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終末の日には誰も耐えられない

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http://flamboyant.jp/eschatology/esc016/esc016.html

マラキ書が描く終末

突然万物は消滅する その1
突然万物は消滅する その2
突然万物は消滅する その3
突然万物は消滅する その4
突然万物は消滅する その5
突然万物は消滅する その6
突然万物は消滅する 完

2013年以降地球は大氷河期に入る

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南極大陸を覆っている氷と,シベリアから冷凍状態で発見されたマンモスなどの動物は,地球の過去に生じた地軸の傾斜によるもの。胃の内容物の資料などによると徐々に冷凍されたのではなく急速冷凍であったことが分かる。


■マラキ書の基礎知識

 マラキ書は旧約聖書正典の最後に置かれている一書である。
 題名にある「マラキ」には、「私の使者」という意味もあり、マラキという人物がいたのではないと考える学者が現在は多いという。後代の編集者が「マラキ」を固有名詞と考え、その名の預言者がいたと誤解したことから、マラキ書という題名がつけられたのである。
 旧約聖書の黙示文書としては最も古いとされるダニエル書は紀元前2世紀に書かれたといわれるが、これ以前に書かれたものにも、終末の日の最後の審判やメシア(救世主)の来臨について触れているものは多い。マラキ書もそのような旧約文書で、成立したのは前450年頃だといわれている。
 この時代はイスラエルが衰退した時代であり、凶作や困窮のために宗教的情熱も衰えていた。モーセの律法に書かれた規則を破る者たちも多くなっていた。このようなときに神の命を受けた預言者マラキが、人々に向かって神のメッセージを伝えるというのが本書のテーマである。
 ところで、ここで黙示文書ではないマラキ書を取り上げるのは、この書の中で、終末の日にメシアに先立って地上にやってくる者として預言者エリヤの名が挙げられているからである。このため、マラキ書以降は、メシアに先立ってエリヤの再来とされる預言者が出現するといわれるようになり、この思想は新約の時代にも影響を与えた。
 新約の福音書では、イエスの前にバプテスマのヨハネという預言者が登場するが、この人物こそエリヤの再来であり、初代教会の人々はこれによって旧約聖書の預言が成就されたと考えたのである。
 捕囚以降に書かれた旧約の預言書には、メシアの到来を熱烈に待望するものが多いが、そのような預言書の中にあって、新約の思想と強いつながりを持つのがここで紹介するマラキ書なのである。

■準備のためにやってくるメシアの先駆者

 マラキ書の中には、信仰の衰えた人々に対するさまざまな忠告や警告が記されており、その後で終末時の出来事が語られているが、終末に至るまでの段階は少しも記されていない。
 マラキ書によれば、神の使いであるメシアは突然、神殿に出現し、地上に恐ろしい出来事をもたらすのである。この出来事は当然、神を敬わない者たちや異教徒たちにもたらされるわけだが、信仰心が衰退していた当時の状況からすると、地上はほとんど滅亡することになってしまう。そこで、イスラエルの民を愛する神は、まず初めにメシアの先駆者として預言者エリヤを地上に送るというのである。
 この部分はマラキ書では次のように記されている。

  見よ、
  ヤーウェの大いなる恐ろしい日が来る前に、
  わたしは預言者エリヤを遣わす。
  彼は父の心を子に向け、子の心をその父に向けさせる。
  わたしが来て、地を呪いで滅亡させることのないためである。

(聖書 原文校訂による口語訳 ゼファニヤ書、ハガイ書、ゼカリヤ書、マラキ書、哀歌、バルク書、エレミヤの手紙(フランシスコ会聖書研究所訳注/中央出版社)より)

 これからもわかるように、先駆者エリヤの仕事は終末の準備を整えることにあり、それは人々の心を刷新し、神に向けさせるということである。
 こうして先駆者エリヤがやってきた後に、真のメシアがやってくるわけだが、その到来はとても恐ろしいものとされている。

預言者エリア

http://www.habi.ne.jp/takabayashi/eriya.html

預言者エリアとエレミア

https://honto.jp/netstore/pd-book_29787507.html

エレミアと哀歌

http://web.archive.org/web/20170502092920/http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/141.html

■終末の日には誰も耐えられない

 終末の日がいかに恐ろしいものかは、メシアの来る日には誰も耐えられず、誰も立っていられないと記されていることからはっきりとわかる。マラキ書によれば、メシアは精錬する火であり、布を洗う灰汁(あく)のようだという。ここで、火といっているのは、焼き尽くし清めるものとしての火である。人々が火で焼かれるというと、いかにも地獄の責め苦のようだが、それは単なる責め苦ではなく、人々を清めるためのものである。したがって、人々は火や灰汁によって金や銀のように純化され、神を信仰するようになるのである。
 しかし、悪しき者たちへの裁きは確実に行われる。悪しき者の例としては、魔術を行う者、姦淫する者、偽りの誓いをたてる者、不正な賃金で異国の者や未亡人や孤児を圧迫する者などが上げられている。
 こうして最後の裁きが行われることで、正しい者と悪人の違いがはっきりわかるようになるという。この裁きによって、悪人たちはみな、まるで藁のように燃え上がってしまうからである。この火は悪人たちを完全に燃やし尽くすので、根も枝も残らないという。
 これに対して、信仰ある者は優遇される。これらの人々には正義の太陽が輝き、彼らは喜びに満ちて飛び跳ねる。しかも、彼らは飛び跳ねながら悪人を踏みつけ、悪人たちは彼らの足の下でまるで灰のようになってしまうのである。
 このように、最終的にイスラエルの全国民が救われるのではなく、一部のよい者だけが救われ、悪い者たちは滅びるという考えは、バビロン捕囚以降に登場した新しい考えだといわれている。
 審判にあっては、神はすべてを知っているので間違えることはあり得ないが、「記録の書」という特別の書を利用するらしい。これは、閻魔帳のように人々すべての善行悪行を書き記した書である。マラキ書では、この書を神が審判の場面で使うとは記されていない。が、マラキが人々に預言するときに神がそれを聞いており、人々の中で神を敬っている者がいれば、その人のことがこの書に記録されたという場面があるからである。
 審判の後にどのような世界が訪れるかについては、マラキ書はとくに語っていない。が、悪人は滅びてしまうことから、その後は善人だけの暮らしやすい世界が実現されることは確かだろう。

■福音書にも登場するエリヤ

 マラキ書は旧約聖書の最後に置かれた書であり、預言者エリヤがメシアの先駆者としてやってくるという思想を新約の時代へともたらしたわけだが、この思想は福音書の中にはっきりと語られている。
 例えば、マタイの福音書(17.10-13)には次のように記されている。

 彼ら(イエスの弟子たち)はイエスに、「なぜ、律法学者は、まずエリヤが来るはずだといっているのでしょうか」と尋ねた。イエスはお答えになった。「確かにエリヤが来てすべてを元どおりにする。言っておくが、エリヤはすでに来たのだ。人々は彼を認めず、好きなようにあしらったのある。人の子も、そのように人々から苦しめられることになる。」そのとき、弟子たちは、イエスが洗礼者ヨハネのことを言われたのだと悟った。 (聖書・新共同訳(日本聖書教会))

 こうして、メシアであるイエスが人の子として登場する前に、エリヤは再来したわけだが、メシアイエスが世の終わりに再臨する際にも先駆者としてエリヤがやってくるといわれている。 

世界の終わりの話目次
第1部 世紀末と終末論
世紀末と終末論の基礎知識
歴史観と終末論の種類
世界の紀年法と暦法

第2部 神話・終末文書に描かれた終末

第1章 円環的な歴史の中の終末
概説
洪水神話
北欧神話の終末(ラグナレク)
ヒンズー教の終末(永劫回帰)

第2章 直線的歴史と終末
概説/ユダヤ・キリスト教の終末文書
ダニエル書の描く終末
ヨハネの黙示録の描く終末
死海文書が描く終末
エチオピア語エノク書に描かれた終末
シリア語バルク書が描く終末
シビュラの託宣が描く終末
エズラ記(ラテン語)に描かれた終末
マラキ書が描く終末
コーランに描かれた終末

第3章 異教の終末文書
概説
ゾロアスター教の終末
仏教と末法思想の終末
マヤ・アステカ神話の終末
グノーシス主義が描く終末
パウロの黙示録に描かれた終末

第4章 千年王国思想
概説
『神の国』の千年王国
フィオーレのヨアキムが語る千年王国
カンパネッラの語る『太陽の都』

第三部 19世紀の世紀末と終末観

聖書ものがたり~ホセア書からマラキ書まで

http://web.archive.org/web/20170502085012/http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/144.html

拙稿:Ω祖型からバチカンまで参照

 『イエスがみずからの身を十字架にかけることにより「贖罪(罪をあがなうこと)」を全人類のために果たしてくれたから、とキリスト教では教えているというキリスト教の中核ともいうべき(だが大胆な)教義の記述についての解釈論である。

過去に行なわれたキリストの十字架上の刑死が、未来の人間であるわれわれの罪を消し去る「贖罪 しょくざい」であったという考えはどのように成立しうるのだろうか? そのようなことが論理的に成立するのかと言えば、どうしても否と言う誘惑を感じないわけには行かない。。だが、こうした不可解もキリスト者にとっては当然のこととして躊躇いなく受け入れている部分のようである。そもそもどうして過去の聖者の自ら選んだ死が、未来の人間の過ちまで含んでそれらを消し去ることに通じ得るのか? 

こうした疑問は決して真新しいものではなく、キリスト教に対する懐疑の発端としては古典と言うべきものである。例えば、「贖罪【しょくざい】論 」として書かれている解説にもそうしたトーンが反映されているのを見て取ることができる。これは一読の価値がある。(管理人注:多くの聖職者はキリスト教は許しの宗教であると言う。それは過去から現世までを俯瞰して視る能力がない表れでもある)。

ある意味、これは現世を生きる人間にとって大変「便利」な教えである。現世を生きるわれわれがこれほどまでに堕落し、「間違って」いるのは、この免罪符をすでに手に入れたと考えたためではないかと思われるほど、われわれにとっていかにも有利な教えである。もし、「イエスがみずからの身を十字架にかけることにより贖罪を全人類のために果たしてくれた」と受け容れることが、キリスト者への第一歩であるとすれば、そこには信心することに付随する苦悩が存在しないように思えるではないか? 一体このような「決心」のどこが困難な修練となるのであろうか? 聖書時代から視れば、すでに未来の時を生きているわれわれの犯した(あるいはこれから犯す)罪が、過去の“聖者”による行為によってあらかじめ「消し去られている」のであれば、われわれは何をやっても良いという風にさえ、あえて解釈されはしないだろうか?(いや、現にされているのではあるまいか?)私ならそうするだろう』。

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 パレスチナでは農業用機械が導入されているがアラブ人地区ではこのような小鎌(Sickle)で収穫する。なおJoel(ヨエル書)第三章はWorld English Bibleでは21節まであるのに新共同訳では5節までしかない。世界共通の章と節をとるなか感心しない。
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 そこでヨナは都を出て東の方に座り込んだ。そして,そこに小屋を建て,日差しを避けてその中に座り都に何が起こるのかを見届けようとした。すると,主なる神は彼の苦痛を救うため,とうごま(VINE)の木に命じて芽を出させられた。とうごまの木は伸びてヨナよりも丈が高くなり,頭の上に陰をつくったので,ヨナの不満は消え,このとうごまの木を大いに喜んだ。(ヨナ書第4章5~6節)
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 ニネベ(NINEVEH)の陥落:ティグリス(Tigris)のにぎやかだったアッシリアの都の陥落は紀元前612年のメデス=メディア人(MEDES)とバビロニア人の預言者の預言どおりになった。バビロニアの預言者はニネベについてこう語った。「これが,かつてにぎやかだった都だろうか。かって,人々は安らかに住み,心の中で”私だけだ。私のほかにだれもいない”と言っていた。どうして都は荒れ果て獣の伏すところとなってしまったのか。ここを通り過ぎる者は皆驚きのあまり,口笛を吹き,手を横に振る。(ゼファ二ア書第3章15節)。(ナホム書第2章3,4,6節参照)
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 民の腐敗:エルサレムの郊外ではスイカの取引が盛んであった。エジプトで生産された最も古い果実で古代ヘブライの植物の識別では木の上に生る果実と,地上に生る果実とになった。ミカ書第7章1~4節参照)
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 多くの象牙で出来たコレクションはサマリアの王宮跡で発見された。一番下の丸く彫られたライオンはエジプトの影響を強く受け,真ん中の右は蓮(ハス)の花の上にのったホロス(HORUS)を表している。
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サマリアの征服者サルゴンの宮殿。アモスの預言どおりサマリアは捕囚の身となった。これはアッシリア王サルゴン二世の時代のもので紀元前721年にKHORSABAD の宮殿の年史に記録されている。コルサバッドはニネベ近郊のサルゴンの都にあった。
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"MAKE STRONG THE BRICK-KILN"(煉瓦を釜で焼き堅固にせよ)煉瓦ははるか昔からメソポタミアでの建築資材であった。そしてこの写真はニネベ(Nineveh)近郊の要塞である。ナホム(Hahum)は紀元前612年にその都の陥落を預言した。「籠城に備えて水をくみ,要塞を堅固にせよ。泥の中に入って,粘土を踏み煉瓦の型を固く取れ。」(ナホム書第3章14節)
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 ”WHERE IS THE DWELLING OF THE LION"(獅子の住みかはどこにいったのか)。「獅子の住みかはどこにいったのか。それは若獅子の牧場だった。獅子がそこを去り雌獅子と子獅子が残っていても脅かすものは何もなかった。」(ナホム書第2章12節)
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 蔵には,まだ種があるか。ぶどう,いちじく,ざくろ,オリーブはまだ実を結んでいない。しかし,今日この日から,わたしは祝福を与える。(ハガイ書第2章19節)(ハガイは追放から帰ったエルサレムで人々に神殿の再建を訴える。それをライオンや果実にたとえた)
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 "THE PRIDE OFJORDAN”。羊飼いたちの泣き叫ぶ声がする。彼らの見事な牧場は荒れ果てた。若い獅子のほえる声がする。ヨルダンの密林も荒れ果てた。(ゼカリア書第11章3節)
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 あなたは弓の覆いを取り払い言葉の矢で誓いを果たされる。あなたは奔流を起こして地をえぐられる。山々はあなたを見て震え水は怒涛のように流れ淵は叫び,その手を高く上げる。(ハバクク書大3章9~10節)ヨルダン川の源流はNahr Bareighitである。
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 (ロートシルト=ロスチャイルドの原型)エルサレムの高利貸し。若いアラブ人に金を高利で貸す。当時ヨルダンとパレスチナは同じ貨幣を使用していたが印刷はロンドンでなされた。「この人々は皆彼に対して嘲りのことわざを歌い謎の風刺を浴びせる。災いだ,自分のものでないないものを増し加える者は。いつまで続けるのか/重い負債を自分の上に積む者よ。」(ハバクク書第2章6節)
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 エルサレムの北の郊外にある王のワイン絞り器と呼ばれた皮のなめし池でへゼキアの時代から信じられていた。ゼカリア書第14章10,11節参照)
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 ここはベツレヘムの道。後方に見えるのはダビデの塔などの要塞。外典のマカバイ書?T第1章33節には詳しく出ている)
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 マカバイが避難民を発見したTEKOAの砂漠。(マカバイ書?T:第9章33節)
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 マカバイ時代のパレスチナ
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ヘロデ・アグリッパ(HEROD AGRIPPA)によって建てられたエルサレムの壁。壁の崩壊とはアグリッパの壁,あるいは,ダビデの最初の壁と区別する意味で第三の壁と呼ばれる。パウロがバルナバBarunaba)を伴ってエルサレムへの帰路見たのはこの壁か?
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 イコ二オン(ICONIUM)でも同じように,パウロとバルナバはユダヤ人の会堂に入って話をしたが,その結果,大勢のユダヤ人やギリシャ人が信仰に入った。(Acts・使徒言行録第14章1節)。イコニオンは11世紀からSeljuk Empireセルジューク朝の首都であった。上の写真のモスクは現在博物館となっている。
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 ヨエル書は「いなごによる荒廃」ではじまる。”THAT WHICH THE LOCUST HATH THE LEFT"
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わたしのぶどうの木を荒らしわたしのいちじくの木を引き裂き皮を引き剥がし,枝を白くして投げ捨てた。(ヨエル書第1章7節)
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 TOMB OF HOSEA(ホセヤ,あるいはホセアの墓)。Hoseaはアラビア語ではOSHAという。
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 山羊の毛で出来た衣服をまとったべドウインの女性が朝のパンを焼いているところ。「彼らは皆,姦淫を行う者 燃えるかまどのようだ。パンを焼く者は小麦粉をこねると脹らむまで,火をかき立てずにじっと待つ。(ホセア書第7章4節)
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 過去のシオン(ZION)の栄光を嘆くユダヤ人たち寺院の立ち並ぶ(Haram-esh-Sherif)の南西側にこの壁はある。金曜日の日没,祭りの前日に彼らはここで詩篇(PSALMS)や哀歌(LAMENTATION)を朗読する。写真の一番下の大きな石はヘロデ王時代のもので紀元70年の破壊によっても壊されなかった。ということはヘロデ・アグリッパ(HEROD AGRIPPA)によって建てられたエルサレムの壁と考えてよい。壁の崩壊とはアグリッパの壁,あるいは,ダビデの最初の壁と区別する意味で第三の壁と呼ばれる。
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 "THE TOP OF CARMEL SHALL WITHER"(カルメルの山の頂は枯れる)「主はシオンからほえたけりエルサレムから声をとどろかされる。羊飼いの牧草地は渇きカルメルの頂は枯れる。(アモス書第1章2節)

 「カルメル山(カラメルざん、ヘブライ語: הר הכרמל‎、Karem El/Har Ha'Karmel、アラビア語: جبل مار إلياس‎、Jabal Mar Elyas)は、イスラエルハイファ地区ハイファにある山である。

イエス・キリストの再来の地とされ、キリスト教の聖地の一つである。現在ではバハイ教の聖地として「万国正議院」やバハイの寺院、インターナショナルティーチングセンターがある。カルメル山の中腹にはいまだにキリストの再来を待つドイツ人たちの街がある。」(Wiki日本語より)

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豪華な家と贅をつくしたサマリアはアモスによって否定される。「わたしは冬の家と夏の家を打ち壊す。象牙の家は滅び,大邸宅も消えうせると主は言われる。(アモス書第3章15節)。このような記述は最初列王記?T第22章39節で書かれている。つまり「イスラエルの王の歴代誌」に書かれているという旨。
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 イスラエル建国前のGAZA.アモス書第1章にあるペリシテ(Philistia)とは古代ガザのこと。古代ガザであるペリシテの最南端,つまりエジプトからバビロンへの道は「奴隷交易」の中心でもあった。アモス書はペリシテ人をすべて捕囚しエドム(EDOM)へ連行する(引き渡す)。
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 竪琴の音に合わせて歌に興じダビデのように楽器を考え出す。(アモス書第6章5節)
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 TEKOAの遺跡はアモスの生誕地でありそこへ行くにはベツレヘムから馬ないしロバで行くしか方法がなかった
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 古代ニネベ(Nineveh)の遺跡の中(Tigrisの東岸)にNeby Yunus(預言者ヨナ・Jonah)の墓がある。しかしここを訪れた人たちはヨナの本当の墓はCRYPTにあると知らされる。
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ユダヤ人教会(Synagogues)のユダヤ人巡礼者の新年にはミカ書第7章18~20節に由来するPropitiatory rite of Tashlikという儀式を水の流れの前で行う。前列の人が読んでいるのは勿論ミカ書の一節である。「あなたのような神がほかにあろうか..........すべての罪を海の深みに投げ込まれる。どうか,ヤコブにまことをアブラハムに慈しみを示してください。その昔,我らの父祖にお誓いになったように。」
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Image of TASHLIK Ceremony in Galicia
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 ナホム書第3章8,9節参照)
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 オリーブからオリーブオイルを搾りとっている光景。ヨエル書第3章13節参照と言いたいのですが「新共同訳」は5節まででカット。なぜなんでしょうね?カトリックとプロテスタントの共同訳ですから色々あるのかもしれません。こういうのを聖書の改竄というのでしょうか。World English Bibleにはちゃんとありますよ。

紅海沿岸の歴史~記事は奇跡的に残っていましたのでじっくりごらんください

http://web.archive.org/web/20190905013312/https://blogs.yahoo.co.jp/alternative_politik/folder/1055170.html

ヨクタン

(Joktan)

エベルの子孫で,ペレグの兄弟。また13人の子らの父。(創 10:25-29; 代一 1:19-23)ヨクタンの子孫の幾人かの名前は,アラビアの南部および南西部の様々な場所に名残をとどめているようです。ヨクタンは,アブラハムがハガルやケトラによってもうけた子らから出た部族とは異なる,アラビアの原住民族の先祖ではないかと言われてきました。ヨクタンの子孫が住んだ地域の地理上の境界は,聖書中では「メシャから……セファルにまで」及ぶと描写されていますが(創 10:30),正確にどれほどの地域が含まれていたかは定かではありません。

https://wol.jw.org/ja/wol/d/r7/lp-j/1200002500

記事追加:Legacy of Ashes時代の記事はすべて見る事ができます

http://web.archive.org/web/20170502093843/http://angel.ap.teacup.com/applet/gamenotatsujin/archive?b=10

西洋占星術の期限など~旧ゲームの達人

http://web.archive.org/web/20080112091944/http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/168.html

https://ameblo.jp/ghostripon/entry-12785595823.html

『米政府、突然死・超過死亡増大を認め、その原因をコロナ後遺症にするシナリオ変更を準備中』

『米政府、突然死・超過死亡増大を認め、その原因をコロナ後遺症にするシナリオ変更を準備中』

ルガンスク・ルベジノエのバイオラボ、大手製薬会社がウクライナ人を実験動物として使っていた場所 2023/01/19https://www.youtube.co…

Ghost Riponの屋形(やかた)

 

コメント一覧(10/1 コメント投稿終了予定)

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はじめまして、
私は預言を研究している者です。
私の預言解釈では、

疫病(新型コロナ)というのはその始まりにしかすぎず、その後は、食料高騰、食糧危機、飢餓、大飢饉へと続く。
そして、この疫病と大飢饉によって、地球人の約3分の1は死ぬが、これは計画的な人口削減である。
そして、生き残った人達が瀕死の状態の時に、悪魔的未来人が地球人を救済するキリストを装って降臨してくる。
瀕死の地球人はそれにすっかり騙され、彼らサタンをキリストだと勘違いして主人として喜んで受け入れてしまう。
サタンは生き残った人達を更に選別して、役に立つ者だけを奴隷として残す。

というストーリーです。
サタン降臨は来年の3月に予定されています。
地上に残っていたら助かりません。
助かるためにはその前に天使的未来人によって地球から脱出しなければなりません。
その方法を伝えています。

「預言解読講座」で検索して下さい。
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