点滴石をも穿つ

「すこし愛して 長ぁ~く愛して」

印象変化

2012-02-16 | 音楽
右脳は情緒的、左脳は論理的に働くとされている。
音楽は一般的に右脳に作用する部分が多いと思われる。
だから、音楽が気分転換など気持ちに及ぼす影響は認めるところでもある。
分解し分析する作業は左脳による部分が多く働いている事になる。
まあ、何でも分析後は多少印象の変わるものもあるね。


清水ミチコ 


 
やさしさに包まれたなら






Michelle

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以下は私が見送った家族達の右脳に響く歌です。
良かったらお付き合いください。

懐かしのヴァージニア ベルトラメリ能子 歌/妹尾幸陽 作詞/ブランド 作曲【レコード】

大正8年生まれの母の愛唱歌でした。


老衰と判断され殆ど栄養を補給されない中。耳元でこの歌を口ずさむと
一緒に歌ってくれました。

村田英雄 王将

向田邦子のドラマに登場する父親風の父もこの歌が流行りだした頃から
民主化しつつもスタンスも変化したように思えました。
彼の描いた古き良き時代からの惜別の歌のように今では
思い起こされます。やがて父の思い描いていたであろう
子供たちの進路とは全く違う方向へと思い思いに巣立って行った
事を、父はこれも時の流れとやがて達観したようでした。

鉄道唱歌 第1集東海道篇(1~16番)

日清戦争時代に生まれた祖母は人前で歌う事はしませんでしたが、
手仕事に弾みをつけるようにそれとなく口すさんでいた歌です。

デカンショ節

元大庄屋の孫である祖父は27歳で父親と祖父を同時期に亡くし
弟妹の就学婚姻と子供の養育、同時に家柄により振り向けられたであろう
地域のお役をこなしていく苦労は大変なことであった事と思います。
戦後間もなくの農地解放時生まれ育った私の耳に残る言葉に、
当時殆どの事から隠居しつつあった祖父が"体裁"という事を
行事の予定される1月前から言っていたことでした。
元小作の人たちよりも必ずしも条件の良いとは言えない田畑を耕しながら
大家族の生活の面倒と子供の養育に努める母と朝7時に勤めに出かけ夜7時
頃に帰宅する父にとって耳の痛い言葉でした。
晴れて内外で行事のあったとき祖父が歌っていたのがこの"デカンショ節"でした。
家から離れた山などを売り温泉地の玉造に土地を買い替えた事などその一線上に
有る様に思えます。その土地も祖父の亡くなった直後、周りの望みで相続のため売却された事を
亡き祖父もやがて納得したかもしれません。その恩恵によって救われる人がいたのなら。

 







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