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宗教は、果たして時代遅れなのか。

2012年05月01日 14時15分00秒 | 日記・ご紹介記事・つぶやき等

 宗教は、果たして時代遅れなのか。

土佐のくじらさんの日記を、転載させていただいた記事です

2012年04月27日
 
宗教に対する偏見の中には、
 宗教を、前時代的なものと勘違いなさっている人も多いです。
 恥ずかしながら、私も以前はそうでした。(^^;
 
「今は、科学万能社会だぜ。宗教なんて時代遅れだよ。」
 言葉にすれば、こんな感じですかね。
 
ただこの中には、一定の割合で神の存在を信じている人が
いることも事実です。

 つまり、ご自分の考える神の像を説明している宗教に、
 まだ出合っていないパターンです。
 
これは菩提心がある人とも言えますね。
これはまた後日述べるとして、
 今日は、進んだ科学の時代=宗教不要論を破邪します。
 
さて、神の存在を、実質的に認めていない現代日本社会ですけど、
 それは、そういう人たちの精神構造として、
 経典等の中に、神を閉じ込めているところがあるからなんです。
 
世の中には実は一定の割合で、2次元的な学び・・・
 つまり、
 文字からしか、情報を得ることができない人がいるんですね。
 
それは勉強のできる人に、とても多いのですけど、
 「文字、文章に書いていることのみが現実で、後はない。」
 という、とても短絡的な思考形態を持つ人がいるんです。
 
となると、そういう方は、神のことを書いてある情報ツールとすれば、
 聖書や仏典しかありませんので、それだけで、
神そのものを判定してしまうんですね。
 
つまり、
 神の情報ツールより、最新の科学的な情報の方が、

進んでいる= 宗教は時代遅れである。
 
という、思考形態ですね。
 
それまでならまだしも、
 
宗教は時代遅れである=神はいない
 
となれば、それはお門違いと言うものです。
 それは、短絡的思考過ぎて、お話にならないレベルなんです。
 
もっと簡単に言えば、それは・・・・アホ・・・・なんです。(笑)
 
旧約聖書が3~2000年前、仏典が2500年前、
 新約聖書は2000年前、コーランは
1500年前に書かれたものです。
 
しかも仏陀やイエスは、一冊の本も書いていません。
 全て後代の口頭記述です。つまり、
 当時の弟子や信者が、認識できるギリギリの範囲でしか、
 仏神を語ってはいないのですね。
 
それを、たかだか200年とか、極々最近の、
 科学的思考が進んだ時代の見識で、どうのうこうの言う方が、
 実は無理があるわけなんです。
 
現代人は科学的思考を持ちましたし、現実に、
 宇宙の様相まで認識するに至りました。
 
これらは、仏陀やイエスの時代には、ありえなかったことですね。
 
地球は宇宙の中の一惑星であり、我らが住む星にも、
 そして宇宙にも、始まりというものがあった・・・
 というのは、現代では当たり前の常識です。
 
とするならば、多くの人が、この宇宙というものや、
 宇宙の中の地球を認識した現代において、
もし仏陀やイエスが生まれていたならば、
 彼らは一体何を言うだろうか・・・
 
ということに、思いをめぐらさないでは、
それは頭脳が幼稚なのです。
 後出しジャンケンなので、アンフェアです。
 
神というものが、せいぜい身の回りの国々しか
認識できない時代における宗教であるならば、
 民族的色彩の宗教というものからしか、大聖者と
言われる方であっても、
 そこから始める以外の手立てはないでしょう。
 
しかし宇宙に始まりがあり、そしていつか終わりがある・・・
 ということを知っている、現代人であるならば、
 
神とは、宇宙の心・・・という認識を持たないと
いけないのですね。
 そこを踏まえない議論など、的外れでしかないのです。
 
神=大宇宙の心であるならば、
 宇宙の始まりから、終わりまでを統べる思想でなければなりません。
 
これを科学では、法則と読んでいるはずです。
 全ての科学者は、この法則、または真理というものの
探求者であるはずです。
 
もしも神=大宇宙の心ならば、
 
宗教=時代遅れ・・・ということがありえましょうか?
 今、ただ今、真っ只中の出来事のはずなんです。
 そして人類は未来永劫、知り続け、情報を
取り続けなければならないはずなんです。
 
一人一人の地上のでの寿命が、宇宙の終わりであるはずの、

何十億年・・・
 ということはあり得ないです。
 
せいぜい100年ほどが、人間の寿命です。
 ならば、我々人間は、神の体の中で暮らしている存在なのです。
 
神の心=宗教を知る必要性は、時代がどう
変わっても変わりようがないです。
 
神=大宇宙の心では済まないかも知れません。
 
神がもし、この大宇宙を創ったご存在であるならば、
 
宇宙の始まりから神はあり、宇宙の消滅以降も神はある・・・
 ということになります。
 
一宗教が時代遅れになることはあるでしょう。
 しかし、それは神が存在しないと言う証拠にはなりませんし、
 神が時代遅れになることは、決してありえないのです。
 
宗教は時代遅れである・・・
 
この国の人々に、半ば常識として定着している感のある、
 お門違いで、まとはずれで、幼稚な思考は、
 次の世代には、絶対に引き継ぎたくないものだと、
 私は心から、そう願っております。

 


SNS,転載、させていただいた記事です

 

ーーーーーーーーーー参考ーーーーーーーーー

本人が組織宗教を嫌う理由  2012年04月28日http://blog.goo.ne.jp/ziyuunakaze/e/2212f1cc135de09092dec06dcdcdd9d5

 果たして宗教=金儲けなのか  2012年04月29日http://blog.goo.ne.jp/ziyuunakaze/e/235c1166c2b03d2a8df37f1276278511

過去記事参考

 http://blog.goo.ne.jp/sakurasakuya7/c/66b30ad8149e6d7c82ea74d0f92e9ebc

 

 


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