https://blog.goo.ne.jp/0345525onodera/e/d1a51ad5585d5d67c9b9fcbdede68387
https://blog.goo.ne.jp/0345525onodera/e/d1a51ad5585d5d67c9b9fcbdede6838http://web.archive.org/web/20190305035745/http://blogs.yahoo.co.jp/alternative_politik/30357687.html
画像などは上記アーカイブスをクリックして参照
アシール地方と聖書の世界 その1
http://web.archive.org/web/20170502014642/http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/610.html
アシール地方と聖書の世界 その2http://web.archive.org/web/20170502093013/http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/611.html
アシール地方と聖書の世界 その3 http://web.archive.org/web/20170502073048/http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/612.html アシール地方と聖書の世界 その4 http://web.archive.org/web/20170502021844/http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/613.html アシール地方と聖書の世界 その5 http://web.archive.org/web/20170502093442/http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/614.html オペレーション・・・その名はマジック・カーペット1949年、シオニズム運動がイスラエル建国という一つの大きな転換期を迎えたて間もない頃、イスラエルが秘密裏に実施したある作戦がある。 イスラエル建国に反対するアラブ諸国では、各地でユダヤ人の迫害が起きていた。かつて「アラビアの幸福」と呼ばれたイエメンに、3000年以上もの間暮らしていたとされるイエメン・ユダヤ人も例外ではなく、財産の没収や焼き打ちなどの被害にあったとされている。 当時のイエメンは北方にはイエメン王国、南方にはイエメン人民民主共和国(南イエメン)というように南北に分断されていて、南イエメンはイギリスの植民地下にあった。南イエメンの主要貿易都市の1つであり、大きなユダヤ人居住区があったアデンの町では82人が無差別に殺されたと言われている(アデンの大虐殺:1947年12月3日)。 前回の記事の関連で言えば、ヨクタンの子孫とアブラハムと側女ハガルの子であるイシュマエルの子孫が、アブラハムと正妻サラの子である子孫たちを迫害しはじめたのだ。(誤解されないために書いておくが、このブログではそのようには考えていない) そんな中、イエメンのイスラムの指導者がイエメンのユダヤ人に対して次の様に言ったという。 「全て財産を置いていくなら、イスラエルに行ってもよし。ただ紅海への海路やアラビア半島の陸路を使うのは許さない」 実質的に陸路と海路をふさがれた形となってしまい、行き場を失ったユダヤ人に対してイスラエルが取った行動は、その名も・・・ マジック・カーペット作戦 秘密作戦だが、公式名称はOperation On Wings of Eagles。1949年6月から1950年9月までの間に米軍とイギリス軍の飛行機を中心に延べ180機を使用し、総勢4万9千人のイエメン在住のユダヤ人をイエメン・アデン空港からイスラエルに護送した。この秘密オペレーションは、作戦終了数カ月前にはじめて公開され、世界中を驚かせたそうだ。 (参考→日本語の詳細http://elalfanclub.blog58.fc2.com/blog-entry-30.html ) さて、話をアラブ人の祖とみられているイシュマエルではなく、それよりも古くセムから枝わかれしたヨクタンにもどそう。旧約聖書の上では、ヨクタンの父親はエベル、つまりヘブライ人の祖ということになり、この家系図を見る限りでは、アラブ人はヘブライ人から分かれた・・・ということになる。この旧約聖書の記述は、Y染色体を中心としたDNA研究からのアプローチでも支持されているそうだが・・・。 しかし、旧約聖書に書かれている家系の描写を、人と人の血縁関係として捉えるのはそもそも間違いであるというのは、前々回にも述べたペレグからアブラハムの系図で見た通りである。 さて、元祖アラブ人の祖先ともいえるヨクタンには13人の子がいた。 ノアの家系図でも最大規模の家族となるわけだが、それには理由がある。 なぜなら・・・ それらが、すでにあったからだ。 没薬や乳香の道・・・つまり、アラビア半島全体にわたる交易ルートの中継都市として、これら13の都市が遠隔交易を営む商人がもつリストに記載されてからに過ぎない。ヨクタンの13人の子の名前は、彼が奥さんと相談しながら一つ一つ丁寧に命名していた訳でもなく、創世記の編纂者がそのようなリストから拝借したのだろう。 西暦40年から70年あたりに書かれたエリュトゥラー海案内記というのがあるが、内容的には停泊した港や取引の内容などを記したものである。おそらく砂漠の隊商にも同じような取引の記録は代々残していたに違いない。 メソポタミア地域からカナン地域を通り、そしてナイル川までの肥沃な三日月地帯は、古代文明を育んだ地域として知られているが、資源などにはあまり恵まれていない地域だった。神殿などの建設事業を行うための木材や、装飾するための貴金属は外国から調達しなければならなかった。 古代エジプトやメソポタミアの都市国家経済が発展するにあたり、その地方が保有する資源の埋蔵量などは国力とはほとんど関係なかった。重要な事は、必要な材料を遠方からいつでも調達してくる商人の存在であり、都市国家が発展すればするほど、より遠隔地から交易を通じて調達できる商人の重要性は増していき、それを中継するための農村は発展し、交易都市として繁栄していった。 以前、本ブログで『ラピスラズリの道』シリーズを書いたのだが、古代、ラピスラズリが取れる場所はアフガニスタン奥深くにある山地でしか取ることが出来なかった。しかし、ラピラズリは紀元前3000年頃にはすでに、遠距離交易商人を通じてメソポタミアから地中海世界、そしてエジプトまで運ばれ取引されていた。金、銀、銅、錫やなどの鉱山資源同様に、やはり古代オリエント世界において希少価値の高い資源があった。
没薬(もつやく) と 乳香(にゅうこう) だ。 古代エジプトをはじめとしてオリエント世界の宗教儀式において、没薬や乳香は必要不可欠なもので、その在庫管理には最大限の注意が払われた。古代エジプトでは宗教的儀式の時だけでなく、薬や医学の分野でももちいられ、またミイラの防腐剤としても用いられていたとされる。また、イエスの誕生のときに当方から来たマギ達が贈り物として持参したのも、金に加えこの没薬や乳香であった。 それほどまでに重要な没薬や乳香だったが、その元となる樹木は特定の地域にしか生息しなかった。 どこだろうか? アラビア半島、現在のイエメンだ。 それも図で示されるように、生息していた地域というのはかなり限られている。 The British Museum http://www.fathom.com/course/21701787/session3.html 没薬や乳香が古代エジプトやメソポタミア地域で使用されてたという事実は、それは荒野をいくつも越えたアラビア半島南部からキャラバン隊などの遠距離交易ルートがすでに確立されていたということを裏付けている。 そして、文字を初めとする北方の文明が南アラビア半島にももたらせる、黄金の国ジパングならず乳香の香りに包まれた「アラビアの幸福(Arabia Felix)」とまで呼ばれるような都市文明がそこに栄え、桃源郷にも似た伝説が出来上がっていたのかもしれない。(実際にそう呼ばれたのはローマ時代であるが・・・) 海上の没薬の道 古代エジプト第18王朝の女ファラオであるハトシェプスト(紀元前1479年から紀元前1458年頃)が没薬などを獲得するために組織したプント大遠征や、ソロモンが大量の金を輸入したとされるオフィル、そして、大量の金や乳香、白檀などを寄贈したシバの女王、その全てが南アラビア半島の今日のイエメンであったと言われている(シバの女王の国については諸説あり)。 現時点における南アラビア半島についての一番古い記録では、紀元前716年と紀元前685年にサバの首長がアッシリア王サルゴン二世とセンナケリブに貢納したことを伝えるアッシリア資料によって、シバ王国の存在が明らかになっている。おそらく、その歴史はもっと古くに遡ることが出来るに違いない・・・と僕は思う。 さて、ヨクタンの子孫に話をもどそう。 ヨクタンの子孫これらの名前が地名や都市、あるいは民族名であることは疑う余地がなく、古くからこれらの名を地図にプロット使用とする試みがされた。しかしながら、この13人の子が活躍したような手掛かりとなるような記述は一切なく、名前から推察するしか方法がなかった。 それに同じ名前、似た名前の都市もいくつかあるせいか、この分野での調査研究は錯綜している。少し見てみよう。 アルモダデ(Almodad): 「アラビアの幸福」を築いた人物の1人。イーストン聖書辞典によるとアルモッデの意味は”計り知れないもの”であるとされるが、同様に「計られない者」、「愛される者」、「神は愛される」などの意味もある。サヌア王国を建国した部族とも言われる。 シャレフ(Sheleph): アラビア南部に定住した民族 ハザルマウテ(Hazarmaveth): アラビア半島南端のハドラマウト(Hadhramaut)王国。ハザルマウテの意味は『死の住まい』、あるいは『死の法廷』とされるが定かではなく、名前の由来そのものはグレコ・ローマン時代のものとも言われている。 エラ(Jerah): ? 場所はあまり特定できていない。 ハドラム(Hadoram): イエメン共和国のサヌアの南 ウザル(Uzal): イエメンの首都サヌアの旧名は「ウザル」にちなんで「アザル」 デクラ(Diklahan): ? オバル(Obal): エチオピア沿岸のAvalitaeという町という説がある。 アビマエル(Abimael): 当時の大商業都市メッカであるという説がある・・・。 シバ(Sheba): アラビア半島・イエメン共和国付近。これがシバの女王の国なのかは定かではない。 オフル(Ophir): アラビア半島内・古代の金の産出地。旧約聖書に数多くの記述がある。アフリカのエチオピア、スーダンという説もある ハビラ(Havilah): ペルシア湾 バーレーンのHuvaila?エデンの園を流れるピジョン川流域にある金の産出地 ヨバブ(Jobab): オマーン湾にある都市という説がある ふむ。。。 結局・・・あまり大したことは分からない。 上記の推測されたロケーションとは異なるが、下は1854年に描かれたLyman Colemanという人物によって描かれた地図だ。彼らの名がところどころに見てとれる http://en.wikipedia.org/wiki/File:Noahsworld_map.jpg これを元にヨクタンの子達の名が示す地域を書いてみると次のようになるが、唯一8番目の子であるオバルが欠けていたので、下記リンクを参照してオフィルの下に位置付けた。 http://gracebibleny.org/mans_continued_rebellion_genesis_9_11 おそらく・・・ これが一般的に言われているロケーションに近い・・・のかもしれない。 (つまりこのブログでは、そう思っていない) しかし・・・ 最近の研究ではもっと多くのことが判明している。 上の図だと、交易都市・地域とはいえ、一族の交易リストとしてはあまりにも広大すぎる。ノアの子孫の名は様々な民族の祖として考えられるのだが、エベル以降は都市の名前であり、交易ルート・・・それもアブラハムの家系図にあったように互いにそれほど離れていない場所を書いてある。。。 どこだろうか? |
「宗教」書庫の記事一覧
検証: 聖書アラビア起源説 その21 ソロモンの繁栄の秘密とインフレ
本題に入る前に旧約聖書に書かれている当時の通貨事情について書きだしておきたい。旧約聖書の当時・・・といっても微妙
2012/7/4(水) 午後 8:07
旧約聖書の意味深な女たち マタイ系図が語るもの
前回、ダビデの妻について述べた後、 新約聖書「マタイの福音書」 の第一章に掲載されているアブラハムからイエスまでの系図
2012/4/26(木) 午後 7:06
旧約聖書の意味深な女たち イエスの祖先はヒッタイト人?
せっかく前回ソロモンのハーレムの話がでたので、今回と次回はちょっとだけ話題を変えよう。 &n;
2012/4/24(火) 午後 6:39
イシュマエルの系譜、ヨクタンの系譜・・・そしてカアバ神殿
前回の記事は、最後に下の疑問で終わった。 南アラビア半島の祖先となったと言われている ヨクタ
2012/3/7(水) 午後 7:21
アブラハムの祖先の名と交易中継都市
前回は、月の神シンと大富豪アブラハムについて述べた。今日はその続きだ。 前回→ http://blogs.ya
2012/3/1(木) 午後 10:10
http://kusagakubow.livedoor.blog/archives/17710435.html
まずは、これをメモしておこう
《gooブログはじめました!》2023-01-23
シュビラの託宣 より
《ハムレットの水車小屋》
今日は死ぬのにもってこいの日だ
視点の転換の自由は
精神の自由の現れである
そのどちらが正しいかではなく
視点の転換の自由こそが
現実の全体の把握を可能にし
精神の独立を保証するだろう。
「夕陽妄語」加藤周一
1996・10・23、朝日夕刊
管理人注:現在この発想ができるのは恐らく大江健三郎氏くらいだろうがあまりに日本の真の教養人は少なすぎるということか?あるいは大学教授になる過程で出る釘は打たれてしまうのだろう。大学教授になれてもたえずインターンが見張っているのでどうすることもできない。そういう教授たちが出す試験の正解は..........俺が言ったとおりを書けば優をあげるよ.....ということだろう。だから論文試験の詳細は公表しないのです。何が出題されるかわからない~これでは学生は発狂寸前になってしまうだろう。
仲野栄樹
5 年前