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緻密に練られた安倍談話

2015年08月16日 | 政治・社会

戦後70年で発表された安倍談話に私は最大限の評価をする。

以下、私のtwや他のネット識者の指摘も拾って見ていく。



《弱肉強食の帝国主義時代に言及》

冒頭から次のように述べて弱肉強食の帝国主義時代に言及している。

「100年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、19世紀、アジアにも押し寄せました。」

事実、16世紀の信長・秀吉の時代から西洋列強はアジア諸国を植民地にすべく触手を伸ばし始めていた。日本に宣教師らが来ていたのもその一環である。初期の西洋列強の植民地支配は布教と軍事を両輪として進めていた。

そして、日本が江戸時代を終える頃には、東・東南アジアでは日本とタイ(と中国とその属国の朝鮮)を除くすべての国が西洋列強の植民地支配下に落ちていた。

終戦記念日談話にこの帝国主義時代に言及したのは画期的だし、ここを述べたことでようやく日本の明治維新の必然性とその後の拡張政策に突き進んだ時代背景が見えてくることになる。

続いて次のようにと述べ、遅ればせながら帝国の一角に名乗りを上げた日本が、白人帝国のひとつのロシア帝国を破り、非白人でも勝てるということを世界に証明し、白人には勝てないと諦めていた有色人種にまさに勇気と希望を与えた事実を指摘している。

「日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。」

この勇気と希望こそがのちのアジア各国の独立につながる。すなわち、言外に白人帝国による植民地支配を日本が突き破ったことを反省するどころか、むしろ誇示しているに等しい。



《太平洋戦争開戦の理由と教訓》

また、経済のブロック化が日本を経済的に追い込み、日本の開戦に至ったことが次のように言及されている。

「しかし、世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。」

ここも過去の談話にはない部分だし、歴史の教訓としては戦争の悲惨さのみを語るよりもはるかに価値がある。どんな国も生命線を断たれれば、窮鼠猫を噛む、ということを指摘している。素晴らしい「認識」だと思う。

さらに、この教訓に基づいて次のように述べて、日本のみならず世界が同じ過ちを犯さないように対策することを宣言している。

「私たちは、経済のブロック化が紛争の芽を育てた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる国の恣意にも左右されない、自由で、公正で、開かれた国際経済システムを発展させ、途上国支援を強化し、世界の更なる繁栄を牽引してまいります。」

これはすなわち、日本さえ静かにしていれば戦争にならない、というサヨク史観から脱却し、経済的にいずれの国をも追い込まないことが戦争を防ぐ方策だと簡潔に説明している。



《戦争を起こさせないための日本の国家ビジョン》

前項での教訓を受けて、後段では次のように述べ、日本の行動ビジョンを提示している。

「繁栄こそ、平和の礎です。暴力の温床ともなる貧困に立ち向かい、世界のあらゆる人々に、医療と教育、自立の機会を提供するため、一層、力を尽くしてまいります。」

我が国は、このような努力を続けることで世界に貢献するのだ、と宣言したことの意味は大きい。国家運営の目標が定まる。日本は、自国さえ問題なければ他国には関わらない引きこもり外交からは脱却するということだ。

この行動ビジョンは、談話には登場していないが安倍政権が掲げる積極的平和主義にも当然つながる。すなわち、世界から貧困をなくし、繁栄によって平和を保つ努力をするのみならず、それでも戦争の危機が訪れる場合に備えて、集団的自衛権+日米同盟によって軍事的抑止力を発揮する、と宣言しているに等しい。



《中国・韓国分断の罠》

中韓分断策の視点で見ても面白い。中国については例えば次のような表現で何度も肯定的に言及し、戦後の諸外国の寛容さの文脈で言及している。

「戦争の苦痛を嘗め尽くした中国人の皆さんや(中略)それほど寛容であるためには、どれほどの心の葛藤があり、いかほどの努力が必要であったか。」

日頃の中国からの日本批判と比べると嫌味ったらしいが、中国の大国としての懐の深さを讃えるような談話の文面になっている。そして「中国」という単語は実に10回も登場する。

ところが、韓国については全く述べていない。唯一「東南アジアの国々、台湾、韓国、中国など」と隣国としての列挙の中で登場したのみ。韓国については外務省などの表現で「価値観を共有する~」などが削除されたが、ここでも隣国として以上の言及はゼロ。従って、文脈としては戦後の諸外国の寛容さの中にも韓国は含まれていない。言外に、韓国は不寛容でどうしようもない国、と言ってるに等しい。

総じて、経済発展、戦争抑止の両面から中国との関係改善は必要だが、韓国は完全無視でよし、という安倍外交方針がここによく表れている。

余談だが、台湾を常に独立国として言及するのも安倍政権の一貫した姿勢と言える。台湾と中国の間に韓国を挟み込んだ並びも、台湾は中国の一部とは認めない、という意思表示に私には読み取れる。



《中国の軍事的拡張主義への批判》

上述のように文面としては戦後の中国の寛容さを讃える表現になっているものの、裏のメッセージは実は真逆になっている。

「二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に訣別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。」

この部分の記述は、日本の反省文に見えて、実は現在進行形で中国が南シナ海・東シナ海で進めている軍事的拡張主義の行動を牽制している。さらに、「すべての民族の自決の権利」はチベット・ウイグルを指しているようにも読める。ダブルミーニングを駆使する俳句の文化を生んだ日本らしい表現とも言える。

すなわち次の文面も、日本が過去の自分を振り返る意味を表に見せて、裏には今まさに道を誤らんとしているのは中国だと鋭く指摘している。

「日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした『新しい国際秩序』への『挑戦者』となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。」

中国では体制批判ができないために、中国の言論界では他者(日本など)への批判文の裏に体制批判の意味を込めることがよくあると聞くが、その言論文化を持ってすれば安倍談話の真意を理解する中国人も少なからずいるだろう。



《歴史認識批判をする中韓への牽制》

先の安倍総理の豪州議会演説、米国上下院議会演説に続く今回の談話に共通している思想的支柱は次の表現にあるように「戦後日本への諸外国の寛容さ」である。

「寛容の心によって、日本は、戦後、国際社会に復帰することができました。」

事実として、直接の交戦国であった米、英、豪、蘭などは政府としては日本を今さら批判などしていない。いまだに政府レベルで歴史ネタをもって批判してくるのは中国と韓国のみである。

従って、今後も中国・韓国が歴史ネタで日本批判を続けるならば、それは自らの非寛容な異常性を世界に見せつけるに等しい。今後は、朴槿惠も慰安婦問題などでの露骨な日本批判もやりにくくなるだろう。



《謝罪外交からの決別》

韓国言論界では日本を「戦犯国」と呼び、犯罪人の子孫は犯罪人であると言わんばかりの主張を繰り広げているが、これはまさに朝鮮文化の「奴婢の子孫は奴婢」の価値観に共通する異常な思想である。

これに対して今回の談話では次のように述べて、謝罪外交からの決別を宣言した。次世代の日本国民にも責任を持つ政府としては当然の対応であるが、安倍政権になってやっとこれを成し遂げた。

「日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の8割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子供たちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。」

既に欧米各国からは「いい加減に謝罪はやめろ、むしろ不利益になる」との言論が出ているが、その通りである。中国・韓国が歴史問題で日本批判をやめないのは、過去の清算ではなく、現在と未来の国益を確保するための謀略戦である。良心的日本人を装って謝罪を続ける政治家・元政治家・言論人こそが売国奴である。



《緻密に練られた文章構造》

以上見てきたように、この談話は実に様々な意味が込められている。その表現は、俳句にも似た技法で、表層的な文面の意味の裏にいくつもの意味が込められている。

他にもまだ見つけていないメッセージがあるかもしれない。

そして、この談話は国内の政治的立ち位置(右、左)、友好国/非友好国、戦勝国/敗戦国/第三国などあらゆる視点からの批判にさらされることを想定し、実に緻密に作られていると感じる。

そのために、批判の急先鋒たるサヨク言論界も揚げ足取り程度で苦労しているようだし、韓国政府筋からも「問題にするのが難しい、苛立つ」などと伝わっている。



《結論》

ゆえに、私は今回の安倍談話を最大限に評価するし、以後永遠に終戦日談話など出さずに今回を持って打ち止めにしてもいいくらいだと考える。

なんというか、やっと戦後生まれの国民目線での政権が誕生したのだな、ということを実感できる談話になっていて感慨深い。
長らく、政治への関心低下とか言われていたけど、サヨク史観で謝罪ペコペコ外交ばかりやってたら、そりゃ政治不信にも無関心にもなるだろうよ。それがようやく終わった。



《付録》

私のこの記事を受けてtomoさん指摘:
https://twitter.com/tomo_091519

更に広島の碑文の「過ちは二度と繰り返さない」や、書かれている戦前世代の過ちの実行者としての村山談話を、戦後世代は同じ十字架を背負う必要は無いと上書きして居ます。また過去と今を重ね合わせて、自由経済と法の支配を説く。米国議会演説も凄いけど、安倍談話も歴史もの。
未だ耄碌していない村山氏は、上書きされた事を理解出来たので、あれ程反発したのだと見ています。

戦前世代の十字架は、戦前世代の原罪者が血だけ繋がる戦後世代を利用する事で、精神的な安堵感と優越感を得る。そして戦後世代もその構図に乗り一種の利権状態だったのを切り離した。その利権者が反対出来ない形で。
戦後を終結する談話が最優先事項だったと見ています。

(安倍さんの豪州議会演説、米国上下院議会演説、終戦談話と続く流れについて)その計画は自由と繁栄の弧、ダイヤモンドセキュリティから、経済が平和を産むと言うメッセージと実行を続けて来ました。其れでもメディアに着けられたレッテルを特に年初から繰り返し演説で解消して来ました。経済が平和を産み守ると言うのが極右では無い証明に成りました。

(日本が開戦に踏む切った原因について)教科書にはブロック化迄書かれていても、教わってない為に日本人の共通認識に成って居ない事を、改めて定義して談話の流れを決める。戦争は経済問題だと過去と今を結び付けました。映画で語部からその時代のシーンに飛ぶ遣り方です。優秀なライターだと思います。




クリスマス・ピポさん指摘:
https://twitter.com/christmaspipoSG

(経済のブロック化が日本を経済的に追い込み、日本の開戦に至ったことについて)リーマン・ショックの際、主要国の財務担当が真っ先に懸念したのが「経済対策の為にブロック経済へ回帰するのは止めなければ」だったそう。WW2の経験から導き出された貴重な教訓です。

(「繁栄こそ、平和の礎」とする安倍談話について)WW1特需が大正デモクラシーを育て、終結でアフリカ&南米市場喪失、関東大震災&金融恐慌、東北大冷害、止めが世界大恐慌でブロック経済による輸出市場を締め出されての大不況が日本の議会制民主主義を滅ぼしたと理解しています。
返す返すも残念なのが、イネの耐寒品種が間に合わなかった事です。あれが普及していたら東北はギリギリ耐えられた、という指摘を聞いただけに・・・。





《私のイチオシの安倍談話解説》

戦後70年の総理談話に想う(山猫日記/国際政治学者・三浦瑠麗さん)
http://lullymiura.hatenadiary.jp/entry/2015/08/15/103417

私は、今般発表された総理談話は、率直にとても良い談話であったと思います。それは、保守的な政権における安倍晋三という政治家の一つの集大成でもあるでしょう。歴代の総理談話に数倍する長さの談話は、ある意味、安倍政権が一番やりたかったことだったのではないでしょうか。



《安倍談話全文》

平成27年8月14日 安倍内閣総理大臣記者会見
http://www.kantei.go.jp/jp/97_abe/statement/2015/0814kaiken.html


【安倍総理冒頭発言】

8月は、私たち日本人にしばし立ち止まることを求めます。今は遠い過去なのだとしても、過ぎ去った歴史に思いを致すことを求めます。

政治は歴史から未来への知恵を学ばなければなりません。戦後70年という大きな節目に当たって、先の大戦への道のり、戦後の歩み。20世紀という時代を振り返り、その教訓の中から未来に向けて、世界の中で日本がどういう道を進むべきか。深く思索し、構想すべきである。私はそう考えました。

同時に、政治は歴史に謙虚でなければなりません。政治的、外交的な意図によって歴史がゆがめられるようなことは決してあってはならない。このことも私の強い信念であります。

ですから、談話の作成に当たっては、21世紀構想懇談会を開いて、有識者の皆様に率直かつ徹底的な御議論をいただきました。それぞれの視座や考え方は当然ながら異なります。しかし、そうした有識者の皆さんが熱のこもった議論を積み重ねた結果、一定の認識を共有できた。私はこの提言を歴史の声として受けとめたいと思います。そして、この提言の上に立って、歴史から教訓を酌み取り、今後の目指すべき道を展望したいと思います。

100年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、19世紀、アジアにも押し寄せました。その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。

世界を巻き込んだ第一次世界大戦を経て、民族自決の動きが広がり、それまでの植民地化にブレーキがかかりました。この戦争は、1,000万人もの戦死者を出す、悲惨な戦争でありました。人々は「平和」を強く願い、国際連盟を創設し、不戦条約を生み出しました。戦争自体を違法化する、新たな国際社会の潮流が生まれました。

当初は、日本も足並みを揃えました。しかし、世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。国内の政治システムは、その歯止めたりえなかった。こうして、日本は、世界の大勢を見失っていきました。

満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。

そして70年前。日本は、敗戦しました。

戦後70年にあたり、国内外に斃れたすべての人々の命の前に、深く頭を垂れ、痛惜の念を表すとともに、永劫の、哀悼の誠を捧げます。

先の大戦では、300万余の同胞の命が失われました。祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦陣に散った方々。終戦後、酷寒の、あるいは灼熱の、遠い異郷の地にあって、飢えや病に苦しみ、亡くなられた方々。広島や長崎での原爆投下、東京をはじめ各都市での爆撃、沖縄における地上戦などによって、たくさんの市井の人々が、無残にも犠牲となりました。

戦火を交えた国々でも、将来ある若者たちの命が、数知れず失われました。中国、東南アジア、太平洋の島々など、戦場となった地域では、戦闘のみならず、食糧難などにより、多くの無辜の民が苦しみ、犠牲となりました。戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません。

何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実。歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。一人ひとりに、それぞれの人生があり、夢があり、愛する家族があった。この当然の事実をかみしめる時、今なお、言葉を失い、ただただ、断腸の念を禁じ得ません。

これほどまでの尊い犠牲の上に、現在の平和がある。これが、戦後日本の原点であります。

二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。

事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に訣別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。

先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国は、そう誓いました。自由で民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ、ひたすら不戦の誓いを堅持してまいりました。70年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たちは、静かな誇りを抱きながら、この不動の方針を、これからも貫いてまいります。

我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました。その思いを実際の行動で示すため、インドネシア、フィリピンはじめ東南アジアの国々、台湾、韓国、中国など、隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、戦後一貫して、その平和と繁栄のために力を尽くしてきました。

こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります。

ただ、私たちがいかなる努力を尽くそうとも、家族を失った方々の悲しみ、戦禍によって塗炭の苦しみを味わった人々の辛い記憶は、これからも、決して癒えることはないでしょう。

ですから、私たちは、心に留めなければなりません。

戦後、600万人を超える引揚者が、アジア太平洋の各地から無事帰還でき、日本再建の原動力となった事実を。中国に置き去りにされた3,000人近い日本人の子供たちが、無事成長し、再び祖国の土を踏むことができた事実を。米国や英国、オランダ、豪州などの元捕虜の皆さんが、長年にわたり、日本を訪れ、互いの戦死者のために慰霊を続けてくれている事実を。

戦争の苦痛を嘗め尽くした中国人の皆さんや、日本軍によって耐え難い苦痛を受けた元捕虜の皆さんが、それほど寛容であるためには、どれほどの心の葛藤があり、いかほどの努力が必要であったか。

そのことに、私たちは、思いを致さなければなりません。

寛容の心によって、日本は、戦後、国際社会に復帰することができました。戦後70年のこの機にあたり、我が国は、和解のために力を尽くしてくださったすべての国々、すべての方々に、心からの感謝の気持ちを表したいと思います。

日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の8割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子供たちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。

私たちの親、そのまた親の世代が、戦後の焼け野原、貧しさのどん底の中で、命をつなぐことができた。そして、現在の私たちの世代、さらに次の世代へと、未来をつないでいくことができる。それは、先人たちのたゆまぬ努力と共に、敵として熾烈に戦った米国、豪州、欧州諸国をはじめ、本当にたくさんの国々から、恩讐を越えて、善意と支援の手が差しのべられたおかげであります。

そのことを、私たちは、未来へと語り継いでいかなければならない。歴史の教訓を深く胸に刻み、より良い未来を切り拓いていく、アジア、そして世界の平和と繁栄に力を尽くす。その大きな責任があります。

私たちは、自らの行き詰まりを力によって打開しようとした過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる紛争も、法の支配を尊重し、力の行使ではなく、平和的・外交的に解決すべきである。この原則を、これからも堅く守り、世界の国々にも働きかけてまいります。唯一の戦争被爆国として、核兵器の不拡散と究極の廃絶を目指し、国際社会でその責任を果たしてまいります。

私たちは、20世紀において、戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、そうした女性たちの心に、常に寄り添う国でありたい。21世紀こそ、女性の人権が傷つけられることのない世紀とするため、世界をリードしてまいります。

私たちは、経済のブロック化が紛争の芽を育てた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる国の恣意にも左右されない、自由で、公正で、開かれた国際経済システムを発展させ、途上国支援を強化し、世界の更なる繁栄を牽引してまいります。繁栄こそ、平和の礎です。暴力の温床ともなる貧困に立ち向かい、世界のあらゆる人々に、医療と教育、自立の機会を提供するため、一層、力を尽くしてまいります。

私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて、「積極的平和主義」の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります。

終戦80年、90年、さらには100年に向けて、そのような日本を、国民の皆様と共に創り上げていく。その決意であります。

以上が、私たちが歴史から学ぶべき未来への知恵であろうと考えております。

冒頭、私は、21世紀構想懇談会の提言を歴史の声として受けとめたいと申し上げました。同時に、私たちは歴史に対して謙虚でなければなりません。謙虚な姿勢とは、果たして聞き漏らした声がほかにもあるのではないかと、常に歴史を見つめ続ける態度であると考えます。

私は、これからも謙虚に、歴史の声に耳を傾けながら未来への知恵を学んでいく、そうした姿勢を持ち続けていきたいと考えています。

私からは以上であります。





  
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