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アンポンタン条約

2011年07月20日 19時02分41秒 | 言葉の説明

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調印式で、日本政府を代表して署名したのは吉田茂首相ただひとりだった

 

 2012 02 11 核戦略 潜水艦の通り道 わが郷

 1951年 サンフランシスコ講和条約
 「南樺太と千島列島の放棄」・・・この千島列島とは、千島樺太交換条約における千島列島でありウルップ島以北のこと。
当時のソ連は講和条約に調印していないので、国際法上は日本の放棄した部分は帰属未定(白抜き)となっている。

 

 そもそもが、国際法を無視した残虐な市民虐殺を回避するために、御上が終戦をお決めになられた。これは謂わば緊急避難的な処置である。日本にも荒ぶる神がおこり、国民の安寧を守れるようになれば、講和条約の意味は薄れてゆく。

 

 

 

 うえの地図では、択捉島の北側に青い線が書き込まれている。

 

 ここから北側が、『 無辜の市民の大虐殺 』 というありえない非道を避けるために、しかたなく割譲した千島列島である。砲(法=砲)を勉強したものなら、だれでも判ること。「脅迫による契約は無効である」ということで、上図の白抜きの領土は、当然のこと日本国の伝統的な領土である。

 

 

 択捉島とその北側の得撫島(うるっぷとう)の間には、択捉水道がある。巾が、40㎞で深さは、1,300メートルである。オホーツク海から太平洋にぬけるには、ここが要衝である。これ以外の航路で、ロスケがウラジオあたりから、太平洋に出るには、津軽海峡とか対馬あたりを通らねばならない。つまり北の熊公が潜水艦に乗って、太平洋に 『 安全 』 にでるには、この要衝である択捉水道を是非とも確保したい。

 

核戦略 潜水艦の通り道 Итуруп воды (択捉水道)

 

 ならば何故、ソ連の宿敵アメリカが、この熊の野望を許したのか。

 

 

 

 

 馬鹿を言ってはいけない。

 

 スターリンのソ連とルーズベルトのアメリカは、チャーチルを交えてクリミア半島のヤルタで会談した。この1945年2月の会談で、日本の北方領土の割譲が決められた。つまりソ連とアメリカは、強盗の仲間だった。 (つまり東西冷戦は、あまりにも壮大な茶番劇だった。なので、日本人のほとんど全員が、これに騙されたままなのだ。日本の敵はソ連などのスターリン主義ばかりではなく、その裏側でコミンテルンの残差どもを繰っている、アメリカ金融も敵だと認識しなければ、実りある戦いはできない。それで日本の右翼はアンポンタン。なのでサンフランシスコ講和体制を突き崩す戦いは、左翼側が前進して沖縄の施政権を奪い返した。この後は右翼側が、日本国の核武装を含む防衛自立を進めなければならなかった。ところがアンポンタンは、飴玉が離せない。それで思い切り背中をドツかれたのが、政権交代だった。)

 

 ソ連の潜水艦が攻撃されずに、ウラジオストックから太平洋に抜け出る。この水道の安全をアメリカも支持したのだ。つまりアメリカとソ連は共同して日本国を、押さえつける仲間だった。

 

 

 

日本は寒いが 豪州のシドニー辺りでは 初夏 日本は寒いが 豪州のシドニー辺りでは 初夏

 

日米安保条約なんてえ代物は、「 外患誘致 」 がフロッグコート着てふんぞり返っているようなもの バナー

アンポンタン

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