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フリギア

2012年08月18日 10時00分00秒 | 地理

 

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フリギア

Phrygia、ギリシャ語Φρυγία)は古代アナトリア(現在のトルコ)中西部の地域名・王国名である。フリュギア・プリュギアとも表記する。


 
フリギア人(英語版)(英: Phrygians)はインド・ヨーロッパ語族のフリギア語を話す人々で、おそらくヨーロッパから紀元前12世紀頃移住してこの地域を支配し、紀元前8世紀に王国を建てた。しかし紀元前7世紀末頃キンメリア人の支配に屈し、その後隣接するリディア、さらにペルシャ、アレクサンドロス3世(大王)とその後継者たち、そしてペルガモン王国に支配されたのち、ローマ帝国領内の地域名として名を残した。フリギア語は6世紀頃まで残った。
wikipedia


 

 フリギアはギリシャ神話にもたびたび登場する。

 またホメロスの 「イーリアス」 などにも、神話的なフリギアの歴史が登場する。

  オリンポス十二神

 


神話中のフリギア王 "King of Phrygia"ゴルディアース または ミダス を名乗っている。またタンタロス(リディア王ともいう)をフリギア王とする伝承もある。トロイ戦争より前に、貧しい農夫ゴルディオス(またはゴルディアース)が神託に従って初代の王となったという。フリギア人はテルミッソス(古くはフリギア、後にガラティアとなった)に祀られたサバジオス(Sabazios、ギリシャ人はゼウスに当てる)の神託に従っていた。彼らは神託により、神殿に初めて牛車で来た男を王とした。それがゴルディアス(またはゴルディオス、ゴルディウス)である。彼は車を奉納して縛りつけた。これが「ゴルディアスの結び目」であり、後のアレクサンドロス3世(大王)が切った話で有名である。

 Mignard Nicolas Midas  "King of Phrygia"


 
ゴルディアスはアナトリアを縦貫する主要道(後のペルシャの「王の道」)に臨んで首都ゴルディオン(またはラテン語でゴルディウム)を建設した。
 
2代目とされるミダス王はいろいろな神話に登場する。


 
まず、トラキア にいた ミダス は シレノス を助けたことで ディオニューソス に感謝され、触れたものすべてを黄金にする能力をもらった。しかし何でも黄金にする手に困り、この 「けがれ」 をパクトロス川で払うためにアナトリアにやってくる。彼は川に黄金を残し(砂金の起源説話)たのち、ゴルディアス王と女神キュベレに養子として認められ、次の王となる。


 
また別の話では、ミダスはアポローン(竪琴)とパーン(パンの笛)の音楽合戦の審査員に入ったが、パンの勝ちとしたため、怒ったアポローンにロバの耳を付けられたという。
 
ホメロスによれば、フリギアは初めサンガリオス川(現在のサカリヤ川)のほとりに建設された。
 
トロイアの王プリアモスは若い頃、フリギアがアマゾンに襲われたときにこれを助けた。プリアモスの妻ヘカベは、サンガリオス川沿いに住んだフリギア王デュマスの娘とされる。
 
そののちフリギアはトロイア戦争でトロイアに援軍を送ったが、これはアスカニオスとポルキュスに率いられていた。彼らはフリギアのアスカニア地方の出身とされる。またデュマスの息子でヘカベの兄に当たるアシオスもフリギアの貴族であり、やはりトロイアで戦った。
 
ホメロスの記述ではアスカニアとサンガリオス川沿いのフリギア人の関係は明らかでなく、別の王を戴いていたようにも考えられている。

 

 

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