まず経緯から、また時系列に書きます。
記憶を手繰らないと、
また、泣きそうです。
2月17日病院から、勤務中に電話があり、面談の日取りについて、いつが良いかと聞かれ、水曜日か金曜日と答えたところ、水曜日19日にしてほしいという事で、決めていました。
2月18日、病院から電話があり、、主治医がその日手術が入ったとの事で、面談日を金曜日の21日に延期することにしました。
また、前日の17日に個室に移りましたので、こちらに来た時に承諾書に署名お願いしますとの事だった。
(えっ)と言う感じだった。なぜ急に、それになぜ事後承諾なの?
16日の面会の時、私と夫の不穏な会話が、同室の患者さんに不安をもたらしたかもしれないし、看護師さんたちの印象も悪かっただろうと思っていたので、それが原因かもしれないと思いました。
2月19日、午後勤務だったので、午前に洗濯した物を届けに病院に行きました。
主治医が手術の時のエンジ色の服を着ていました。
私に気付き、(え?今日じゃないと言ってないの?と看護師の方に顔を向けている)のが見えたので、「金曜日よろしくお願いします」と、会釈し、夫の個室に行きました。
その時、夫がいた場所に、沢山の計器を付けた新しい入院患者さんがおられました。
その方が入院して来たからかな、なら、良かったかもと、勝手に想像を巡らし安心したりしました。こんな気持ちになるのなら、個室に移る原因を聞いておけば良かったと思いましたが、後の祭りだし、今更聞いて、どうにかなるものでもないので、やめました。
夫は、穏やかでした。
個室に移って、他の気になる人が目に入らないからでしょうが、「(落ち着いて)寝れた」と言っていました。
なるほど、静かなのが好きだものなと納得しました。
そういう意味でも、また、夫の暴言への私の対応のへたさで他の患者さんに気を使うことも無いと言う意味でも、個室に移って良かったと思いました。
ただ心配なのは、個室料金の事でした。
大学病院でも、3段階あり、別途個室料金を払わなければならなかったので、どのくらいの支払いになるのか、心配になりました。
日赤は急性期の病院なので、入院しても、3ヶ月位で、症状が落ち着いたら、転院するだろうと思うものの、もうお金の心配も出てきました。
帰り、ナースセンターに寄り、個室の承諾書に署名して、急いで自宅に戻り、仕事に行きました。
2月19日勤務を終えて、自宅に車で帰る途中、後もう少しで家に着くという時、携帯電話が鳴り、車を道路脇に寄せて、暗い車中で携帯の着信を見ると、S病院。
日赤からの電話で、夫が急変したかと思い、車を停めたので、(?なんで?)と思いつつ電話に出ました。
電話に出たのは、S病院の相談室の男性相談員、Iさんでした。
Iさん>日赤から紹介状がきまして、
転院を希望されているという事だそうですが、
腎不全だという事で、
私> えっ?腎不全?
私まだ日赤からそんなこと聞いていませんけど
それに、紹介状ですか?
Iさん>そうです。紹介状が送られてきて、そのように
書いてあります。
それで、以前入院されていた時は、
精神科病棟でしたが、内科の入院になるかも
知れませんが、よろしいですか?
私> 転院することを希望して日赤の主治医に
話してありますが、・・・。
肝臓の数値が高く、腹水が溜ってきたので、
肝臓のMRI検査をしましたが、肝臓が原因
ではなかったので、腎臓の検査をすること
になり、その結果を聞くための面談を21日
の金曜日をすることになっていますが、
まだ、その面談を受けていませんから。
その後で、返事をするというのではいけま
せんか?
腎不全だとも、聞いていませんし、
そう書いてあるのですか?
Iさん>そうです。それでは、改めて、明日、内科
担当の相談員から電話させますので。
????? なんで?
腎不全!!!!!
ただただショックでした。
それにしても、患者の家族に相談もなしに、(確かにS病院に転院を希望していたが)紹介状を送って、それも、病名を主治医からではなく、転院先の主治医からでもなく相談員から聞かされることになるとは・・・。
ちょっと怒りマークが、表れそうなりましたが、腎不全にショックを受けて、怒りも消沈していきました。
頭が、腎不全で一杯になり、人工透析の言葉が浮かんでは消えました。
まだ、何も聞いていない。詳しいことが判らない内に、余計な心配はしないようにしようと思いました。でも、腎不全。
仕事中は何とか考えずにいましたが、帰りの車の中では、
もう夫に死が近づいていると、悲観的なことしか思い浮かびませんでした。
夫に、鼻のチューブを外し、口から食べ物を食べさせてやりたい!
それが、例え肺炎を併発して死を早めることになろうとしても、血糖値のコントロールが上手くいかなくなって、更に合併症が出て来たとしても、意識のあるうちに、口から夫に食べたい物を食べさせ、「あ~~うめぇ~~」と、満足させてやりたい。幸せな気持ちにさせてやりたいと、思いました。
ベッドにくくりつけられ、動きたくても動けず、骸骨のようにやせ衰え、食べたくても食べられず、生き地獄じゃないか、と、夫がかわいそうでかわいそうで、ただただ涙が流れました。
夕飯の時、姑にS病院からの電話の内容を伝え、上のような私の気持ちを話し、面談に一緒に行くように話しました。姑は嫌がり、「あんた一人で行って聞いて来てけれ」と言うのに、カチンと来て、
「自分の息子の事なんだから、聞きたいことがあったら、自分でちゃんと聞いて!」と、喧嘩ごしになってしまいました。いつも逃げてばっかりの姑に、いくら高齢だからとはいえ、腹が立ちました。高齢をいつも理由にしているのに、カチンと来ていました。
姑は、私の死が近づいたとしても、口から食べ物を食べさせるの考えにしぶしぶ承諾しましたが、「◎ちゃんと〇ちゃん(孫)と△(夫の妹)にも相談してからにしてけれ」というので、もちろん娘達には腎不全の報告をしなければならなかったので、今後どうするかも相談することにしました。
(娘達には電話をくれるようメールしておきました。)
こんな調子で、いつも優しくできない、きつい嫁です。
夜、看護師をしている知り合いに、電話で相談しました。
先ず悩んでいないで、聞きたいこと、知りたい事は、何度でも、聞くこと。
家族を連れて、本人も一緒に説明を受けたほうが良い。
その方が、例え、人工透析となったとしても、本人も納得する。
今はどんなことでも聞いたら教えてくれるからとアドバイスしていただきました。
聞きたいことをメモして持って行く事にしました。
眠れませんでした。夜中に何度も目を覚まし、なんで?それにと、また怒りが頭を出して来て・・・。
次の日の朝、姑も眠れなかったと言っていました。
2月20日S病院の内科担当の相談員Nさんから、勤務中電話がありました。
Nさん>こちらのほうは、総合病院ではないので、
どこか出血しても、出血した箇所を予想し
処置をすることになります。
それに、輸血が必要になった場合も、
それが日曜日だとして、担当の内科医師が
不在の場合は、輸血もずぐには行われない
ことになりますが、それでもよろしいですか?
まるで、なんで、転院してくるの?と、咎められ、転院してくるなと言われているように感じてしまいました。
私> まだ、主治医と面談をしていませんし、腎不全だ
とも、聞いていません。
面談が終わってから、改めてお電話するのでも
いいでしょうか?
Nさん>結構ですよ。
またまた、怒りが込み上げて来て、Nさんの対応に腹を立てた私です。
それでなくても、腎不全=人工透析という図式しかない知識なので、
不安は増幅されていくばかりでした。
また、夕食の時、姑にS病院の電話を伝え、重い気持ちで夕飯を食べました。
姑は、娘(夫の一番下の妹)に電話して一緒に面談に行ってもらうと言って、電話をはじめました。補聴器をしているのですが、その補聴器をわざわざ外して話そうとします。
補聴器のお店の人に、補聴器をしたまま電話に出ても大丈夫だと言われているのに、いつも、補聴器をはずし、聞こえなくて、「え?聞こえね」と、行っているのにも、私はいつもイラついていました。電話の様子で、忙しくて行けないようだとわかりました。
案の定、「代わって、説明してけれ」と、私に受話器を渡そうとしましたが、私は負けじと大声で(補聴器をはずしているので尚更大声で怒鳴り声を出し)、「忙しいんだったら仕方ないでしょ!」
姑「んだが、へばしかだねな。二人で行って来る」と、泣きそうな様子。
長女と次女にも電話し、説明し私の気持ちを話しました。
娘達は私の考えに賛成してくれました。
夜11時過ぎ、夫の妹から電話がありました。
腎不全の事、S病院の対応の事、夫への私の気持ち(死が近づいたとしても、意識のあるうちに、口から食べ物を食べさせてやりたい)、娘たちも私の考えに同意してくれていることなど、つい、泣きながら話してしまいました。
妹も心配してくれて、一緒に面談に来てくれることになりました。
姑にとって心強いことになり、私も、冷静で客観的に考えてくれる味方が出来た気持ちでした。
夜中、インターネットで、腎不全の検索をしました。明け方近くに床につきました。
腎不全については、循環器病情報センターの情報が詳しく解り易かったのです。
http://www.ncvc.go.jp/cvcdinfo
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