ザウルスの法則

真実は、受け容れられる者にはすがすがしい。
しかし、受け容れられない者には不快である。
ザウルスの法則

“定義”の美しさ

2013-02-01 18:10:32 | 定義

“定義”の美しさ

 

定義と説明は違う。定義は説明の一部で、その根幹ともいうべき部分である。

辞書で与えられている定義は、必要最小限の語数でその語の意味を明らかにしていると思われているが、実際はかなり粗雑なものが目立つ。特に日本語、英語の辞典ではそれがはなはだしい。同義語に毛が生えたようなものを提示して事足れりとしている非常に怠惰で、皮相で、知的刺激に欠けるものが多い。はっきり言って、面白くないのである。つまらないのである。くだらないのである。

わたしには定義について非常にこだわりがある。定義はこうでなくてはならないという以下のような信念がある。簡単に言って、私の勝手な”定義の定義”である。わたしの定義の美学である。

 

1. 言葉の意味を必要最小限の語で的確に明らかにしなくてはならない。

2. 同義語、類義語、派生語の使用は皆無もしくは最少でなくてはならない。

3. 可能なかぎり多くの具体例をカバーできるものでなくてはならない。

4. カバーしてしまうかもしれない非該当例は可能な限り少なくなければならない。

 

よくできた定義は美しい。数学的な美しさを湛えている。ものごとの本質を抽出し、それを結晶化させたものであるならば当然それなりの完成美があるはずだ。しかし日本の辞書でそういった定義を目にすることはまれである。過不足なく与えられた美しい定義を前にしてひとは人生、世界、宇宙について再発見をするのである。汚れた世界を磨かれた曇りないレンズで見直すのである。すぐれた定義はそれ自体が哲学的命題である。

そういった定義が手元に無いならば、作ればよい。わたしの目指していることはそれである。以上の4つの“縛り”を自らに課して、わたしは“定義”する。

能書きはいい。具体例を挙げよう。日本の代表的な辞書と比較しつつ見ていこう。

 

畳む

◇ 広げてあるものを折り返して重ねる。 折って小さくまとめる。広げたものを折るようにして閉じたり、すぼめたりする。  「デジタル大辞泉」

◇ 折り返して重ねる。積み重ねる。折り重ねる。   「広辞苑」

 

 ハンカチ、布団、傘、パイプ椅子、望遠鏡 ・・・・・・ 「デジタル大辞泉」はいろいろ列挙して網羅しようとしているが、これらの具体例をすべてカバーすることはできていない。抽象化の努力が足りないのではないか。羅列主義である。思いつくものを並べてどれかしらでカバーできると思っているのだが、漏れている。一方「広辞苑」は2次元的対象、つまり平たいものにとらわれすぎていないだろうか。望遠鏡を「折り重ねる」とは言えないだろう。折ったら壊れるだろう。

 ◆ 復元可能なように小さくする   ザウルス

 

 

投げる

 

◇ 空中へほうる。手にとって遠くへ飛ばす。また、ほうり出す。   「デジタル大辞泉」

 ◇ (手に持って)遠くへほうる。  「広辞苑」

 

どちらも「ほうる」という語を定義に使っている。この「ほうる」をそれぞれの辞典で検索すると、どちらの辞典でも「投げる」と出てくる。つまり、「投げる」とは「投げる」であると言っているに等しい。日本の辞書はだいたいがこんなものである。定義とは程遠いものである。こんなものが明治時代から今日に至るまで大手を振ってまかり通っている。日本人の頭がいつまで経っても論理的思考に耐えないのはこの辺りにも原因がある。

  ◆ 遠心力を利用して手などで空中などを飛翔させること    ザウルス

 

あえて「遠心力を利用して」と言う。これはわたしの調べたかぎり欧米の辞書もほとんど触れない点である。実際にものを投げる場合を想像してもらいたい。遠心力を利用していることがわかるであろう。これは弓で飛ばしたり、銃で飛ばしたりするのと原理的に違うのである。わたしはあえて「手など」とした。中世の投石機を考えてもらいたい。遠心力である。また宇宙空間や水中でも不可能ではないと思われるので、「など」として、空中に限定することを避けた。

 

 

笑う

◇ 喜び・嬉しさ・おかしさ・照れくささなどの気持ちから、顔の表情をくずす。またそうした気持ちで声を立てる。   「デジタル大辞泉」

◇ 口を大きく開けて喜びの声を立てる。 おかしがって声を立てる。   「広辞苑」

 

「デジタル大辞泉」は原因を列挙しすぎていないだろうか。また「顔の表情をくずす」の意味は非常にあいまいである。笑った表情を「くずれた」表情と一般的に言うだろうか?

「広辞苑」は原因についての詰めがあまりにも甘すぎる。「喜びの声を立てる」と言うが、勝利に歓喜しガッツポーズをして「やったぜー!」と叫ぶのは「笑う」ことになるのか。

笑うとき、われわれはふつう「広辞苑」が言うように「口を大きく開けて」いるだろうか?日本国民の半数を占める日本人女性はこの定義に同意するだろうか?男性でもこんなドラエモンのマンガの登場人物のように豪快に「口を大きく開けて」笑うのはむしろ例外ではないか?「ハッハッハッ」はまあ、いいとして譲ったとしても、「ヒッヒッヒッ」「フッフッフッ」「ヘッヘッヘッ」「ホッホッホ」「クックックッ」が当てはまるであろうか。広辞苑という辞典はいちおう権威があるようだが、この程度のものである。

「笑う」という語は特に定義がむずかしいが、それはもちろん”笑い”という心理学的現象が実際に複雑なものであるからに他ならない。

 

◆ 自らの優越性を感じて発作的に反応すること、通常快感と痙攣的な発声を伴う    ザウルス

“口の開け方”についての条件はまったく不要であると考える。笑いの原因についての言及が哲学的すぎたかもしれない。生理学的説明がくどいかもしれない。しかしわたしは、これが過不足ない定義だと思っている。

 

歩く

◇ 足を動かして前に進む。歩行する。歩む。  「デジタル大辞泉」

◇ 一歩一歩踏みしめて進む。歩行する。歩む。  「広辞苑」

 

 いかがであろうか。これらの定義に何か不満があるだろうか。「歩く」という言葉に関して、これらに何の不足や難点があろうか。まず、両者に見られる同義語や類義語の提示はわたしにとっては“禁じ手”である。同義語や類義語をわたしが嫌うのは、とにかく定義として美しくないからである。さらに定義そのものがヘタな場合、それらに逃げているケースが多いからである。つまり、邪道でプロ意識に欠けるのである。1つの輪郭線で画然とその意味領域を示さず、複数の輪郭線のブレた領域を示して逃げているのである。「だいたい何のことかわかればいいだろう」という安易な態度が覗いているのである。適当な定義でお茶を濁して、あとは同義語、類義語を指し示すという無責任な態度である。辞典の編集という言葉のプロの仕事が泣くというものだ。とにかくまず、きちんとした定義を出してみろ、と言いたい。厳しさのないところに美しさはない。

 後ろ向きに進むのは歩くとは言わないのか?たしかに後ろ向きに歩いているひとを路上で見かけることはまずないだろう。しかし、身体能力的に言って人間や犬やアリにとって後ろ向きに歩くことが不可能な点は何一つない。実際何かにじわじわ追い詰められるような場合、後ろ向きに何歩か歩くことは起こりうるし、「後ずさり」というのはそのことではないか。可能なことを排除するには理由がいる。わざわざ「前に」と言うことは「後ろに」を排除することである。「歩く」の定義において、はたしてその必要があるだろうか。

泳ぐときにも足を動かさないだろうか。水の中でバタ足だけで前に進むことは可能である。すると水泳のバタ足も「歩くこと」の一つなのであろうか。これでは定義として、ちょっとずさん過ぎないであろうか。ここには定義における”陸上中心主義”が見て取れる。わたしのこうした疑問を“あげ足とり”と思う人は、おそらく定義というものの厳格さを知らないのである。

「一歩一歩踏みしめて」とは何だ。「一歩一歩」も「踏みしめて」も明らかに類義語、派生語の援用である。安易で姑息な手である。けっきょく類義語の羅列に終わっている。ほとんど頭を使わないこの程度の定義ならば小学生にもできるだろう。定義という仕事をきちんとしていないということだ。実に情けない。

 飛ぶことや泳ぐことは3次元空間での移動であるが、歩くことは2次元空間上での移動ではないだろうか。つまり表面である。これが歩くということの決定的な本質的条件ではなかろうか。上記の2つの辞典による定義はこれをつかみ損なっている。移動という、より高位の概念が欠落している。“歩く”以外の他の可能性を思いつくことができないのである。わたしは“歩く”という行為は複数考えられる移動形態の1つと見ている。そしてそれは何かしらの表面での移動であると捉える。表面とは地面であり、舗道であり、床であり、廊下であり、階段のステップである。宇宙ステーションの中の天井かもしれない。また陸上でもなく海底かもしれない。歩くのは常に何かの表面ではないか。あまりにもありふれたことなので、上記の2つの辞典の編者には見えなかったのである。ニュートンのリンゴである。おそらく広辞苑はこの“表面性”に何となく気づいていたのだろうが明確に客観的に言語化することができなかった。せいぜいが「踏みしめて」である。わたしは端的に「表面」と言おう。またわたしは、歩くという行為について前にか後ろにかの区別は問わない。それは「歩く」という行為にとってなんら本質的ではないと考えるからである。定義は本質をつかみ取ったものであらねばならない。以下にザウルスの定義を示す。

  足を使って表面を移動すること   ザウルス

 

= = = = = = = = = = = = = = = =

日本語の主な動詞を定義したので、ぜひごらんいただきたい。(随時訂正、改訂している)

定義は”パンツ”である

定義集 動詞  あ ~ こ  (209)

定義集 動詞  さ ~ の  (174)

定義集 動詞  は ~ わ  (167)

 

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