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果たして宗教=金儲けなのか

2012年05月01日 14時19分51秒 | 日記・ご紹介記事・つぶやき等

果たして宗教=金儲けなのか

土佐のくじらさんの日記から転載、させていただいた記事です

2012年04月29日

現代日本における宗教の素朴なイメージとして、どうも、

宗教=金儲け

という図式があるようです。

以前、あるお笑いタレントの金銭トラブルのことを、
日記で書きましたが、

【オセロ中島騒動に思うこと】2012-04-26

「なぜ宗教は、すぐお布施を要求するのか。」ということが、
中々理解しがたい問題としてあるようですね。

まぁ、普通に考えて、宗教法人というのは、
所得税等の免税を受けているので、
「そんなに金がいるのかな。」という疑問も、
あながち理解できないわけではありません。

一言で言います。
宗教には、お金が必要です。

もっと言うとするならば、
本気で世の中のためになろうとすればするほど、お金が必要です。

なぜなら、宗教には、
”商品が存在しない”からなんです。

法具というものはあります。
しかしこれは商品ではありません。

あくまで、教主や団体が、信者を加護する目的で下賜・・・すなわち、
授けるもので、商品のように値段の付いたものではありません。

商品がなく、実質的に、教祖や教主の思いやビジョンなど、
肉眼には見えないものしか、本当はないのが宗教なのですね。

感動の多寡、感謝の多寡のみが、実質的な宗教の収入であり、
それが布施に当たるんです。

幸福の科学や他の大宗教には、教えが存在します。
それを経典としてまとめていますが、
この経典も本来なら値段のつけられないものです。
幸福の科学はこの経典を市販し、一定の利益を上げてはいますが、
これは歴史的には、ある意味で活気的なことです。
(始まりは、生長の家でしたかね。)

そして大事なことですけど、宗教には利益は存在しません。
なぜなら、布施や献金は全て、活動費だからです。
そして活動には、拠点が必要ですので、拠点の開発費や
運営費も活動費になります。

多くの宗教施設が世界中にはありますけど、
これらは、教団の私財でもなんでもなく、
その宗教の活動拠点なんですね。

そして法的には、
教団の資金や建築物は、信者檀家氏子等の、共通財産扱いです。

それらを全て、信者や檀家、氏子といった、
宗教団体を支える人たちの献金によって支えているのが、
一般的な宗教のスタイルです。

これらは、全世界の宗教、ほぼ全て共通です。

イスラム教においては、イスラム寺院のモスクは、
自前の市場(バザール)を持っていて、
その市場の利益の上納金で運営されています。
(しかしそのバザールの商品は、当然上納金分の
金額が価格に上乗せされています。)

日本でも、国宝指定などを受けた寺院は、
一定の予算が国や自治体から支給されます。

そういうわずかな例外を除けば、ほぼ全世界で
教団の活動を支えているのは、
人々の寄付なんですね。

ですから、その教えの対象となる人や、地域が大きくなればなるほど、
この寄付に伴う資金は、どうしても大きくならざるを得ないんです。

たとえば、全国展開しているコンビニなどは、
一体どれだけの運営費がかかっているでしょうか?
私は存じませんけど、かなりの額が必要なはずですよね。
しかも、コンビニなら当然商品があり、
それによって利益を得ることができます。

しかし宗教には、その活動の元となる商品がないばかりか、
必ず対象があります。

巷の数百人規模の人数を対象としたものであれば、
そんなに活動費はかかりません。

幸福の科学のように、全世界の人々を対象とすれば、
当然ながら、必要とされる活動費も大きくなります。

では、
金銭トラブルを起こしているような、邪まで
いかがわしき宗教のことはどうか・・・ですけど、

これは、その宗教を広げたいという教団の願いが、
本当か否かを、その教団の教えから見れば、一目瞭然なんです。

明らかに、数百人規模しか対象としていない教えであるのに、
高額なお布施を要求するような団体は要注意です。

宗教を偽った、詐欺の可能性が高いです。
なぜなら、それだけの額を、活動費として必要としないはずだからです。

「全世界伝道だ!」とか、「これ以外、正しい教えなし!」とか言いつつ、
教えの内容が、なぜだか日本人しか認識できないものであったり、
全く他の宗教への配慮のない教団も怪しいです。

掛け声だけで、実現は不可能ですから、
何か別の理由で、資金が欲しいのだろうと思います。

また、「全世界に福音を!」と言いつつ、
「お布施は要りません。」とかいうのは、
掛声だけか、本心ではやる気のない団体でしょう。

今日の日記は、全くの私見でありますが、
皆様のご意見など、お聞かせ願えれば幸いです。


・・・・・


転載、させていただいた記事です




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1 コメント

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お布施の尊さ (ベロだしチョンマ)
2012-05-02 08:21:41
[「お布施は要りません。」とかいうのは、
掛声だけか、本心ではやる気のない団体でしょう]の見解は、少しキツ過ぎる言い方かと存じますが、わたくし考えますに、恐らく、この世の意義が分かっていらっしゃらない教祖だからかもしれませんよ。
話は私事ですが、私も長年唯物論者でありましたが、釈尊、イエス、ソクラテス、孔子等の根本の教祖方方は偉大な神的存在であると畏敬の念を持っていました。ただ、現在残っている継体や、教えを説く僧侶、牧師、哲学者、儒教者(つまり、弟子たちすべてを指します)は完全に間違っている(少し言い過ぎました。少し理解が足りないでした。)。ましてや、新興宗教の教祖及び弟子があまりにも酷過ぎるからでした。恐らく、ほかの日本人の方々も同じと信じたいです。私も目覚めたように、信じたいです。そのためにも、私も含め弟子がしっかりしないといけません。やはり、その木がいい木かは、その木の実がいいかにかかっていますから。何かの参考になれば幸いです。
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