「友愛朝報」は、棺桶担ぎの特集の横に論説をかかげ、この人間の尊厳を無視した風習を、人々は伝統だからといって止めようとしない。この風習は、村のなかで私憤の復讐に利用されかねない。若者たちが、酒や麻薬性の飲み物で頭をおかしくして、棺桶担ぎをしていることもある。国の人権委員会が調査に乗り出すべきである、と論じている。
近代的な合理精神を持った人ならば、この風習を批判し、止めさせるべきだと考えて当然であろう。棺桶を動かして、無実の人を殺してしまうとは、なんと恐ろしいことだろう。なんと馬鹿げた迷信を信じていることだろう。この記事に衝撃を受けて、周りのコートジボワール人に、呪術や魔力について人々が本気で信じているのか、と聞いて回った。さすがに棺桶担ぎは悪習である、という人が多いなかで、意外にも、魔力の存在について真っ向から否定する人はいない。
「たとえば、サッカーチームには、専属の呪術師がいます。」
と、教えてくれる人がいる。その呪術師は、試合の前に相手のチームを呪うのが仕事なのだという。そして、チームのオーナーがそうした儀式をしないと、サポーターたちが怒るという。
「皆が知っているような政治家にも、出入りの呪術師がいます。もちろんお祈りをしてもらうし、選挙にどう勝つのかとか、いろいろご託宣を得るわけです。」
といって、呪術師に頼っている政治家の名前を、幾人か挙げたが、ここでは書けない。ただし呪術といっても、相手に悪いことを祈るのではなく、自分にいいことを祈る、というのが通常だから、あながち全部が全部陰湿なものではないということだ。
そうこうしていると、「日々新聞(Le Jour plus)」という日刊紙に、また記事(4月26日付)が出た。今度は、偽者の呪術師が逮捕された、という記事である。
「ヤムスクロから20キロほどの場所にある、アヌマングア(Anoumangua)村で、オギュスティン・コナンは呪術師(komian)として通っていた。ところが、一昨日以来、彼はトゥモディの監獄に放り込まれてしまった。事の次第は次の通りである。
コナンは、人が死亡したときに、魔法使いを探し出すのを生業にしていた。葬式での激しい悲しみの中で、遺族はコナンに、誰が呪いを掛けて死の原因を作ったのかを訊ねる。いつもコナンは誰かを指名し、その指名された可哀相な人は、人々の制裁に引き渡されて酷い目に遭った。コナンは手際よい仕事をするために、4人の手下を使っていた。人が死んで、呪い探しの仕事があると、いつもその村に手下を派遣し、村とその家族の情報を集める。そして、その情報を元に、人々がさもありなんと思われる人を、見事に指名して見せるのだ。
ところが、今週の初め、ある若者が死んだとき、コナンにはその情報収集をする時間がなかった。仕方がなく、情報がないまま葬儀の家に出向き、家族の一員を指名した。その人が若者の死の原因をつくったとは、誰にも納得できなかった。家族はコナンを村の審判に引き出し、とうとうコナンに、実は自分には呪術の能力など無いのだ、と白状させた。村の人々はかんかんに怒って、彼をぼこぼこに殴った。村長の仲裁で、この偽者の呪術師は、官憲に引き渡された。今彼は、監獄で裁判を待つ身になっている。」
呪術師を詐称して金儲けしている不徳の輩がいる。偽者の呪術師に気をつけろ、という記事である。この記事を読んで驚くのは、この記者が、本物の呪術師が存在しているという前提で、この記事を書いていることである。そして、人の死にあたって呪いをかけた人間を捜し出すという風習そのものに、何らの疑問も呈していない。つまり、記者という知的階層にとってですら、いやこの新聞の読者みんなにとって、呪術は当たり前のことなのだ。これは、この問題の根の深さを物語っているかも知れない。
近代的な合理精神を持った人ならば、この風習を批判し、止めさせるべきだと考えて当然であろう。棺桶を動かして、無実の人を殺してしまうとは、なんと恐ろしいことだろう。なんと馬鹿げた迷信を信じていることだろう。この記事に衝撃を受けて、周りのコートジボワール人に、呪術や魔力について人々が本気で信じているのか、と聞いて回った。さすがに棺桶担ぎは悪習である、という人が多いなかで、意外にも、魔力の存在について真っ向から否定する人はいない。
「たとえば、サッカーチームには、専属の呪術師がいます。」
と、教えてくれる人がいる。その呪術師は、試合の前に相手のチームを呪うのが仕事なのだという。そして、チームのオーナーがそうした儀式をしないと、サポーターたちが怒るという。
「皆が知っているような政治家にも、出入りの呪術師がいます。もちろんお祈りをしてもらうし、選挙にどう勝つのかとか、いろいろご託宣を得るわけです。」
といって、呪術師に頼っている政治家の名前を、幾人か挙げたが、ここでは書けない。ただし呪術といっても、相手に悪いことを祈るのではなく、自分にいいことを祈る、というのが通常だから、あながち全部が全部陰湿なものではないということだ。
そうこうしていると、「日々新聞(Le Jour plus)」という日刊紙に、また記事(4月26日付)が出た。今度は、偽者の呪術師が逮捕された、という記事である。
「ヤムスクロから20キロほどの場所にある、アヌマングア(Anoumangua)村で、オギュスティン・コナンは呪術師(komian)として通っていた。ところが、一昨日以来、彼はトゥモディの監獄に放り込まれてしまった。事の次第は次の通りである。
コナンは、人が死亡したときに、魔法使いを探し出すのを生業にしていた。葬式での激しい悲しみの中で、遺族はコナンに、誰が呪いを掛けて死の原因を作ったのかを訊ねる。いつもコナンは誰かを指名し、その指名された可哀相な人は、人々の制裁に引き渡されて酷い目に遭った。コナンは手際よい仕事をするために、4人の手下を使っていた。人が死んで、呪い探しの仕事があると、いつもその村に手下を派遣し、村とその家族の情報を集める。そして、その情報を元に、人々がさもありなんと思われる人を、見事に指名して見せるのだ。
ところが、今週の初め、ある若者が死んだとき、コナンにはその情報収集をする時間がなかった。仕方がなく、情報がないまま葬儀の家に出向き、家族の一員を指名した。その人が若者の死の原因をつくったとは、誰にも納得できなかった。家族はコナンを村の審判に引き出し、とうとうコナンに、実は自分には呪術の能力など無いのだ、と白状させた。村の人々はかんかんに怒って、彼をぼこぼこに殴った。村長の仲裁で、この偽者の呪術師は、官憲に引き渡された。今彼は、監獄で裁判を待つ身になっている。」
呪術師を詐称して金儲けしている不徳の輩がいる。偽者の呪術師に気をつけろ、という記事である。この記事を読んで驚くのは、この記者が、本物の呪術師が存在しているという前提で、この記事を書いていることである。そして、人の死にあたって呪いをかけた人間を捜し出すという風習そのものに、何らの疑問も呈していない。つまり、記者という知的階層にとってですら、いやこの新聞の読者みんなにとって、呪術は当たり前のことなのだ。これは、この問題の根の深さを物語っているかも知れない。