愛子様の替え玉 (2) 失われた学校生活
この記事の読者から、替え玉の最新画像の存在を知らされたので、さっそく掲載する。いちばん左の写真が最新の2月に入ってからのものである。
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右から左に向かうにつれて、痩せ方、やつれ方 がひどくなっていくのが見てとれる。
この替え玉が精神的に追い詰められて、ストレスで痩せてきたのを奇貨として、 「愛子様が以前と違って見えるのは単に痩せたせいだ」 と世間に思わせるのに、「ちょうどいいぞ!」 と、陰でほくそ笑んでいる人間たちがいるようだ。
この替え玉の登校風景写真の左の2枚は、2017年になってから愛子様が通常の学校生活を再開したかのように国民に思わせるための印象操作 であると考えられる。「愛子様が度重なる不登校の期間の末にやっと通常に通学し始めた」 という話を、写真によって既成事実化するための 子供だましの工作(トリック) である。
つまり、愛子様のふりをした少女の登校風景だけを学習院近辺で週刊誌カメラマンに撮らせているだけなのである。本物の愛子様がここに存在していないことは明らかである。 この少女はおそらく学習院の校内に入っても、 本物の愛子様が所属するクラスの教室には向かっていないと考えられる。
たしかに学習院の内部はわれわれにはブラックボックスで、実態はわからない。しかし、少なくともこの少女は本物の愛子様ではないし、さらにこの少女がが愛子様のクラスの教室に入ったという証拠も何一つないのだ。
この日は、この替え玉も、常に貼りついている SP も、愛子様の “学習院での授業のため” に朝、玄関を出たのではない。 “女性週刊誌のカメラマンに写真を撮らせるために” 朝、玄関を出たのである。これこそが、この日の “仕事” だったのである。印象操作に欠かせない画像を用意するための “お仕事” だったと考えるべきであろう。
「本物の愛子様が、生存していて、元気に学習院に通学している」 というありもしない話をでっち上げるためである。そのためのいちばん大事な材料である写真を撮るというのが、その仕事の目的であったのだ。
替え玉を使って “演出” しなければならないということは、逆に言うと、本物の愛子様が問題なく元気でいる公算は小さく、生存しているのかどうかも確認できないということになる。
少なくとも、本物の愛子様をふつうに登校させられない理由がある、と考えられる。だからこそ、替え玉を使うのである。違うだろうか?
この替え玉の少女は愛子様のクラスの教室に足を踏み入れてもいない、とわたしは確信を持って言う。なぜならば、この少女は本物ではなくて、替え玉だからである。本物でない人間が “本物のフリをして”、本物をよく知っている何十人もの人間の中にずかずかと入って行くことなどできるわけがない。
(以下、3枚セットの画像は、すべて中学女子の一般的な学校生活のイメージ画像である)
“学校生活“ とは、“集団生活” である。 この替え玉の少女はおそらく教室には入らず、校内にあらかじめ用意されている特別な部屋に入って個人指導を受けていると考えられる。つまり、替え玉が登校したことが事実であったとしても、その同じ替え玉が教室でクラスメートと一緒に授業を受けていると考えるのには無理がある。
この替え玉の少女には、学校生活の “居場所” はない。 ある意味で、この年頃の少女にこんな残酷なことはない。
その根拠は、
1) クラスメートは障害児の本物の愛子様をよく知っているはずで、 健常児の替え玉が教室に入ってくれば、誰でもそれが本物ではないとわかって、クラスの生徒たちは動揺し、授業どころではなくなるはずである。
2) クラスメート全員に、 替え玉を “本物として” 扱ってくれるように宮内庁が担任を通じてあらかじめお願い しているとはとても考えにくい。クラスメート全員ということは、 その親たち全員にも “お願い” ということになる。つまり、「お芝居をするから、“口裏合わせ” をしてくれ」 などとはとても言えないであろう。
3) この「口裏合わせ」 を “お願い” ではなく、脅迫して “強制” しているとは、常識的にはさらに考えにくい。しかし、この可能性は捨てきれない。「愛子様のことを思って」 協力するように強く要請されていることもあり得ないことではなかろう。さらに考えにくいことだが、生徒たちが積極的に協力するということも不可能とは言いきれないかもしれない。
4) 愛子様のクラスメートたちは、昨年2016年12月にテレビニュースで公開された、宮内庁提供の「15歳の誕生日を迎えられた愛子様」 の映像の少女 が本物の愛子様ではないことを誰よりも知っているはずである。クラスメートたちは、別人が本物の愛子様になりすましていると証言できる重要な証人たちである。 しかし、彼女たちによる愛子様についての話題や言及は 「愛子様のために」 固く慎むよう戒められているに違いない。こうしたことは、クラスの担任が口頭で懇々(こんこん)と言い諭(さと)していることが想像される。
5) この替え玉が、学習院中等科の愛子様のクラスの女生徒たちに “温かく” 受け入れられているとはとても考えられない。クラスメートたちには、ニセモノの愛子様に合わせてお芝居をしなくてはならない理由など、どこにもないであろう。自分たちの知っている愛子様の “ニセモノ” というだけで警戒するはずだ。当たり前だ。
この替え玉の少女がどういう性格のどういう人間であるかは、ここではまったく問題外である。愛子様とは全然無関係に転校してきた少女ならば、ふつうに “温かく” 受け入れられるかもしれない。しかし、ニセモノが本物に成りすまして現れたら、誰だって警戒するはずだ。
6) 替え玉があたかも本物であるかのようにスタスタと教室に入ってきて、本物と して振る舞うとあなたは本気で思うだろうか?あなたは自分ならそのくらいのことはできると思うだろうか?相当ずぶとい神経の持ち主でないとできない芸当ではなかろうか。 かりにそのように振る舞ったとしても、 クラスの生徒全員がそのお芝居に積極的に合わせるということはとてもありそうにない。「あんただれ?」 とボソッと訊く生徒は必ずいるものだ。この替え玉の少女に限らず、どんな人間だって、ニセ者としてバレバレの状況にそのまま居続けることは “針のムシロ” であろう。
7) クラスの生徒たちへの動揺を避けるためにも、替え玉を教室に入れる意図は始めからまったくないはずである。そもそも替え玉当人にとっても、とても居られたものではないだろう。
最新の2月の写真はまだ未確認であるが、1月の写真の場合、「週刊女性」 という女性週刊誌だけが事前に待ち伏せして愛子様の登校風景を撮影しているようだ。謀略集団はどうやらこの週刊誌一誌に独占的な特権を与えて、愛子様の近況を非常に制限したかたちでコントロールして流しているように思える。しかし、「教室でご学友と一緒に授業を受けられた」 といったような話は、しょせん “活字” であって、いくらでも作って流せるのだ。 「週刊女性」 は愛子様登校報道の独占権と引き換えに、謀略集団の “希望通りの記事” を垂れ流すであろう。
想像して頂きたい。替え玉が入ってきて、愛子様の席に座っただけで、教室にぴーんと緊張が走るはずだ。クラスの生徒たちはたがいに目を見合わせ、教室内は重苦しい沈黙が流れるはずである。そんな突き刺さるような視線を周囲から浴びて平気でいられる少女がいるとはとても思えない。
さて、愛子様の登校時間は当然 一般生徒の通常の登校時間を避けて、遅らせているはずである。実際、登校中の他の生徒たちの姿は写真にはまったく写っていない。いつもひとりである。本物の愛子様を知っている生徒たちに 替え玉が登校する姿を見せたくないのである。
そして、この替え玉は、“愛子様用の別室” で “個人授業” を受けているはずである。学習院中等科の加担なしには愛子様の替え玉陰謀工作は成立し得ないだろう。いわゆる “保健室登校” ですらもないと言える。なぜならば、保健室は一般の生徒が前触れもなく入ってくることが避けられず、そこに愛子様の替え玉が居れば、ウワサがたちまちのうちに拡がるからである。
実際、「愛子様はお一人で昼食」 といった記事が週刊誌にもあるようだが、たしかにこの替え玉が 本物の愛子様のクラスのクラスメートたちと一緒に和気あいあいと 昼食をとっている光景はとても想像できない。そんなことは不可能なのだ。子供を単純に考えてはいけない。
愛子様が教室で授業を受けている写真がない以上、活字だけの話を鵜呑みにすることはできない。替え玉は教室には一度も足を踏み入れず、ずっと別室にいるというほうが自然に思える。
スマホ、インターネット?
この替え玉の少女は、当然パソコンや携帯は使用禁止であり、彼女はどちらも持たせられていないはずである。言うまでもなく、本物はなおさら厳禁であろう。まず、携帯であるが、そもそも、電話やメールをする相手がいるだろうか?いたとしたら誰だ? 友達?きょうだい?本当の親? あり得ないだろう。これも非常に残酷な児童虐待の一面であると言える。
パソコン、つまり インターネットは特に “厳禁” と思われる。東宮御所にあるはず(?)の彼女の部屋には、携帯もスマホもパソコンもあってはならないはずである。YouTube で、動画 「愛子様と替え玉:目歯比率 云々」 を見ることができるような環境には絶対にないと言える。この替え玉は、“不断の監視” にさらされていることに加えて、徹底した “情報の無人島生活” を強いられているはずである。北朝鮮の国民よりも情報が制限されているであろう。
万一彼女がパソコンで 「愛子様」 を Google で検索すれば、「愛子様と替え玉」 「ついに愛子様の替え玉を立証!」 「愛子様と目歯比率」 などがぞろぞろ出てくるのだ。“替え玉陰謀” の振付師が、替え玉に真っ先に禁止するのはインターネットである!
とにかく電子端末は外部世界とのコミュニケーション、情報交換の道具になってしまうので、絶対に厳禁であろう。 最近のスパイ映画では、ヒーローと逃げる少女がスマホを不注意に使って、追手側に盗聴されたり、場所を突き止められ追い詰められるといったエピソードが定番になってきて、いくつもの映画で同様のパターンが繰り返されている。現代では、「キチガイに刃物」 より、「少女にスマホ」 が “命取り” になるのである。
うっかりインターネットへのアクセスを許せば、結果的に、助けを求めたり、逃亡をたくらんだり、命令を拒絶するなど、想定外の事態が生じる可能性が必ず出てくるはずだ。言うとおりに従わせることが困難になってくることは避けられないはずだ。そして、なによりも “自殺” の可能性 が出てくるであろう。替え玉が自分の置かれている現実を客観的に知ったら、とても耐えられないはずである。
通学の際の SP の存在 も、路上での潜在的な危害から愛子様を未然に防ぐためというより、 替え玉当人の監視のためであろう。
さらに言えば、替え玉の “逃亡の予防” と “予定外の行動の阻止” のための “監視と牽制” と言った方が的確かもしれない。つまり、愛子様に貼りついている SP の主目的は、「愛子様の安全」 のため以上に、 「替え玉の監視」 であり、 「替え玉陰謀の露見予防」 のためであろう。
繰り返すが、そもそも “学校生活” というものは “集団生活” である。一人でいることの方が例外的な世界である。ここ2年ほど、愛子様が他の生徒たちと写っている写真がほとんど無いとしたら、替え玉の 「登校風景写真」 はあくまでも登校だけに過ぎず、教室での授業や校外授業の出席は本物も、替え玉も どちらも実質的にゼロである疑いはさらに深まる。運動会、文化祭といったイベントでの写真も公開されていないのも不自然である。
愛子様についての話題は学習院の生徒たちにはご法度で、特にメールやネットでの愛子様への言及は絶対に禁止となっていると想像される。今の時代にそうしたことを放置、黙認しているわけがない。
生徒たちは、愛子様について話題にしないように、担任から強くクギを刺されているのではないかと想像される。学習院中等科も、愛子様のクラス担任も “替え玉陰謀” における不可欠の “加担者” であると考えられる。そうした協力なしにはこの陰謀は遂行できないであろう。
さらに宮内庁のサイバー監視チームは、愛子様のクラスメートのスマホや携帯のメールも自宅のパソコンも監視しているはずである。そして、現に摘発され、厳重に注意を受けたケースもあったに違いないと考えられる。そうした摘発のケースがクラス内で伝わり、愛子様のクラスは、今ではすっかり 恐怖支配体制 が確立していると想像される。 だからこそ、クラスメートによると思われる愛子様情報がネット上にはほとんど浮上してこないのであろう。
あるサイトには次のような貴重な書き込みがあった。( )内はこの記事での補足説明
「子供が学習院で愛子様と一緒のクラスでした。愛子様には護衛がついています。苛(いじ)めることなんてできません。愛子さんが暴れたり暴力を振るいはじめたので、クラスの男の子が制止したのです。(当時、男子に苛められたから不登校という報道があった)
小6のフラフープの演目も本来小1の演目です。愛子様のレベルに合わせて変わりました。
先割れスプーンもそうです。(箸が使えなかった愛子様に合わせて、学習院初等科では、昼食はそれまでの “先割れスプーン禁止” から一転して “箸禁止” “先割れスプーン使用のこと” となった)
箝口令も凄まじかったです。 多くの生徒が中学から他校に移っていきました。もちろん私の子供もそうしました。(学習院を去っていなかったら、こうした書き込みもできなかったであろう) 」
追記:2014年の 「週刊現代」 に以下のような記事を見つけた。
「登下校の際には6~8人のSPが警護に付き、皇宮警察の覆面車両が何台も学習院の周囲をグルグル走り回る厳戒態勢です。
生徒の間にも、初等科の頃よりもきつい箝口令が敷かれ、もちろんインターネット上での愛子さまに関する書き込みもかたく禁じられています。クラスメイトの父兄の中には、先生に『もう面倒だから、ウチの子のクラスを替えてくれないか』と申し出る人まで出ている」(前出と別のご学友の父兄)
実は、替え玉が愛子様のクラスの教室で授業を受けているのかどうかは本質的な問題ではない。はっきり言って、この件はどちらでもいいのだ。教室であろうと、別室であろうと、保健室であろうと、しょせんどこでもいいのだ。
大事な点は、「学習院に来ているのは、本物の愛子様ではない」 ということだ。本物の愛子様は学習院には来ておらず、替え玉が本物のふりをして来ているということである。日本国民は “子供だましのトリック” で易々(やすやす)と騙されているということだ。
毎日ブログ読ませていただいています。
ザウルスさんが今闘っているものに対し
自分にもできることをしていきたいと思っています。
さて、影子さんと呼ばれている子の生活ですが、
確かに謎が多いですよね。
でも、この子は多分、
愛子さまが初等科の時の運動会で
隣り合わせて立っているところを
週刊文春に撮られた子なのではと
多くの方の見解が一致しています。
健常児アピールと言われた
絵本の読み聞かせの通称「うずらちゃん」ですね。
なので、学習院は生徒も含め、
この替え玉の子の身元を知っているのではないかと思われます。
現在の学習院は昔に比べ、愛子さまの一連の騒動や
学長が創価学会員に代替わりしたこと
韓国語が必須になったことなどで、
イメージも質もステイタスも地に落ちてしまいましたよね。
ザウルスさんも予想されているように相当ブラックな
学校であると言えると思います。
初等科の時、影子さんんは愛子さまの
ご学友だったので、この子の籍は学習院にあるのではないでしょうかね?
ご参考までにと思いコメント入れさせていただきました
この替え玉はどこの誰であろうと、児童虐待の被害者である、というのがわたしの立場です。本人は必ず、「わたしは今の替え玉の生活に満足しています。皇太子ご夫妻はやさしくしてくれます。余計なおせっかいはやめてください」 と言うはずです。人間の心理というものはそういうものです。
そして、この替え玉が虐待の被害者であることを否定するひとも多くいます。「お姫様扱いしてもらってるんじゃないか、どこが児童虐待だ?」 という理屈です。虐待の被害者ではないのだから、助ける必要もないという結論にすれば気が楽になるというわけです。
そして、「ご学友ならば、友達のよしみでやっているんだろ。別に “拉致” したわけじゃないんだからそのままでいいじゃないか」 となるのです。憶測を元にした “救出不要説” の出来上がりです。
わけだし。替え玉であるからこそ、外部の人間に関わらせない必要があるのですね。恐ろしい。早く解放してあげて。
さて、本物と替え玉とは使い分けているだけで、本物はまだまだ出てくる機会があるとお考えのようですね。わたしは使い分けの時代はすでに終わり、昨年1年かけてすり替えが完了したと見ています。相当無理のあるすり替えをやっと完了してから、わざわざ本物を出して左手のお手振りを見せてくれるとは思えません。
替え玉も本物も立場こそ違え、虐待にさらされています。すみやかな解放を願いたいですね。
暴力を振るわれている様子も痕跡も無いから虐待ではないということにはなりません。腕を骨折しても治るでしょうが、子供の場合、精神的な虐待は “トラウマ” となって、生涯残ります。
http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/fc5275aaa1b0bf0ff2bb98980133b3fc
投稿に際して、名前 と タイトル は必ずご記入ください。投稿する側の最低限の責任だと考えます。
記入のない投稿は、今後掲載いたしません。
拒食症の替え玉とか探すの大変じゃん
何人替え玉使えばいええの?
替え玉使う理由わからん。