出目金が行く

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

勉強って何?その181

2017-09-28 05:55:10 | 日記

M電機というと、自分が住んでいる古都K市においては大口納税者である。もちろん東証一部上場の大企業である。

その会社で、電通と同じような事件が発生して、あげく裁判沙汰になっているという報がとびこんできた。

何ゆえに、同じような事柄の事件がおきるんだろうか?その原因って、いったいどこにあるんだろう?

 仕事に負ける?!  

おかしな話だけれど、自分には、どうしてもこのように映ってしまうのだ。

人ってやつは、一筋縄ではとらえられない生き物で、見渡せば、様々な人がいるのだから、原因を「これだ!」ときめつけるのはむずかしいかも

しれないが、自分たち団塊世代が同じような年ごろに思いをはせると、はたしてどうだっただろうか。そんなニュースを聴いたことがない。

もしかして、実際は、自分たちの頃にもそういう事件があって、騒がれないのは報道されなかったからにすぎないだけなのかもしれないが、

少なくても、自分の身の回りにおいて起きたという話は聴いたことがないのである。

いま思えば、自分たちが、いわゆる企業なる「会社勤め」を始めた頃は、いまでは想像できないような環境だろう。いわゆる軍隊式が幅を利かせ、

支給された服に自分を合わせろ、ってな具合のやり方がまかり通っていた時代である。夜討ち朝駆け当たり前ってやつで、今の若い人からみたら

「ばかじゃない!」とか「くるっている! ひどい!」というような感想が沸き起こるだろう。けれど、当時はそれを何とも苦にしない自分たちがいたの

だから・・・・今思えば、ふしぎっていうことになるんだろうな。

そんな感傷は置いておいて、なにが言いたいかというと、やはり、原因の一つに「いまの教育」があるようにおもえてならないのだ。

学習塾がこれほどまでに繁栄するこの時代って、自分たちには想像できないのですよ。いわゆる「学校のべんきょう」のために学習塾に通う

なんて自分たち団塊世代には「え!どうして?」なんですよ。受験べんきょうで予備校ってことならわかるんだけれど、普段の学校のべんきょう

のために学習塾っていう感覚には理解ができないんです。なぜ?どうして?そこまでしなくちゃいけないの?

その原因こそ「受験」じゃありません。受験に特化した私立の学校に合格者が偏る。それをわきで見ている親や教師が「これじゃいけない、それ!」

ってなる。いい学校を出なければ勝ち組になれないという思い、そういう学校出身の偉人のお歴々がいて、身近にもそれに近しい人を見ている。

なれば、じぶんのこどもにはせめて・・・より良い教育を、となるに違いない。その結果が「お受験」(いまでは死語の『教育ママ』)というわけだ。

いい学校を出ないと、いい暮らしが出来ない、つまり、格差社会にあってその「格差」の壁に阻まれないためには・・・・どうしても・・・・いい学校。

最近の新聞に載っていた記事をおもいだした。フランスでも「格差」があって、歴代の大統領の出身学校のほとんどがいわゆる金持ちの家庭の子

っていうのが問題視されて、特待生の制度を作ってそれを修正ってことになったらしい。(自分思うに、これが解決にはならないだろう)

世の中の意識がそうであるからこそ、もうしわけないけれど、「仕事に負ける」ような人が産出されるんじゃないか、ときわめて非情な発言ですが、

自分にはどうしてもそうとしかおもえないのです。つまり、、そういう社会の餌食となってしまったってことなんです。

受験のためのべんきょう(という名前の、じつは単なる学習という作業)って、「予め解答の備わっている問題」と対峙するだけじゃないですか。

記述式云々っていたところで、いわゆる「想定の範囲」という解答めいたものがあるわけですから、「予めある」とおなじことなのよ。

ところが、世の中みてください。「あらかじめ解答のある問題」ってありますか?答えは「いいえ」じゃないですか。そんなものどこをさがしても

ないんですよ。昼飯何食べるっていうささやかな問題ですら、自分で解答を創りだすしかないわけです。答えの全てに「創造」という行為が必要

になるわけです。それを、実社会という実戦の場に出る以前の「学校」において、模擬学習・訓練で身に付けることが「学校の役目」です。

それが教育で、その中味はですから「仕事の仕方を学習する=WORK STUDY=勉強の仕方を学習する」となるですが・・・・?

それじゃ、いまなされている教育はというと、受験すなわち学校に合格するためだけの学習=単なる学習にすぎません。学校がすべて?いいえ。

学校はあくまでその人の人生の一部分です。それはですから「JOB=a piece of work」すなわち「仕事の一部分=作業」でしかないのです。

いまほとんどの学校がしていることって、学校に合格するための「学習」じゃないでしょうか?そんな教育ですから、いざ、実社会にでると、

戸惑いや行き詰まりに対面して、どうしたらいいのかわからなくなるんです。

いざって時のために、技(わざ)や術(すべ)が必要になる。だから、身に付けようとするし、上手に使えるように励む(これを訓練と申します)。

そのための時間こそが「学校」じゃないでしょうか。でも、しかし、今の学校はというと・・・あやしいですね???・・・・

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

勉強って何?(つぶやき編4)

2017-09-24 17:55:49 | 日記

たったの数人の資産が、数億人の資産より多いっていう。グローバルですから、そうなるのは当然です。いまの企業だって同じで、おそらく世界水準

でみたら、日本国では「トヨタ」ぐらいじゃない上位にいるのは・・・。日産の社長さん、名前なんていいましたっけ?その彼の給与ってすごいじゃない!

あきれるぐらいの額だったように記憶しているんですが、これだって世界からみたら騒ぐほどの額じゃないってことになるんでしょうね。

ソフトバンクや楽天といったIT企業は高給もらえそうだけれど、彼らだって世界を相手にしのぎを削っているのだから、日本国のことなどどうでも

よくて、とりあえず税金納めておけぐらいにしか思っていないし、ユニクロだっておなじようなものでしょう。自国のためにはそれじゃって

国産でやりましょうなんて言っていたら、世界からしめだされつぶされるんですから、日本の中小業者なんて頭にはないわけよ。

このような現象が一方にあるからこそ、どの国でも、「自国が一番」っていういわゆる右傾化がわきあがるんですよ。アメリカも、フランスも、ドイツですら

「愛国」的政治団体・政党が急進しているじゃないですか。なるほど!っておもいません?

 求人なんて増えないのですよ。世界を相手にしている企業が、どこぞの地方自治体の長が言い出した「地元採用優先」ならぬ「自国民優先」

なんてことできるとおもいます?団塊世代が現役の頃は、会社が伸び盛りだったから、その恩恵が降っていたけれど、いまそんなものはないわけよ。

まして、外注という価格競争があるから、給与を上げられないわけよ。だから、アンケートしても、さほどに良くなったとは思えないって回答が多くなる。

 これまで、いい大学からいい会社それが「しあわせ」の近道って考えて、受験に心血を注いできたけれど、それだって、これからはあやしいものだと

じぶんはおもっているんです。・・・・とここまで書いてきて、我が家のお犬様がごはん・ごはん(ワンワン吠えている)と言っているので、途中ですが

しつれいするよ。だって、嫁さんに叱られるんですよ、わたし。

あ!そうそう 「ファースト」とかいっている人がいたけれど、だいじょうぶ? なにやら韓国がどうこうって騒いでいたじゃないですか?

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

勉強って何?(つぶやき編3)

2017-09-24 06:28:44 | 日記

電通のトップつまり社長さんが裁かれた。有罪だそうで、世の中に頭を下げている姿が紙面に載った。

モーレツっていうCMをごぞんじだろうか? 団塊世代には懐かしい言葉で、おそらく、自身の現役時代を思い出しているはずである。

社員のほとんどが「36協定」という法律違反なのだそうだ。いっちゃなんですが、そういわれたら、振り返ってみれば、自分なんぞ、

ほぼ毎日36協定違反の常習者だったわけで、23時退社5時出社なんてことが年に数回あったので、いわゆる泊まり込みってやつだ。

36も何もあったものじゃない、けれど、いわゆる「やらされ感」というものはまったくなくて、ほぼ毎日が充実していて、いわゆるひと仕事

がけりがついた時の達成感における満足と充実に、自分が浸っている歓びを感じていた・・・・・というおもいでがよみがえる。

いわゆる、仕事を「負」とはすこしもとらえていない自分がいるのであって、むしろ、仕事で遊んでいると、はなはだおかしな表現だけれど、

心の中では、そんな気分で楽しんでやっていたように、今思うとそんな気がする。というのも、やりたくないことは続けられないのが自然で、

おそらく、どこかであきらめるとか、やめているはずで、最後までは行きつかないとおもうのだ。

ならば、どうして、自分たちは、今思えば非常識と思えることを喜んで進んでしていたかというと、自分がしていることの中に、

自分が活かされて、自分という個が表現されて、そこに自己満足をみて、いわゆるいきがい・やりがいを体感し、獲得していたからじゃないか、

と、つまり「すべてが納得づくの上でなされていた」ということだろう。

仕事をあそぶなんて、ふざけたことを言うな! と叱られそうだけれど、ここでいう「あそび」っていう言葉は、いわゆるレジャー・気晴らし、遊興って

意味じゃない。もともとこの「あそび」漢字でいう「遊」っていう文字の意味は「あちらこちら歩き回る・ゆらゆらさまよう」という意味すなわち「体験する」

あるいは「経験する=なんでもやってみる」という意味の「遊び」なのだ。これって、俗にいう「子どもに遊びは大切だ」という意味での「遊び」とおなじ

じゃないだろうか。つまり、人間ってその生来の性質―生まれつきに持っているものの中に、そのような気質をたずさえているのだと思う。

それを子ども心って、大人たちは看做しているようだけれど、年齢を重ねようと、その気質はなくならないのだ。だからこそ、仕事で遊べるのだと

じぶんはおもうのです。

自分は常々こうおもっているんです。生活っていうでしょう。生きると活きるって書いて「生活」っていうじゃないですか。

生きるは生物すなわち動物として、それじゃ、活きるは?自分を活かすつまり「明日の自分を創造するために今日の自分がある」ってことじゃ

ないだろうか。ということは、自分たちの生活っていう行為すなわち生きているって姿が携えている性質って「創造性」というモノを備えている

んじゃないだろうか。とすれば、生きる=活きる=生活=創造的行為ってことになりません。

あれ!。創造的行為ってどこかで聴きませんでした? そう。川喜田先生の「チームワーク」って本にかいてあったような・・・。

勉強した方がいい、万人みなそう気が付いているその理由が少しわかりかけたようで、じゃこのへんで、つづきはまたね。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

勉強って何?その180

2017-09-23 07:30:43 | 日記

人手不足なんだそうだ!?え!だって?I・Tが幅を着かえて、ロボットが導入されて、どんどん人手が要らなくなっているっていうじゃないですか!

なのに、人手不足????じっさいは、もしかして、人材の不足っていうのが真実なんじゃありません。

人手と人材とはまるでちがいます。どこが違うかというと、「頭ーおつむ」です。人手とは素直に「人の手」つまり人そのものですが、人材となりますと、

この「材」がくせもので、「木+才」の「才」とは才能・才覚(もじって西鶴!)を意味していますので、木であればどんなものでも、というわけではない。

いってみれば、「お役立ち」に適わなくてはならないのです。それを、仕事におきかえますと、みなさんがよく言う所の「仕事のできる人」ってなります。

人手はそれとは関係ありません。言われた単純作業さえできればよろしい。人材すなわち仕事ができる人とは、文字どうり「仕事」が身に付いて

いて、指図されなくても、始まりから終わりまでを自己責任において遂行できる人をいうのです。

今、実社会ならぬ「会社」が求めているのは「人材」であって「人手」ではないのですが、実社会に出てくる若人たちのほとんどが「人手」なのであります。

人材の欲しい会社の人たちは、じつは、戸惑っている、あるいはあきれるしかないのです。「・・何でこんなのしかいないの??」とためいきをついています。

その原因が、学校にあるのです。学校の先生って、じつは社会経験がゼロの人たちなんです。ごらんなさい、大学を出て採用されているのです。

せいぜいが、社会経験といえば、いわゆるアルバイトしかありません。アルバイトなんて単純作業要員でしかありません。作業員であって仕事人じゃない

のですよ。正社員っていうでしょう?なぜかわかります???「正」つまり何が正しいかというと、「仕事が身に付いている=そういう能力をもっている」

ってことを意味しているんです。でもって、どうしてそういう人材が供給されないかというと、先ほど指摘の社会経験のまったくない先生の存在です。

本来学校が学習させるべき内容は「WORK STUDY=仕事を学習する」なのですが、今何しているかというと、受験=学校に入るための学習で、

「STUDY STUDY」というべき単純学習作業なんですよ。一見するとお利口さんのように見えますけれど、実際は仕事ができないんです。

そりゃそうです。仕事の仕方が身に付いていない。要するに教える人間=先生たちがわかっていませんから。

 電車に乗っていて驚くのは、みんなスマホをいじっていることです。なにしているんでしょうね?スマホって「バカ」製造機にみえるんですが?

I・Tが進むほど、バカが増殖されているように見えるんですが、アナログおじさんは時代遅れってことか・・・・では、また。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

勉強って何(つぶやき編2)

2017-09-21 08:22:52 | 日記

宗教活動こそが、いわゆる商売(ビジネス)の原風景なのです。寅さんのあの姿に、我々は商売の本質をみているのです。

イスラム教であれ、仏教であれ、キリスト教であれ、その活動には「商売=ビジネス=ご利益」という

本質が備わっているのです。その理由はすこぶる単純明快です。人は食べなければ生・活できないのです。その生活の基って、今でいう「お金」

なんですから、いわゆる経世済民=経済活動=商売=ビジネス=儲ける=食べていける=生・活できるじゃありません?ちがう????

そのいずれもが「商売」という人間の営む活動を連れ添うようにして広まったわけです。その証拠に、「ご利益」と書いて、「ごりやく」

ってよむじゃないですか。ご利益って???なんですか!!!!儲かったってことでしょ。つまり経費を差引して黒字ってことです。

わたしの住むK市は古都といってたくさん寺があります、その住職の奥さんのほとんどが商家の出身なんです。いってはなんですが、

銀座のママさんのような雰囲気をお持ちの方が多いんです。いわゆる客あしらいが上手な方なんです。・・・・出ないとお寺の奥さんは務まらない

のは、お寺すなわち商売だからなのです。(政治家の奥方もおなじじゃありません?)

今風にいうと、ホテルや旅館の「おかみさん」といえばわかりやすいでしょうか。

こんな話をどうしてするかというと、私たち、どうも、「あきめくら」に陥っているんじゃないかと。何に?勉強っていう言葉にです。

見えているようで、じつはまったく見えていない、それが「勉強」って言葉じゃないかと。

今,べんきょうっていえば、じっとして頭を使う行為で、その結果として、いわゆる知識量があって、賢そうに見えることで、

「できる人」「できない人」にランク付けという「格・差」を付ける物差しとして使われている。

個の尊重なんて言っているけれど、物差しは一つだから、「違い=差」になっているわけだ。だから、少しも「個の尊重」じゃないわけよ。

だから、いじめという集団行為がなくならないのですよ。「みんな」というそれはそれは香しい言葉が、その毒牙を帳消しにしてくれるんですから。

仲間・みんな・・・人には徒党を組みたがるそういうホモサピエンスの本質がそなわっているんじゃ。だから、虐殺が起きるんじゃありません。

「勉強」という言葉について、今こそ、それがどういう行為なのか、見つめ直す時期に来ているように思うのですが・・。

てな具合で、べんきょうという言葉の本来の意味である「勉・強」=「子どもを産んで育てる」=「創造的行為」をわすれて、

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする