斉東野人の斉東野語 「コトノハとりっく」

野蛮人(=斉東野人)による珍論奇説(=斉東野語)。コトノハ(言葉)に潜(ひそ)むトリックを覗(のぞ)いてみました。

断想片々(16) 【幼児コトバの横行闊歩】

2020年09月18日 | 言葉
 「2個の評価」
 アマゾンの通信販売は書籍に限らずよく利用する。書籍だと新刊本以外は街の書店に無い場合が多く、この点、通信販売なら簡単な検索で探し出せるから便利だ。たいていは「送料無料」だから、買いに出かける手間と出費も省ける。

 書籍を買う際は当該書籍の評価欄を参考にしている。アマゾンでは少し前から、欄の見出しの助数詞に「個」を使うようになった。例えば「2個の評価」のように。以前は「2つの評価」もしくは「2件の評価」の如く、助数詞は「つ」か「件」だった気がする。なぜ「個」に変更したのだろう。正直、がっかりした。「個」を多用するのは、助数詞の使い分けに疎(うと)い幼児の特徴だ。知性が問われる書評欄に「2個の評価」は、ふさわしくない。

 「個」の多用は最近の若い人の傾向でもある。「カレと私は5個違い」や「5個の会社から(就職の)内定をもらった」などなど。なぜ「5歳違い」や「5社」と言わないのだろう。片手の指をしゃぶりながら、空いた方の手で婚姻届けや履歴書を書いている姿を想像してしまうのは、筆者だけか。

 「同学年」と「同級生」
 幼児語の横行闊歩は若い人たちの間ばかりではない。コトバのプロであるはずのアナウンサーまでが、プロ野球中継で「○○選手と☓☓選手は同学年で‥‥」と解説している。同じ年の甲子園大会に共に出場していた、あるいは神宮での大学野球で対戦した--と説明したい場面であるなら分かるが、単に「同年齢である」という意味で使っている。果ては「同級生で」という言い方まで飛び出す。出身校が異なるのに「同級生」であるはずもない。
 なぜアナウンサーたちは「同学年」や「同級生」を使い、「同年齢」や「おないどし」「同年」等を使わないのか。「同学年」と「同級生」と「同年齢」とでは、どれも意味が異なる。不正確なコトバは誤解の元だ。

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