斉東野人の斉東野語 「コトノハとりっく」

野蛮人(=斉東野人)による珍論奇説(=斉東野語)。コトノハ(言葉)に潜(ひそ)むトリックを覗(のぞ)いてみました。

断想片々(2) 【「巨大津波を予見できた可能性はなかった」】

2019年10月03日 | 言葉
 東電福島第一原発事故で業務上過失致死傷に問われた元東電会長ら3人の経営陣に、東京地裁は「3人には、巨大津波の来襲を合理的に予測できた可能性がなく、事故の発生を予見できなかった」として、無罪判決を言い渡した(2019年9月19日)。これに対し検察官役の指定弁護士は9月30日、「判決の確定は著しく正義に反する」と控訴した。
 国の地震調査研究推進本部は2002年に「三陸沖から房総沖では、マグニチュード8・2前後の津波地震が、30年以内に20%の確率で起きる」とする「長期評価」を公表していた。この数字をもとに東電は08年に「最大15・7メートルの津波が福島第一原発に襲来する」との試算結果を出した。裁判の焦点は、試算結果を把握していた3人の責任を問えるか--。判決では「『長期評価』の信頼性には限界があった」と3人を庇った。
 納得しがたい判決である。3人は、より厳密な調査を指示できる立場の経営トップだった。であれば「予見できた可能性の有無」が問題ではなく、さらなる厳密な調査を怠ったこと、そのために「予見するに到らなかった」責任が問われるべきだ。問題の立て方が違うように思う。

 世界有数の地震列島である日本に、原子力発電所はふさわしくないのだろう。火力発電所ほどには二酸化炭素を排出しないといっても、いざ事故となれば海と沃野をかくも汚染してしまう。経済効率が良いはずなのに、事故後の処理費用のツケは問答無用で国民の電気料金に加算される。日本もドイツを見倣い脱原発へ国策を転換すべき時が来ている。

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