因果応報のむくい☆どのオタクだって戯言を喋る(仮)

オタクの戯言かつ社会批評を少しはやってみたいのにいつの間にやらダラダラしてしまったブログらしい

美少女ゲームは変わらない!?な話

2006-09-30 | お話のお話
 いつも変わらぬモノがある。


 最近こんな記事を目にしました。
【ファンキー通信】「美少女ゲーム」はゲームじゃない!?


 簡単にまとめると、近年ゲームは技術的に進化しているのに美少女ゲームって全然進化してないのでは、ということ、妄想するためにより想像の余地を生むための措置だという事。


 そりゃそうだ、と思うんですがね。


 どれくらい変わっていないか、まずは簡単に歴史を振り返ってみましょうか。

 美少女ゲーム(通称ギャルゲー、美少女ゲームという呼称は出版等のメディアで使われています)と呼ばれるモノの歴史はそれなりに深く、80年代にはすでに脱衣ゲームといったモノがありましたし、90年代には美少女ゲームの代名詞のひとつである『ときめきメモリアル』が発売しています。
『ときめきメモリアル』は、プレイしていないので記憶と情報を頼りに書きますが、自分自身の勉強や容姿等といったバロメーターを上げ、女の子との会話で好感度を上げていくというゲームでした。
 これが大ヒットして、様々なメディアミックスを行い、その後のシリーズでは業界的に珍しく新しい技術を導入したり、現在も女性向けに発売されたり、幅広く動いているモンスターブランドです。

 その後は、LEAFが『痕』というゲームがヒットしました。
 これがヒットした理由は、単純に話として面白かった点が挙げられます。
 ただエロいだけではなく、物語として成立させるため今までキャラクターを見せるために会話画面だけで構成されていたものを、キャラクターを多少見せづらくしても小説のように画面全部を使い文章を読ませるスタイルを導入したのです。
 この会社はその後現在も影響を持つ『To Heart』を発売し、スタイルのひとつを完成させました。

 同時期、『kanon』というゲームをkeyというブランドが開発しています。
 スタイルとしてはそれまでと変わらない会話コマンド形式のゲームだったのですが、何より物語が秀逸でした。
 ゲームに感動して泣いたのです。
 一部に奇跡の大安売りとも嫌われましたが、何よりユーザーに支持され、その後『AIR』、『CLANNAD』共に美少女ゲームの中では突出した販売を記録しています。

 『AIR』と同時期、『月姫』が登場しました。
 物語が多くの支持を得たのは上の作品達と同じで、システムも特に特記する点はないのですが、画期的な点な作品といえました。それは、作ったところがアマチュア、同人だったという点です。
 それまでの作品は会社が販売、流通していたのですが、『月姫』を作ったTYPE-MOONはサークルであり、口コミを通して広まっていったのです。
 その後より広く流通させるため商業化、『Fate/stay night』を販売、現在最もファンが多いブランドとなっています。

 美少女ゲームという括りでは、若干違うモノとなりますが、同じく同人で『ひぐらしのなく頃』が広く支持されています。
 ただ『月姫』と違ったのは、18禁ではなかったこと、選択肢がなかったということです。だからキャラ萌えがあるとはいえ、美少女ゲームという括りではないのですが。
 とはいえ数編にわたる問題提起と解決編の組み合わせは、美少女ゲームの選択肢のひとつとしての面を持ちます。
 この作品は、物語として面白ければ支持されることの証明ともいえます。


 という訳で簡単な歴史でした。
 システムが全然変わっていない、という話だったのでシステム関連も触れたのですが、どのゲームもシステム自体は昔から存在していたものを流用しているに過ぎませんし、途中から何故ウケたかしか書いていないように、物語が面白ければヒットするということが業界の特徴だからなのです。たまにゲームとして面白い場合もありますけどね。


 何故システム自体が変わらないかというと、お金の問題が挙げられます。
 大企業というモノはありません。そもそも狭い業界のはずですし。10万売れる事すら一年~数年に数える位なはずです。
 だから技術導入は難しいのです。

 またある程度絵が綺麗であれば問題ないという点も存在します。
 物語を楽しむものなのですから、酷くない場合はそんなに気にしないでしょう。

 そしてパソコンでプレイするという点もあるでしょう。
 下手にハイスペックを求められるゲームは、快適に楽しめるものではないですからね。
 『ときめきメモリアル』のように家庭用で発売するなら条件を整えやすいのですが、人それぞれのスペックではあまり高性能なものをメーカーが求めてはいけないでしょう。

 また、新しいシステムなるものが思いつきません。
 特徴を見せるために各メーカー苦労してシステムを作っていますけど、特に目新しい物は聞いたことがありません。
 ここでも快適にプレイできるかどうかが問われてきます。

 というか紙媒体ですらそうそう変われないのに、絵小説的な作品が多い美少女ゲームでは、そう目新しい物など作れないと思うのですが。


 こんな感じで今後も美少女ゲームは、物語性がヒットの要因となることでしょう。
 とはいえそのジャンルも一通り出たような気も……

 あとは作者性と時流なんでしょうね。

少し問題を洗い出してみるな話

2006-09-23 | お話のお話
 真面目に書くことない件について。


 ここ最近、本当にネタになることしてないのですよ。
 というかいつの間にか1日が過ぎていく感じです。

 マンガや小説といった本は、少なくともここに書けそうなものは読んでおらず、ゲームもこれといって特に……という感じです。

 積極的に何かに参加しているわけでもないですし。

 ネットはしてるんですけどね。
 でもこれといって言いたい、書きたいこともないし。

 という感じですかね。

 大して見ている人がいないとはいえ、軽く閉鎖の危機?


 とはいえ、ネタ自体はその辺に転がっているわけですからね。
 ただ勉強不足過ぎて何も書けないのですよ。

 今回は今ある問題の洗い出しを更新とさせていただきます。


・二次創作問題
 二次創作とは、ある作品のキャラクターを使った創作活動のこと。
 マンガ、小説、イラスト画集やゲームなど、個人あるいは集団で行う創作活動です。

 その効果は、コミックマーケットといった同人誌即売会での交流や、より作品を広げるといったことが挙げられます。

 とはいえ問題点も多い事柄で。
 例えばその内容は、いわゆるパクリに近いものが多いです。
 他ゲームそのままの内容を、違うキャラクターを使い、売り出しているのですから、いつ注意を受けてもしょうがない状況です。

 とはいえこれはパロディーという言葉で片付けられる話ですが。見てみたい、プレイしてみたいな、とは思うことは思いますし。

 パクリで酷い場合、二次創作の構図、内容そのまま流用したりすることもあるようで。
 ただ元々訴えないことが多いからグレーである問題が、訴えてしまうことによってブラックになってしまうので、何もできない状況にはあるようですが。

 最近はとらのあなやメロンブックス等といった同人誌流通も焦点に。
 元々二次創作は、交流としてのツールを持つので、商売する目的なものでないのですよ。
 ただ近年その規模は大きくなっており、全国の主要都市には上記のような同人誌販売店があり、その流通量も多くなってきている現状です。
 全国のオタクにとってはありがたい現象でもあるのですが、とはいえそれは本当にファン活動なのか、なんていう問いも。


・オタクのイメージ
 モテないとかは、まぁいいのですよ。
 自身の問題だと思いますし。
 ただ犯罪者予備軍はどうかと。絶対その辺にいる奴の方が怖いと思いますよ。犯罪方法は想像しやすいですが。
 オタクが犯罪者予備軍にみられる一部原因は、陰気なところなんでしょうね。何をするかわからないという雰囲気。
 またさっきまで電車男の再放送を横目で見てましたけど、イメージということだけあってオタクの痛いところばっかのキャラクターがいますし。
 あれ、外国人から見る日本人、眼鏡で出っ歯で七三でスーツでカメラを持っているイメージ(少し古いか?)と何も変わらないんですけど。
 ただいないと言い切れないのが切ない……劇団ひとりの演技がまた絶妙……演技なんだけどなぁ……


・作品総萌化
 傾向として、という話です。
 昔はキャラクターを全面に押し出す作品はそう多くはなかったようにも思えるのですが、近頃はどんな媒体でも萌え要素がある作品が多くなり、少しでもヒットさせる要因を作ろうとしています。
 自然な流れとしてならともかく、なんですけどね。

 これはゲーム作品に顕著ですかね。今回の場合、美少女ゲームの類は除きます。
 アニメは作品としてラブコメを作れますが、ゲームはクリアが目的であり、ラブコメばかりでは目的が損なわれる可能性があります。
 また絵柄がオタクより(RPG・SLGに顕著)になってきており、一般人が買いづらいのも悪い影響のひとつでしょう。


 とりあえず思いついたのはこんなところでしょうか。
 一切目新しい問題ではありませんが。まぁ、メモみたいなものです。


 1000字くらいで終わるかな、と思っていたら思った以上に書けた事に吃驚してます。

強い奴に逢いに行きたいな話

2006-09-16 | お話のお話
 そろそろ書くことがなくなってきました……


 最近作品もしくは文書を読み込む行為はあまりしてないので、作品紹介ということはできず、見ているサイトも割と片寄ってきて知識はそれなりに補っているものの、その知識を使って書きたい事はないなぁ……、という感じです。
 ここ日記サイトじゃないですから、自分の日常なんか書いたってしょうがないですし、どうしましょ。


 あれだ、割と専門分野のゲーム話でもしましょう。
 題して「格闘ゲームを制する」。


 いきなり注意点。
 ボクはそんなに強くないプレイヤーです。
 いわゆる「解説厨」といわれる方に近いです。駄目プレイヤーです。
 なのでそんなに参考にならないかもしれません。


 ボクの専門は2D格闘、とりわけ攻めゲーというかラッシュゲームというか、そんな感じのゲームを好む印象があります。
 最近では『Guilty Gear XX SLASH』『MELTY BLOOD』『北斗の拳』といった感じのゲームをプレイしています。
 これらは全国のアミューズメントセンター(いわゆるゲーセン)でプレイしています。とはいえ最近ゲーセンでプレイしているのは『機動戦士ガンダムSEED DESTINY 連邦vsZ.A.F.T II』が一番なのですが。

 上のゲームらはまずゲーセンで知名度を上げていかないと家庭用に移植されないことが多いです。とはいえ最近はほとんど移植されている印象がありますが。


 さてさてこれらゲームを制するために必要なことは、ずばり≪キャラクターを知る≫です。
 当然の話ですが、これが一番奥深いのです。

 自キャラの通常技、必殺技の性能を知り、攻めや守りを固め、相手の体力を奪う。その単純なことが意外と難しく、そして楽しい事でもあります。

 また敵キャラについても知る必要があります。
 格闘ゲームは自分だけで行うゲームではありません。
 例えコンピュータであろうとその動きについてしっかりと知り、対話していく必要があるのです。

 どこかで見た例えなのですが、本当に格闘ゲームというのは会話みたいなところがあり、知っていないと成立しない(試合にならない)こともあり、時にはスタイルが自分語りみたいな人ならば、自分の押し付け合いになったりします。
 如何に相手を知るか。如何に相手をかわしていくか。それは重要であり、格闘ゲームはコミュニケーションである所以でもあるといえます。


 キャラクターを知る、に近いのですが、システムを知るというのも重要な要素です。
 最近は自由度が高いことを謳うゲームが多いですが、しかし格闘ゲームはなにかと制限があります。そもそも自由度が高いゲームだって制限はありますが。

 格闘ゲームの制限というと、真っ先に思い浮かぶのはゲージでしょうか。
 連続技などに使い、奪う体力を上げたり、技の性能を上げたりなど多彩であり、ゲージが溜まってがないといまいちなキャラクターもいて、細心の注意を払わなければなりません。
 システムの要といえる要素であり、知らないと、使えないと、強くはなれないでしょう。


 あとは実戦を重ねて、スタイルを固め、連続技の威力を上げ、連続技の成功率を上げ、相手の攻撃を如何にかわし、反撃のポイントを知り、流れをこちらへ持っていく方法を固めていくかがポイントでしょう。

 相手だって知識ある人。自分の知らないことを使ってくる恐れがあり、その回避方法知るために、ネットを使ったり、実戦を重ねていくしか強くなるための道はないでしょう。
 ボクは今その段階ですが、あまり積極的にいかず、あいかわらず弱いままです。


 その他利点。
 格闘ゲームによって得られた経験、知識は他のゲームに活きるでしょう。
 というのは、ゲームに対して考える知識が生まれるのです。
 どのゲームにもいえることは、できること、できないことを知る事。それが一番出るのが格闘ゲームであると思っています。


 簡単に説明してきました。
 割と基本的なことだとは思います。


 来週はもう一度本田透先生について考えていきたいなぁ、と思ってはいるんですがね……どうなることでしょう。

 では、また。

『ARIA』な話

2006-09-09 | 作品なお話
 貴方は、素敵なものを持っていますか?


 今回は久し振りに作品紹介です。
 その作品とは、天野こずえ先生の『ARIA』(マッグガーデン)です。
 現在コミックブレードで連載中であり、アニメも今月末まで放送中の今作。
 その魅力について書いていこうと思います。


 簡単に作品について説明。

 『ARIA』は、遠い未来である火星(と書いてアクアと読む、以下記述はアクアで統一)が舞台の物語。
 この設定だけを見るとSFであり、その要素も十分あるのですが、基本的にはヒーリンコミックとして位置づけられるキャラクターモノの作品です。
 アクアという星が舞台設定ではありますが、もう少し細かく見ていくと、舞台はネオヴェネチアという、実際のイタリアを基にした舞台であり、他にも日本村といったような地球の文化を残しているという設定があります。
 これは地球(と書いてマンホールと読む)が効率化を徹底的に行い、無駄のない環境であるために、アクアではその地球の文化を残しているようなのです。

 少し上でヒーリングコミックと書きましたが、そういう類の作品は大抵キャラクターが中心となります。
 主人公は水無灯里であり、彼女は一人前の水先案内人(ウンディーネと読む、以下からウンディーネと記述)を目指しています。
 先輩や、同じ立場の子、後輩などに支えられながら、アクアの世界を発見していき、よりアクアを好きになっていくというのが基本構造でしょうか。


 はっきり書いてしまえば、『ARIA』はストーリーというモノがありません。
 話の筋道となるもの(水無灯里が一人前のウンディーネになる)はありますが、基本的にはそういうことは無視です。
 もちろん成長していく兆しのある記述、物語などはありますが、基本的には変わりません。

 ではつまらないかといえば、そうではなく。
 むしろ一話完結だからこそ、きちっと世界が描かれていて、よりキャラクターの魅力に迫る作品が完成しているのだと思います。


 現在この作品は、「空気系」としてネット上で議論されています。
 今回その元となったサイトにトラックバックを飛ばすこともなく、そもそもその議論に参加する気がないので、詳しくは書きませんが、ただうまいところを突いた言葉だな、と思っています。

 『ARIA』は、空気を描くことが巧いのです。
 コマを使い、キャラクターの表情を丁寧に描いたり、建物を描いて世界を表現したりなど、マンガとしてのいいところをふんだんに使っているのです。
 マンガはコマから流れる連続性や間を使えることが最大の利点であるとボクは思っています。そのコマやコマ間の間が、『ARIA』では最大の魅力のひとつなのです。

 マンガや小説などの紙媒体は、キャラクターなどの語りによって大概のスペースを埋めていきますが、『ARIA』はあえて語らない、喋らない間を設けて、素敵であることを表現します。
 これはこのブログでも書いてきた『ハチミツとクローバー』(以下ハチクロ)とは逆の作風です。
 ハチクロは、コマというコマに台詞を埋める作風であり、その台詞が詩であり、ひとりごとであり、交差するものであるために、ハチクロの世界が魅力的となる一因なのです。
 まさに逆なマンガですが、両作とも空気作りがうまいため、素晴らしいのだと思っています。


 あと魅力といえば、ネオヴェネチアという実在の街であるヴェネチアを基にした舞台設定であるために、少々旅気分を味わえることでしょうか。
 ウンディーネという観光案内人であるために、ネオヴェネチアの説明があったり、ひとつの場所が話の主題となったりするので、少しヴェネチアへと行ってみたくもなります。
 実際に旅へ行く人も少なくないようで。
 上手いことヴェネチアの世界を描くものだから、凄い人です。


 空気や世界などの言葉を多用してきましたが、それが一番作品を作る上で大切なことだと思っています。

 現在『ARIA』は9巻以下続刊、その前作となる『AQUA』は全2巻と好評発売中です。
 気になる方は、手にとってみては。オススメです。

同人イベントな話

2006-09-02 | お話のお話
 好きなモノを好きといえる、そんな空間がありました。


 先週、ちょっと気になるイベントがあったので、ちょっと見てみたいものが近くにもあることもあって、行ってきました。

 そのイベントは、同人誌即売会。
 とあるマンガのオンリーイベントでした。

 すごく簡単に同人誌即売会について説明。
 マンガや小説といった”誌”の名の通り、紙媒体を扱うものだけでなく、フィギュアやグッズといった形あるものをその場で売ろうというイベントなのです。

 今回はオンリー。
 オンリーというのは、とある作品や会社など限定したモノを扱うものです。

 今回は最近ハマっているマンガを題材にしたもので、興味を持っている人も参加しており、その他そのイベント以外の要因もあって行ったのですが、参加してきました。


 簡単にレポ。
 開始30分後に到着し、一通り見てまわった後、休憩しつつも何度か見てまわり、千円くらいで済むかな、と思っていたら2千円くらいお金を使ってたりもしつつ、イベントの元の作品のようにまったりと素敵に時は過ぎていきました。
 後半は、もう特に見るべきこともないので、まったりとコスプレを見つつ、それなりに考えをまとめていました。
 男女比は大体7.5~8割が男性、他は当然女性で、総勢は感覚で500名位、でしょうか。12時近くにはカタログが売り切れていたこともあり、カタログをいくつ刷っていたかは知りませんが、会場規模からいって少なくみてもカタログは300冊ほどは刷っているはずだと思い、500という数字を出しました。
 参加者の男女比は8:2位だと感覚で出しましたが、コスプレに限るとその男女比は入れ替わり、男:女=3.5:6.5位だと感じました。これは最近よく考えている「女性のコスプレはファッション感覚説」に当てはまる結果だなぁ、としみじみ。一応書いておきますが、多分遠くはないですが、絶対近づくものではない説だと思っています、自分で考えておきながら。あとこの説を多少証明するのに、女性コスプレイヤーの話を聞かなければならないのですが、知り合いに全くその気のある人がいないので、頭の中だけで終わる予感がします。
 コスプレは人気キャラなどを図るバロメーターの役割も果たします。単一作品イベントなので、会場は同じキャラがいっぱいで、なんだか不思議な感覚でした。
 あと子供も両親と共に参加しており、見てると嫌々ではなかったので、割と将来が楽しみだなぁ、生温かい目で見てました。
 他に行きたい所もあり、3時終了のイベントを1時半前にはすでに会場を出ていましたが、コミケ以外で初めてこういうイベントへ出たので、新鮮で楽しかったです。


 コミケとの違いも書いておきましょう。
 コミケは沢山の作品が集まる大規模性が売りのひとつであり、創作という場を提供しています。
 しかし今回のような小規模(というほど小規模ではありませんでしたが)オンリーイベントはそうはいきません。まず会場の広さがコミケのそれとは違うのですから。
 その分、しっかりと作品について見れるような気がします。コミケでは選択肢が多すぎてただ見てまわっただけですが、今回は作品が限られているので、何を見るべきか、その辺りがわかりやすいのです。そんなに人がいっぱいいるわけでもないのでより手に取りやすく通行の邪魔にもなりませんし。よりコミュニケーションが取りやすい場といえましょう。ボクは人見知りが激しく、声も参加時は風邪が治りきっていない状態でしたので取りませんでしたが。


 こういうことも、ありちょっと同人イベントについて知りたくなったので調べてみました。
 参照に『同人イベントを開こう!』(著:菊池なるみ 新紀元社)を。

 どうやら数ヶ月前から会場の手配といったような準備をせねばならず、簡単に思っていると開催者は痛い目に合うようです。
 今回使った会場はたまたま上の参照に載っており、35万円ほどかかるようで、それプラスイス、机の準備、カタログ、告知のチラシの制作、印刷などをせねばならず、多分50万円は越える費用になるのでないかと推測しています。かなりアバウトに計算したので、あまり信用できない数字ですけど。
 それでいて会場にどれくらいの人が来るかも計算して行動しなければならないのですから、想像するだけで大変です。
 費用の調達や、参加者の募集、告知、どれだけの人が来てくれるかといった不安、当日何が起きるか、起きたらどうするか、素人の自分でさえ簡単にいくつか出たのですから、気苦労は絶えないのでしょう。

 正直関わってみるなどしないと問題点がよくわからないので、参加者として参加者の問題点を考えていきたいと思います。

 参加するということは何かしら目的があるはずです。
 今回は目当てのモノもあり参加しましたが、如何にその目的に合う、もしくはそれ以上のモノを提供できるかが一般参加者が開催者、サークル参加者に求める点なのではないでしょうか。
 本ならば如何に供給を読むか、欲しい参加者全体になるべくいきわたりつつ、売りさばくか。イベントとして印象付けるならば、如何に想い出に残してもらえるか、そのために何をすべきなのか。

 そして一般参加者は、如何に楽しむか。
 コスプレを楽しむのも良し、それを見ているのも良し、なのですが、問題は参加者としての配慮になります。
 例えば盗撮などが発覚した場合、当然問題になります。
 個人で片付けば問題はないのですが、そういうわけには当然ならず、イベント開催者にもなんらかの影響があるはずです。
 最悪、今後イベントは開かれることはおろか、同じようなイベントはその会場で行われることがなくなります。危険があれば貸す方だって貸すことを拒否できるのですから。
 そうしてマーケットが狭くなることが危険なのです。そしてこうした貸し渋りは一般参加者のモラルによって引き起こされる可能性が充分にあるのです。

 例えばコミケなどでは徹夜組という、開場前から並ぶ行為が問題となっています。
 これは夜中にもかかわらず並ぶ行為なのですが、夜中であるにもかかわらず騒いだり、カツアゲされたりなどの問題が起こされる危険性があるのです。
 コミケにそこまで責任を持てという方が難しい話ですが、コミケがそこにあるから起こる問題でもあり、コミケ自体に問題があろうとなかろうと、責任を持たされる問題となっています。なのでカタログにも注意されているのですが、中々いなくならず、むしろ正当化している輩がいるので、今後も永遠と続く問題となるのでしょう。

 一般参加者が気をつけるべき点は、こういった問題を問題として捕らえ、ルールを守っていくことではないのでしょうか。
 確かに楽しむ事は大事ではありますが、より楽しむため、今後のことを考え、開催者に優しいイベントを参加者として作っていくことが大事だと思っています。
 そうすることによって誰もが満足するイベントが、空気が出来上がるのだと信じています。

 イベントというのは決してひとりでできあがるものではなく、ひとりよがりな行為は楽しみを損ない、全体として不満が残りうるのです。
 そのことをひとりひとりが自覚して、イベントに参加しなければならないのではないのでしょうか。


 色々書いたため、過去最多の文章量です。
 割と常識的なことしか書かれていませんが、しかし常識というのは明文化されていない共通のルールだと思うので、一回書くことによって自身を省み、何が駄目だったか振り返ることが出来るのだと思いますし、読んでいる方が何か感じ取ってくれれば、と思います。

 好きなモノを好きといえる場所は、今後も守られていかなければならないはずですよね。
 それは各々の意識だけではなく、みんなという集合体で力を守っていくべきだと思っています。