公園は、往古をしのばせる鄙(ひな)びた風光をとどめる。
<ほろほろと山吹散るか滝の音>(芭蕉)
 やはり、この一句か。

 雪柳
 雪柳(ゆきやなぎ)も山吹と同じ落葉低木。名の通り柳の枝に雪が積もったごとくに無数の小さな花が咲く。地面に散った様子が米粒のように見えることから「小米花(こごめばな)」の別名も。山中の渓谷沿いなどに咲く自生種は絶滅が危惧されるほど希少になったが、見た目の愛らしさや華やかさ、面倒な手入れを必要としない点が歓迎され、庭先や公園で、しばしば見かける。筆者も春の花として真っ先に思い浮かべた。
 それにしても春の花には小さくとも数多く咲くものが多い。筆頭格の桜、馬酔木、ドウダンツツジ、そして山吹や雪柳(ゆきやなぎ)、藤……。どの花も長い冬に耐え抜いて咲くゆえに、人は派手やかで圧倒的な花の数に目を奪われるのだろう。一方で桜を生涯のテーマとした花芸家、故・安達曈子さんを取材した時に、おっしゃっていたコトバも思い出す。
「桜は咲いた時、散った時ばかりが美しいのではないのよ。咲こうとして冬の寒さに耐えている蕾(つぼみ)の漲(みなぎ)りにこそ、花としての本当の美しさがあるの」
 含蓄のある人生論でもある。人生に大輪の花を咲かせた人だからこそ、漲っていた若い日を振り返って言えるコトバでもあったのだろう。
<雪柳花みちて影やはらかき>(沢木欣一)
 花影は春らしくおぼろだ。

43 【春の味覚・山菜】

2018年04月01日 | 言葉
 木の芽
 「ビールには、これが最高なんだよ!」
 地域新聞編集長の山田サンが、小さな顔には不釣り合いな大きな目をさらに大きく開き、言ってから小鼻をうごめかせた。食卓の大皿には初めて見る山菜が豪勢に盛られ、冷やっこい汗を滴らせた瓶ビールも2本。古い民宿兼食堂の大きな広間を、気持ちの良い初夏の風が吹き抜けて行く。新聞社の六日町通信部へ赴任して間もない頃、山好きの山田サンに誘われて新潟県塩沢町(現・南魚沼市)の巻機山(まきはたやま、1967メートル)へ日帰り往復で登り、明るいうちに麓の清水集落へ下りて来たところだった。
「何ですか、これ?」
「木の芽だよ。東京では木の芽と言ったらタラノメのことだけど、新潟の魚沼じゃ、木の芽はこれのこと。ミツバアケビの若芽、ツルの先っぽサ。まずは食ってみなよ!」
 ハシで大づかみにして口へ放り込む。苦いが、それゆえ野趣味は満点かつ絶妙。醤油とかつお節の素朴な味付けが実によく合う。ビールとの相性も抜群だった。まだ20代の筆者は以後かぜん山菜好きになるが、どんな種類の山菜を口にしても、あの日の大盛りの木の芽と山田サンの丸い目と、民宿の広間を吹き抜けた5月の風を思い出す。

 ミツバアケビは五葉のアケビとは別種。ツル性の落葉樹で、ツルの新芽14,5センチくらいを採取する。軽く折り採れる長さで摘むのがコツで、その部分のみ柔らかく苦味も少ない。関東でも採れるが、新潟など雪国の木の芽の方が太くて柔らかく、味は格段に良い。土地の人は囲炉裏の灰でアク抜きをして、ほどほどに残す苦味の加減が上手。すっかり抜いてしまってはスーパーの野菜と変わらなくなるので、野趣味を感じさせる適度の苦さが山菜の生命である。筆者も自分で採って来た木の芽を何度となく重曹でアク抜きしてみたが、清水集落で食べた木の芽の味ほどに仕上がったことは一度もない。

 フキノトウ
 旧守門(すもん)村(現・新潟県魚沼市)の農民詩人、岡部サンを訪ねると、お茶うけにいつも出してくれたのがフキの酢味噌和えだった。咲き始めの花(フキノトウ)と若葉を細かく刻んで酢味噌で仕上げる。おばあちゃんの特製で、この味も後々思い出に残る絶品。いつもマイカーで訪ねるのでアルコールはダメ、いただく時は文字通りの「お茶うけ」だが、ある時お願いして自宅へ持ち帰り、日本酒をチビリチビリやりながらつまんでみた。予期した通り、ほろ苦さと独特の香りが理屈抜き、かつ解説無用の美味さ。次に訪れた時に作り方をおばあちゃんから教えてもらい、以後は自分でも作った。おばあちゃんの酢味噌和えには遠く及ばないが、そこそこの味は出せるようになった。
 フキノトウは関東でも採れるが、雪解けのしずくの下から顔を出す雪国のそれと、日当たりの良い野山に咲く関東などのそれとでは、味も香りもだいぶ違う。色からして雪国のフキノトウは黄色が淡い、というか白っぽく、関東のそれは黄色が濃い。陽光を浴びたぶんだけ苦味も関東の方が強いようだ。料理法は酢味噌和えのほか、てんぷら、味噌汁の具など。他に具を用意したうえで、摘みたてを細かく刻んで薬味代わりに少量味噌汁に入れると、春の香りが楽しめる。丸ごと具にすると苦くて食べられない。

 雪国の新潟では、木の芽やゼンマイ、ワラビといった山菜は、雪解けを待たなければ食卓に上らない。その意味でこれらの山菜は、正確には初夏の味である。ところがフキノトウだけは雪解けとともに道端や田の畔の、黒い土が真っ先に表れるような場所に顔を出す。正真正銘、春到来を告げる味だから、雪国の人は、最初のうちは大いに歓迎する。ところが雪解けが進み、あちこちにフキノトウが咲きあふれるようになると、もう見向きもしない(ように思えた)。雪解けの後はゼンマイやヤマタケノコなど市場に出荷しても高価で買い取ってもらえる山菜類が豊富になるので、あるいは、そのせいかもしれない。保存しやすい酢味噌和えにして食べ続ける岡部サン家(ち)のおばあちゃんは、だから、真に雪国の春の味を大事にする人なのである。

 ヤマタケノコ
 山地に大群落を作っているネマガリタケ(根曲がり竹)のタケノコ。山の雪が消え始める頃、地上へ長さ10センチから20センチほど伸びた、鉛筆より少し太いくらいの部分を採集する。苦味は少なく、独特の春の香りが素晴らしい。数ある山菜のなかで筆者が美味ナンバーワンに推するのは、このヤマタケノコである。
 前出の山田サンは名がタケオで、親しい人たちは「やまたけサン」と呼んでいた。山好きの「やまたけサン」はヤマタケノコ採りの名人でもあった。朝早くから小ぶりなズック地のリュックを背負い、鉄サビの浮いた愛車に飛び乗ると、いつも夕方にはリュック一杯にヤマタケノコを詰めて帰ってきた。「どこで採ったのですか?」と尋ねても教えてくれず、何度同行をお願いしても、はぐらかされた。総じて土地の人は春の山菜、秋のキノコの採集場所を、自分だけの“秘密の場所”にしていて他言しない。ケチなようにも思えるが、ヤマタケノコには「まッ、独占したがるのも無理はないか!」と思わせるだけの味がある。
 初めて食したのも山田サン宅、というか自宅を兼ねた地域新聞の編集室。自由民権運動華やかなりし頃、激こうして刀を振り回した壮士の付けた刀傷の跡が、天井の梁に残る小部屋だった。夕方、仕事が一段落したところで呼ばれて行くと、採ってきたばかりのヤマタケノコをご馳走してくれた。皮付きのまま台所で焼いたホクホクのヤマタケノコを、招かれた何人かでワイワイやりながら皮をむいて食べる。そのままでも美味しかったが、味噌や醤油をつけてもイケた。こちらも理屈抜き、かつ解説無用の美味さ。ご理解いただくには自分で食べてもらうしかない。
 筆者が好きなのは、皮をむいたヤマタケノコを1・5センチほどの長さで輪切りにし、味噌汁の具にする食べ方である。フキノトウを味噌汁に使う時と同様アク抜きはせず、苦味の強弱は量の多少で調節する。その方が苦味や香りといった野趣味を生かせる。タラノメやフキノトウは天ぷらにしても美味しいが、てんぷらにすると苦味が抜け過ぎてしまいがちだ。もちろん好みの問題ではあるが――。

 他にもゼンマイやワラビなど山菜は多種あり、限られた行数では書き尽くせない。分野を野草にまで広げると、雪のない関東でも日当たりの良い土手に茂るカラシナやノビルなど、個性的な味の野草はさらに増える。季節を実感するには桜花に限らない。口の中に広がる春を味わってみては、どうだろうか。