≪栗生川と学校の水泳場 (川向かいの茶色の洲の部分) 右側が上流で吊り橋がある。≫
栗生川は、古来より、川港として島内はもとより、遠く本土漁業者の食糧補給など中継基地として発展してきている。川幅は広く、満潮時には満々と水を湛え、干潮には洲が出現する。大雨の時には、濁流に一変し氾濫することもある。
当時、学校にはプールはなく、学校水泳は、栗生川対岸の洲で、潮時を見計らって実施していた。川には深みや、流れの速い箇所もあり、子供たちの安全等には、特に配慮していた。子供たちは、幼少時から、川や海に慣れ親しんで育っているので、 殆どの子どもは、一応、泳ぐことができた。学校水泳では、水遊びが中心で平泳ぎなど指導していた。高学年は、時には、引き潮時に、吊り橋近くの学校寄りの水際で、クロールなどの指導を行っていた。また、天気の良い日には、学年・学級ごとに塚崎海岸の潮溜まりで泳ぐこともあった。潮溜まりには、青ブタイなどいろいろな魚がおり、網で掬ったりして、たいへん楽しい海水浴であった。学校水泳では、特に水泳着はなく、普段着を着用してた。水泳事故は殆どなかった。
屋久島は、海、山、川等美しい自然に恵まれてはいるが、自然は、時として牙を剥くときもある。大自然と共存するためには、自然をよく知り、無理しないことが肝要である。子供たちは、感覚的に自然をとらえているので、対応には学ぶことが多かった。
(栗生海岸の海水泳場 引き潮は、程よい潮溜まりになる。)
≪ 栗生川の吊り橋 対岸の水泳場に行くのも吊り橋を渡る 昭和29年夏(1954)≫