声って、何であんなに違ってくるのでしょうね。
先日久し振りに映画館へ行きました。
前行った映画を思い出せないくらい久し振りだったのですが、映画の作りって意外と面白いことをなんとなく思いました。
アニメなどは、連続して録音するイメージなのですが、映画などの実写はひとつのシーンを別個に撮るイメージです。
似たような場所ならば、例え連続したシーンでなくても撮る感じです。
しかしその映画であろうとアニメのようなアフレコがあるわけで。
口に出さずに想うシーンなどの語りは、腹話術などを使うわけにはいきませんからね。
そういったシーンを腹話術で撮るなんてことがあったら、多分笑ってしまいます。
そういったシーンを見て思ったのは、語りのプロとの差です。
語りのプロ、というのは声優のことを指します。少なくともここでは。
もうひとつここだけの解釈は、俳優女優を指す言葉は、テレビなどのドラマで露出する人です。
彼、彼女達は授業というような訓練を通して、声優としてのプロを目指すのです。
そのためか俳優女優との語り方が全く違うように感じるのです。
俳優女優は、どこか台詞口調でありながら素に近く、マイクに音が擦れるようなそんな音なのですが、声優はマイクとの距離感がうまいが、台詞としての語り方に近いよう
に感じます。
技術の差でしょうね。
といってもこの考察は的外れかもしれませんが。
素人なので思ったことを書いているだけなので。
そんな逃げ口上。
話を戻します。
その技術も人によっては駄目なモノで。
例えば宮崎駿。
彼の映画は大概俳優で占められていますが、彼は声優嫌いだと有名です。
興行的な面だけで俳優を使っているのではないのです。
彼曰く、声優の声は媚びていると。
本当にそういったことを言ったのかは知りませんが、多分大筋で合っているのでしょう。
声優の声は確かにそう聞こえなくはないです。
アニメ声、といわれて思い出すのは、甲高い声。
そしてその言葉を使うのは、何故か甘い台詞が多いイメージがあります。
例えば最近は結構落ち着いてきた感があるメイド系産業で、テレビに映るとき彼女達が出す声は高く、媚びているように感じなくもないです。
言葉を濁すのは、正直に書きすぎて怖いからです。これ書いたら同じですが。
そういえばなんでテレビに出る時「にゃん」とか語尾に付けるのでしょうね。
アレは正直ヒきます。
そんな戯言は置いておくとして、技術として確立しているが故に嫌いな人もいることは確かで。
でもその技術も結構凄いと思いますよ。
その差が出るのはAMのようなラジオで結構出ます。
なにしろその局アナよりも大きく、綺麗な声で喋ることように感じます。
これは訓練の賜物でしょう。
ラジオにおいて声が通ることは武器になるはずです。
また技術としてあるが故に、あらゆるものに対処できる点もプラスでしょう。
例えば洋画などは、テレビ中心の俳優にやらせると酷いものです。
明らかに自分本位で喋っているように感じます。
自分本位、というのは自分が一番ということではなく、外国の人の感じに合わせずに喋るという意味で自分本位なのです。
元々違う言語で喋っているので、アニメの口パクとは違い、口の形等はその言語にあわせており、日本語のものと違います。
その台詞を日本語独自の解釈で演じるなら、違和感感じまくりです。
結果映画は感情移入できず、つまらないものと化します。
演技って本当、怖いです。
もちろん声優として挑戦する以上、色々合わせている筈なのですけどね。
ただ結果が見えにくいだけです。
声優ばかり褒めすぎなので、俳優も少しは褒めます。
俳優の凄いところは動きの点でしょう。
一個一個に意味を籠めて動いています。
アニメにも当然一個一個意味がありますが、動きの意味は声優が決めることではありませんし、動きの意味を理解していくことが声優としての仕事なわけで。
その点で俳優の仕事は、自分を積極的に出せる点でしょう。
これからも両方存在しつつも、俳優側が声優に挑戦するという形のみ、つまりは実写で声優は出演しないという形で残っていくのでしょうが、まぁそんなものでしょう。
テレビ写りを考えた時は、ちょっと難しいものがある人もいますしね。
舞台役者を無視するような形で話を書きましたが、それは舞台を見るという経験が自分にはないからです。
でも多分、本当に演技という点だけで点数つけるなら、多分舞台なのだろうな、となんとなく思います。
理由は、1発でありながら、その1発で全てを伝えなければならない点です。
テレビのように囁く演技は難しく、声優のようにほぼ決められたような台詞だけではない。
また声優にも応用できる技術がありながら、動きの意味を理解しているため俳優なども出来る。
この点を通してそう判断しています。
どうでもいい話ですが、この話を書こうと思ったのは、新聞の読者投稿欄で、洋画や俳優の演技よりプロの声優をもっと使え、なんていう投稿があったからです。
確かに酷いものもありますが、悪くないものもありますよ。
結構正直に書きすぎてなんですが。
書こうとした結末忘れたため、書こうと思っていたエピソードを集めてしまったまとまりのない文章になってしまいましたが、自分の頭の整理にはなったかなと思います。
って駄目じゃん、自己満足じゃ。
先日久し振りに映画館へ行きました。
前行った映画を思い出せないくらい久し振りだったのですが、映画の作りって意外と面白いことをなんとなく思いました。
アニメなどは、連続して録音するイメージなのですが、映画などの実写はひとつのシーンを別個に撮るイメージです。
似たような場所ならば、例え連続したシーンでなくても撮る感じです。
しかしその映画であろうとアニメのようなアフレコがあるわけで。
口に出さずに想うシーンなどの語りは、腹話術などを使うわけにはいきませんからね。
そういったシーンを腹話術で撮るなんてことがあったら、多分笑ってしまいます。
そういったシーンを見て思ったのは、語りのプロとの差です。
語りのプロ、というのは声優のことを指します。少なくともここでは。
もうひとつここだけの解釈は、俳優女優を指す言葉は、テレビなどのドラマで露出する人です。
彼、彼女達は授業というような訓練を通して、声優としてのプロを目指すのです。
そのためか俳優女優との語り方が全く違うように感じるのです。
俳優女優は、どこか台詞口調でありながら素に近く、マイクに音が擦れるようなそんな音なのですが、声優はマイクとの距離感がうまいが、台詞としての語り方に近いよう
に感じます。
技術の差でしょうね。
といってもこの考察は的外れかもしれませんが。
素人なので思ったことを書いているだけなので。
そんな逃げ口上。
話を戻します。
その技術も人によっては駄目なモノで。
例えば宮崎駿。
彼の映画は大概俳優で占められていますが、彼は声優嫌いだと有名です。
興行的な面だけで俳優を使っているのではないのです。
彼曰く、声優の声は媚びていると。
本当にそういったことを言ったのかは知りませんが、多分大筋で合っているのでしょう。
声優の声は確かにそう聞こえなくはないです。
アニメ声、といわれて思い出すのは、甲高い声。
そしてその言葉を使うのは、何故か甘い台詞が多いイメージがあります。
例えば最近は結構落ち着いてきた感があるメイド系産業で、テレビに映るとき彼女達が出す声は高く、媚びているように感じなくもないです。
言葉を濁すのは、正直に書きすぎて怖いからです。これ書いたら同じですが。
そういえばなんでテレビに出る時「にゃん」とか語尾に付けるのでしょうね。
アレは正直ヒきます。
そんな戯言は置いておくとして、技術として確立しているが故に嫌いな人もいることは確かで。
でもその技術も結構凄いと思いますよ。
その差が出るのはAMのようなラジオで結構出ます。
なにしろその局アナよりも大きく、綺麗な声で喋ることように感じます。
これは訓練の賜物でしょう。
ラジオにおいて声が通ることは武器になるはずです。
また技術としてあるが故に、あらゆるものに対処できる点もプラスでしょう。
例えば洋画などは、テレビ中心の俳優にやらせると酷いものです。
明らかに自分本位で喋っているように感じます。
自分本位、というのは自分が一番ということではなく、外国の人の感じに合わせずに喋るという意味で自分本位なのです。
元々違う言語で喋っているので、アニメの口パクとは違い、口の形等はその言語にあわせており、日本語のものと違います。
その台詞を日本語独自の解釈で演じるなら、違和感感じまくりです。
結果映画は感情移入できず、つまらないものと化します。
演技って本当、怖いです。
もちろん声優として挑戦する以上、色々合わせている筈なのですけどね。
ただ結果が見えにくいだけです。
声優ばかり褒めすぎなので、俳優も少しは褒めます。
俳優の凄いところは動きの点でしょう。
一個一個に意味を籠めて動いています。
アニメにも当然一個一個意味がありますが、動きの意味は声優が決めることではありませんし、動きの意味を理解していくことが声優としての仕事なわけで。
その点で俳優の仕事は、自分を積極的に出せる点でしょう。
これからも両方存在しつつも、俳優側が声優に挑戦するという形のみ、つまりは実写で声優は出演しないという形で残っていくのでしょうが、まぁそんなものでしょう。
テレビ写りを考えた時は、ちょっと難しいものがある人もいますしね。
舞台役者を無視するような形で話を書きましたが、それは舞台を見るという経験が自分にはないからです。
でも多分、本当に演技という点だけで点数つけるなら、多分舞台なのだろうな、となんとなく思います。
理由は、1発でありながら、その1発で全てを伝えなければならない点です。
テレビのように囁く演技は難しく、声優のようにほぼ決められたような台詞だけではない。
また声優にも応用できる技術がありながら、動きの意味を理解しているため俳優なども出来る。
この点を通してそう判断しています。
どうでもいい話ですが、この話を書こうと思ったのは、新聞の読者投稿欄で、洋画や俳優の演技よりプロの声優をもっと使え、なんていう投稿があったからです。
確かに酷いものもありますが、悪くないものもありますよ。
結構正直に書きすぎてなんですが。
書こうとした結末忘れたため、書こうと思っていたエピソードを集めてしまったまとまりのない文章になってしまいましたが、自分の頭の整理にはなったかなと思います。
って駄目じゃん、自己満足じゃ。