岩淸水

心を潤す

川口 順子

2009年08月10日 08時47分48秒 | 人物

 

 


川口 順子(かわぐち よりこ、1941年1月14日 - )は、日本の政治家、元通産官僚。自由民主党所属の参議院議員(2期)。自由民主党参議院議員総会副会長、核不拡散・核軍縮に関する国際委員会共同議長。旧姓は土田。
 
外務大臣(第133・134代)、環境大臣(第1・2代)、環境庁長官(第39代)、内閣総理大臣補佐官を歴任した。
 
夫は元福岡通産局長の川口融。


東京都生まれ。1960年、東京教育大学附属高等学校(現筑波大学附属高等学校)を卒業。高校の同期には、畔柳信雄(元三菱UFJフィナンシャル・グループ社長)、島村英紀(元国立極地研究所所長)、星出豊(昭和音楽大学教授)、松本元(脳科学者)、横田洋三(国連大学学長特別顧問)などがいる。
 
1965年に東京大学教養学部を卒業し、同年4月に通商産業省に入省。同期に江崎格(商工中金理事長)、中川勝弘(トヨタ副会長)らがいる。在職中の1972年、イェール大学大学院に留学し、経済学修士を取得。世界銀行エコノミスト、大臣官房地方課長、通商政策局経済協力部長、駐米公使などを経て、大臣官房審議官(地球環境問題担当)を最後に1993年退官。サントリー常務取締役に就任。
 
第2次森内閣で、民間から環境庁長官に任命され、入閣。中央省庁再編により、初代環境大臣を務める。続く第1次小泉内閣でも環境大臣に再任されたが、田中眞紀子外務大臣更迭により、外相に横滑りする。混乱の多かった田中前外相時代に比べ、実務的に外交課題を処理したが、与党内に基盤を持たない民間人閣僚としての限界も指摘され、田中前外相時代に引き続き、福田康夫内閣官房長官の外交面で影響力が指摘された。一方、北朝鮮問題やアフガン戦争、イラク戦争、日中・日韓関係の悪化等、困難な外交問題にも直面した。外相在任中には在上海総領事館員が中国側から外交機密等の情報提供を強要され自殺する事件が発生するが(上海総領事館員自殺事件を参照)、コメントを一切発表しなかった。なおこの川口の対応に抗議し、河野太郎が外務委員会理事を辞任した。
 
2004年、内閣改造により外務大臣を退任(後任は同じ元通産官僚の町村信孝)し、内閣総理大臣補佐官(外交担当)に就任。2005年、参議院神奈川県選挙区補欠選挙に自由民主党公認で出馬し、初当選した。
 
2007年3月、ギラン・バレー症候群を発症。病状は重度のものではなく、車椅子によるリハビリ生活を送りながら、同年の第21回参議院議員通常選挙に比例区から出馬し、高い知名度を生かして再選を果たした。
 
2008年、日豪で呼びかけている賢人会議「核不拡散・核軍縮に関する国際委員会」の共同議長に就任。
 
2011年4月14日、東日本大震災の復興補正予算が議論される中、復興予算捻出のためのODA削減案に反対する超党派の勉強会に参加した[1][2]。
 
2013年4月23日、アジア平和・和解評議会の1人として、中国の中華人民外交学会の招聘により訪中する。滞在は、4月24日までの予定も、楊潔篪国務委員(副首相級、外交担当)との会談のため、25日まで滞在の延長を、参議院議院運営委員会を申請するも認められなかったが、滞在の延長を決める[3]。結果として、25日開催予定であった参議院環境委員会が流会となる。
 
2013年5月7日、民主党などの野党7党が参議院に解任決議案を提出し[4]、5月9日の参議院本会議において解任決議案が野党8党の賛成多数で可決した。衆参通じて国会の常任委員会委員長が解任されたのは憲政史上初めて。この解任決議案について読売新聞・朝日新聞・毎日新聞・産経新聞の主要全国各紙は疑問視する社説を掲載した[5] [6] [7] [8]。

人物 [編集]
 通産省では語学の達人として知られた。坂本春生らと並ぶ女性官僚の草分け的な存在であった。
 趣味は読書、音楽鑑賞、スキー、俳句。
 姉の白井尭子は元千葉県立衛生短期大学教授で、メアリ・ウルストンクラフト等の女性解放論の研究者。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%9D%E5%8F%A3%E9%A0%86%E5%AD%90

 

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