決勝棄権のつもりでいたという。
「小笠原の勝ちでいいじゃないか。ワシは降りる」
小笠原選手も完全無傷と言うわけではない。
松井選手負傷棄権というアクシデントもあったが
かりにも極真全日本
無傷で勝ちあがらせてくれるほど甘くはない。
さすがに決勝棄権はマズい。とりあえず出てくれ。
山田支部長の顔を立ててとりあえず上がったという。
決勝で対峙した二人は
ある意味もう目的を達しているのである。
それでも裂ぱくの気合をあげていわば消耗試合に向かった。
大山倍達がそれを許すはずもなかろう。
昭和58年
第15回全日本空手道選手権大会
準決勝を制したのは極真会館城西支部の大西靖人選手
同じく同支部の小笠原和彦選手
二人で肩を組んで控室に戻る姿は
「勝った!」という表情。
そう
二人は勝ったのである。
城西支部代表生残り二人は総本部に
山田雅俊と大山倍達の闘いに
山田軍団の圧勝である。
物語ならここで終わり。ハッピーエンドである。
で済む訳がなかろう(-_-)。
二人とも怪物怪獣のパワーの持ち主だが
もしかしたら本当は優しい心の持ち主かもしれない。
「打たせて打つ」タイプ 言わば 「後の先」タイプである。
疲労の蓄積+目的達成後であるのも影響してか
待ち拳タイプの二人は「お見合い状態」をつくってしまう。
大山倍達がピリピリキレてきた。
いったん試合を止めた。
大山茂主審を通じての注意
たしか
まだ柔道界では「教育的指導」が確立されていなかった時代である。
二人とも失格にするぞ!くらいな事を言ったのだろう。
本戦終了。
そして延長戦
先ほどよりは技を出すが
実は待ち拳タイプでもある二人はお互いに手の内を知った仲
スパーリング的に見える試合を展開するのもいたしかたない。
ついに大山倍達がキレた。
再延長は決着がつくまで着かなければ朝までやれ!
おおお!。
先に突っ込んで行ったのは小笠原選手である。
本当は館長に殴りかかりたかったのではないか?!。
その後は泥沼ガチガチの死闘である。
爺はどちらも体験していないので言えた義理ではないが
極真最大の荒行 百人組手を越えているのでは?!と思う。
時折上段を蹴る小笠原選手を見て
本気でやっていないから出せるのでは
という輩がいるが あれは逆である。
小笠原選手はもともとハイキックで決めるタイプ
城西に移籍後にローキック中心の闘いも研究取り入れただけの事
もうろうとしているから本来の動きが逆に出てくるのである。凄い事だ。恐るべきスタミナである。
攻撃を受けるたびにフラつく大西選手だが
これまた怪物
超破壊力の小笠原選手の攻撃を全部身体で受け止めて押し返す。
20分近くの死闘
突然ストップ指令
ラスト30秒で大西選手が死に物狂いで前に出た。
小笠原選手には聞こえていなかったのか
それまで手数足数は小笠原選手の方が多いが
大西優勢勝ち。
正直どちらの勝ちでもけっこうだ。
普通に鍛えただけのフルコン選手なら死んでると思う。
パワー空手のインタビュ―で水口選手が決勝戦について
「気持ちはわかりますが やりすぎです!」
と答えている。
大山茂主審も大変だったと思う。
副審もえらい事だったと思う。
試合後大急ぎでトイレに行った方もいるという。
二度とないであろう。極真史上最強の死闘荒行の決勝戦は無事?終わったのである。
話はさらに9年前にさかのぼる
昭和49年11月
第6回オープントーナメント全日本空手道選手権大会
初の2日間開催、制したのは佐藤勝昭選手だ。
この大会も激戦名勝負がいくつも展開されたが
その中での隠れた名勝負に
山田政彦選手VS山田雅俊選手の試合がある。
木村政彦とと同じ名前でもある
大山館長に期待を受けている内弟子の山田政彦選手は
やはり強い。芦原門下の中元選手に一本勝ちした試合も強く印象に残っている。
対照的に『同じ山田がいるのか』くらいな印象しかない山田雅俊選手はあまり注目されていない。
しかし強い。
延長延長まったく互角。
僅差もなかったと思うが山田政彦選手の優勢勝ち。一回上段蹴りが当たった?くらいか。
ようは館長に期待されているかいないかの差であると感じた。
少し戻って昭和55年12月
第12回全日本空手道選手権大会
三瓶選手が怒涛の3連覇を始める大会だが
今までとはうって変わった山田雅俊選手がいた。
特に二回戦? 沢柳選手との試合
第8回大会で上位入賞した沢柳選手を下段回し蹴り合わせ一本で沈めてしまった。
「すげえ」
強靭な太腿筋、鍛え抜かれたスネ、確実に効く正しい角度の蹴り
いまでは当り前の事だが
合理的な下段蹴りを初めて見た。
そして迎える三瓶選手との準々決勝
まったく互角。この試合については山田師範本人が著書で書かれている。
そう、正直どちらが勝ったのかわからなかった。最後の延長も引きわけだと思う。
大山館長式に言えば
もう一回(延長)やればはっきりしたと思う。
それはどうでもいい。
問題はチャンピオンと互角なのに
その後のパワー空手で山田選手に注目していないということである。
この時の力を持った山田選手ならば第二回世界大会でかなり上位をぬりかえたのではないか?。
そして再び
第15回に話を戻す。
準々決勝 大西選手VS三瓶選手 まったく差のない試合で素晴らしい試合
一瞬のスキをついた大西選手の下段が三瓶選手を捉えた。
「技あり」
山田師範が真っ先に旗を上げた
大西選手の下段だから超破壊力だろうが三瓶選手にはダメージあったのだろうか?。
何故か第10回全日本準決勝 二宮選手vs中村選手 を思い出した。
なんであれ弟子が師匠の仇を討った瞬間である。
そして山田師範の弟子二人が本部内弟子を打ち破って決勝に躍り出たのだ。
この後 山田師範が極真会館の重鎮になるのは周知の通りだ
やはりこの大会 この決勝
極真の後の方向を位置づけ
かつ「極真」の伝統もしっかり語り継がせる
重要なターニングポイントだったと思う。
山田支部長の功績は素晴らしいと思う。
そしてなんであれ大山倍達に勝ったのだから。
あの伝説の死闘の決勝戦。やはり爺にとっては聖域である。
押忍。
蛇足
「もし」は禁句のこの世界だが
もし隣の準々決勝 増田選手vs三好選手
今の判定基準で見たらどうだっただろうか
当時は激しいダメージを負っても顔に一切出さねば
判定勝ちする傾向だった
もし今なら
爺が副審なら増田選手に挙げると思う。
三好選手が勝ち上がらなければ大西選手は準決勝で棄権していたかもしれない。
さらに
増田選手この時はなんとほとんど無傷なのである。
史上最年少のチャンピオン誕生の可能性もあったと思う。
あくまで「もし」の話
そうならなかったのも 大いなる「極真」の意思であろう。
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