あれは阪神淡路大震災が起きた年だった。
この大地震は死者5500余名、負傷者41500余名、全壊家屋10万戸を超える甚大な被害を起こした。鉄道の橋桁の落下、人工島を中心とした大規模の液状化の発生、都市機能のライフラインの途絶など壮絶な大都市複合災害だった。
当時、東海地方に住んでいた私は3月の半ばに実家の九州へ帰省する必要ができた。
勿論、新幹線も所々不通。けれど日本の大動脈を途絶えさせてはならじと関係各所の方々のご尽力でバスを用意して下さった。
そのバスの窓から見える被災地の風景が生々しくて違う次元が広がっているような錯覚を覚えた。まだ、煙が上がっていたり、、、、ぺしゃんこになった崩壊家屋の数々、、、、救急車のサイレンが聞こえていたり、、、、、時間にすれば僅かな時間だったのだが。
ちょうど春休みで家族でディズニーランドにいっていたらしい小学生低学年の男の子がそれまでは楽しそうにディズニーの思い出を語っていたが、一瞬にして寡黙になった。バスから新幹線に乗り継ぐ際もディズニーグッズを隠すようにして俯いて歩いている。
私も心が虚ろになった。雨に濡れたのも気づかなかった。
駅の構内を歩いていた時、お土産を入れていた紙袋が濡れたせいでバラバラと崩れ、品物が床に広がった。
どうしようと思う間もなく近くを歩いていた中年のご夫婦が立ち止まり手早く持っていたビニール袋にお土産を拾い詰めて下さった。
そして、ぼう然とする私の手に押しつけるように渡して下さった。
慌ててお礼をいう私を振る向きもせずにご夫婦で笑みながら在来線乗り場の方に去って行った。
あの時のご夫婦、ありがとうございました。
大変な時に輸送にご尽力された関係各所の皆様ありがとうございました。