M電機というと、自分が住んでいる古都K市においては大口納税者である。もちろん東証一部上場の大企業である。
その会社で、電通と同じような事件が発生して、あげく裁判沙汰になっているという報がとびこんできた。
何ゆえに、同じような事柄の事件がおきるんだろうか?その原因って、いったいどこにあるんだろう?
仕事に負ける?!
おかしな話だけれど、自分には、どうしてもこのように映ってしまうのだ。
人ってやつは、一筋縄ではとらえられない生き物で、見渡せば、様々な人がいるのだから、原因を「これだ!」ときめつけるのはむずかしいかも
しれないが、自分たち団塊世代が同じような年ごろに思いをはせると、はたしてどうだっただろうか。そんなニュースを聴いたことがない。
もしかして、実際は、自分たちの頃にもそういう事件があって、騒がれないのは報道されなかったからにすぎないだけなのかもしれないが、
少なくても、自分の身の回りにおいて起きたという話は聴いたことがないのである。
いま思えば、自分たちが、いわゆる企業なる「会社勤め」を始めた頃は、いまでは想像できないような環境だろう。いわゆる軍隊式が幅を利かせ、
支給された服に自分を合わせろ、ってな具合のやり方がまかり通っていた時代である。夜討ち朝駆け当たり前ってやつで、今の若い人からみたら
「ばかじゃない!」とか「くるっている! ひどい!」というような感想が沸き起こるだろう。けれど、当時はそれを何とも苦にしない自分たちがいたの
だから・・・・今思えば、ふしぎっていうことになるんだろうな。
そんな感傷は置いておいて、なにが言いたいかというと、やはり、原因の一つに「いまの教育」があるようにおもえてならないのだ。
学習塾がこれほどまでに繁栄するこの時代って、自分たちには想像できないのですよ。いわゆる「学校のべんきょう」のために学習塾に通う
なんて自分たち団塊世代には「え!どうして?」なんですよ。受験べんきょうで予備校ってことならわかるんだけれど、普段の学校のべんきょう
のために学習塾っていう感覚には理解ができないんです。なぜ?どうして?そこまでしなくちゃいけないの?
その原因こそ「受験」じゃありません。受験に特化した私立の学校に合格者が偏る。それをわきで見ている親や教師が「これじゃいけない、それ!」
ってなる。いい学校を出なければ勝ち組になれないという思い、そういう学校出身の偉人のお歴々がいて、身近にもそれに近しい人を見ている。
なれば、じぶんのこどもにはせめて・・・より良い教育を、となるに違いない。その結果が「お受験」(いまでは死語の『教育ママ』)というわけだ。
いい学校を出ないと、いい暮らしが出来ない、つまり、格差社会にあってその「格差」の壁に阻まれないためには・・・・どうしても・・・・いい学校。
最近の新聞に載っていた記事をおもいだした。フランスでも「格差」があって、歴代の大統領の出身学校のほとんどがいわゆる金持ちの家庭の子
っていうのが問題視されて、特待生の制度を作ってそれを修正ってことになったらしい。(自分思うに、これが解決にはならないだろう)
世の中の意識がそうであるからこそ、もうしわけないけれど、「仕事に負ける」ような人が産出されるんじゃないか、ときわめて非情な発言ですが、
自分にはどうしてもそうとしかおもえないのです。つまり、、そういう社会の餌食となってしまったってことなんです。
受験のためのべんきょう(という名前の、じつは単なる学習という作業)って、「予め解答の備わっている問題」と対峙するだけじゃないですか。
記述式云々っていたところで、いわゆる「想定の範囲」という解答めいたものがあるわけですから、「予めある」とおなじことなのよ。
ところが、世の中みてください。「あらかじめ解答のある問題」ってありますか?答えは「いいえ」じゃないですか。そんなものどこをさがしても
ないんですよ。昼飯何食べるっていうささやかな問題ですら、自分で解答を創りだすしかないわけです。答えの全てに「創造」という行為が必要
になるわけです。それを、実社会という実戦の場に出る以前の「学校」において、模擬学習・訓練で身に付けることが「学校の役目」です。
それが教育で、その中味はですから「仕事の仕方を学習する=WORK STUDY=勉強の仕方を学習する」となるですが・・・・?
それじゃ、いまなされている教育はというと、受験すなわち学校に合格するためだけの学習=単なる学習にすぎません。学校がすべて?いいえ。
学校はあくまでその人の人生の一部分です。それはですから「JOB=a piece of work」すなわち「仕事の一部分=作業」でしかないのです。
いまほとんどの学校がしていることって、学校に合格するための「学習」じゃないでしょうか?そんな教育ですから、いざ、実社会にでると、
戸惑いや行き詰まりに対面して、どうしたらいいのかわからなくなるんです。
いざって時のために、技(わざ)や術(すべ)が必要になる。だから、身に付けようとするし、上手に使えるように励む(これを訓練と申します)。
そのための時間こそが「学校」じゃないでしょうか。でも、しかし、今の学校はというと・・・あやしいですね???・・・・