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岩淸水

心を潤す

 【宮川光治裁判官の反対意見】 に思う

2012年02月21日 11時34分24秒 | 左近尉のつぶやき

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 【宮川光治裁判官の反対意見】

 被告は犯行時18歳に達していたが、その年齢の少年に比べて、精神的・道徳的成熟度が相当程度に低く、幼い状態だったことをうかがわせる証拠が存在する。

 精神的成熟度が18歳に達した少年としては相当程度に低いという事実が認定できるのであれば「死刑を回避するに足りる特に酌量すべき事情」に該当しうる。

 被告の人格形成や精神の発達に何がどう影響を与えたのか、犯行時の精神的成熟度のレベルはどうだったかについて、少年調査記録などを的確に評価し、必要に応じて専門的知識を得るなどの審理を尽くし、再度、量刑判断を行う必要がある。審理を差し戻すのが相当だ。

2012 02 20  光市母子殺害事件の最高裁判決要旨 【中日新聞】 (上の色つきの文章は、左の記事よりの抜粋紹介。)


 

  第二十六章 殺人の罪

(殺人)
第百九十九条  人を殺した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の懲役に処する。


 

 

 わが敬愛する亀井静香氏は、死刑廃止論者だと聞いたことがある。

 冤罪があるかぎり、罪なき者が濡れ衣を着せられて、命を奪われることもあっただろう。それを防ぐには死刑制度を無くしてしまえばよい。しかし死刑制度が無くなれば、凶悪犯罪は間違いなく増えてしまう。死刑という制度は、ある意味で仇討ちである。私闘を防ぎ社会の平穏を守るために、被害者やその遺族に代わって公平な裁きを行う。これが刑事法の趣旨であり、その存在意義なのだ。

 見せしめのために、凶悪犯人を死罪にする。

 これでカナダなどでは、1件の死刑で5件の殺人事件を減らしたとの、研究成果があるそうだ。光市母子殺害事件でも見られる如く、社会の中には不穏な分子が紛れている。『 選ばれし人間は人類のため社会道徳を踏み外し、悪さをする権利がある 』 などと嘯く悪人が今回の事件を起こした。小柄な女性を血気盛んな男子が殺害した。そのうえ一歳に満たない、乳児まで残虐にも殺害した。【宮川光治裁判官の反対意見】では、『 精神的・道徳的成熟度が相当程度に低く、幼い状態だった 』 などと、情状酌量の事由を述べている。

 そもそも殺人とか傷害、あるいは窃盗などを犯す者は、精神的に幼い者達なのだ。

 左近尉に謂わせれば、いまどき2,000年も前の宗教規範を生活信条とする。このようなものは、精神的に未発達と言わねばならない。近代法が整備され、科学的な捜査手法が発達した現代では、犯罪のやり逃げなどほとんどない。なのでサロメのような、ダンスの余興のすえの褒美としての殺人が許される。このような愚昧な行使はかならず断罪される。

 まともな考えの大人ならば、犯罪はコストに合わないのを知っている。宮川光治裁判官のような意見が通れば、法律で刑罰を定めた意味が霧散してしまう。精神的に未熟だから、罪を犯すのが殆どの事件の、原因と言えるのだろう。それを精神の未熟、未発達を言って酌量してしまえば、日本国の法治は崩壊してしまう。そして此の裁判官は、それを明きらかに狙っている。

 たとえば大金を騙し取られて、それで事業が失敗した。年老いた父がそれを苦にして自殺した。その息子が詐欺師を憎いと思って、たとえば殺したとする。そしてその犯人は初犯であった。口論の末に喧嘩となり、殴り倒したら打ち所が悪く、石に頭を打ち付けて死亡した。(殺したいと激昂していたので、思い切りなぐった。)このような事件ならば、あるいは情状酌量の余地はあり、死刑を免れる余地はある。しかし刑法の基本は、相互主義である。つまり殺した者は、死をもってつぐなう。日本人ならば赤穂浪士のことを知っている。見事敵討ちを果たして、喧嘩両成敗の原理原則を浪士たちは知らしめた。しかし自らも、死を粛々と受け入れている。

 未熟だったならば、人を殺しても罪が減じられる。

 このようなトンチキを、最高裁判所の裁判官が裁判で、公式に意見を述べる。

 このようなトンチキは、裁判制度を愚弄したものだ。


  日本国内で事件を起こす者は、外国人が多い。一番多いのは在日朝鮮人とか、在日韓国人だった。それが支那人が多く日本国内に流入して、彼らの起こす犯罪が多くなっている。在日が帰化できないのは、日本国の社会生活になじめない、人格形成の不備なものが多いから。ヤクザやチンピラは定職がない。犯罪歴もある。密入国してスリとか強盗ぬすみを行うものは、精神が病んでいるからこうなる。

  宮川光治裁判官はこのような無法者を、精神的練度がすすんでいないからとして、罪状を軽くせよと言っている。つまり人を殺せば制裁を受ける。それには相互主義で、死には死を持って償わされる。この精神的に発達させるべく行われる、社会的な制裁を否定しているのだ。突破が困難な司法試験を乗り越えて、見事裁判官になった御仁の見識とも思えない。彼らには含むところがある。それは日本国の法治を紊乱・混乱させることである。

 冤罪があってはならない。

 しかし是を防ぐには難しい現実もある。だからこそ、死刑囚を極刑に処するには、様々なハードルが儲けてある。あまりにも慎重すぎて、死刑囚をそのまま収監し続ければ、その死刑囚ひとりに対して、5件もの凶悪事件が誘発されてしまうのだ。

 無辜の市民の生命の価値と、死刑囚の命には、重さに違いがある。

 この重く苦しい判定をし、そして人の命を絶つ決断ができるからこそ、裁判官や検察官は、特殊な判断ができる人として尊敬もされるのだ。

 

  人の命は尊い。人を殺してはならない。


 しかし世の中の宗教には、人を殺して済まされる話なぞ、なんぼでもある。
(大月死刑囚の書簡を読めば、それが覗える。日本人は外国の宗教の闇を、あまりにも知らなさすぎる。犯罪者はカルトとか、其れ的な宗教で、洗脳されている場合が多いのだ。)

 なので量刑は厳格に適用せねばならない。裁判はくだらない思想談義をする場所ではない。押しつけ憲法の現行ケンポウは、その背景に日本国の国家権力を、悪と決めつけている。この気分があるからこそ、刑法を軽んじる。侵略連合軍は自らを「解放軍」と自称した。そして自衛の為に戦った日本軍は汚名を着せられて、軍国主義の侵略者とされている。在日とかの犯罪者は、一般日本人に害を為すことを、「一種の正義」と心得違いをすり込まれている。このような謂わば、邪教がひろく犯罪者たちの社会に蔓延していることを、残念ながら一般の日本人は知らされていない。

 日本国の司法も戦後支配の影響をもろに受けている。

 小沢一郎裁判の証拠不採用などは、その端的なあらわれなのだ。

 

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