南国の遊び部屋

鹿児島の祭りや観光地についてゆるーく報告してますが、最近オタッキーな記事が大半だったりします。
遊び部屋ですから(笑)

観櫻火宴2010

2010-03-31 | 九州の祭り・観光地
2010年3月27日土曜日、長崎県雲仙市千々石町で夕方から開催される観櫻火宴(かんおうかえん)を 見に行きました。


読んで字の如く、桜を観て、火の宴を行う・・・
最初は意味が分かりませんでしたが、橘神社の桜を観て納得です。

「長崎最大の火祭り」だそうです。
鹿児島では「曽我どんの傘焼き」で、宮崎では「西都古墳祭り」で松明行列がありますが、武者行列と松明行列が一緒になっているものは、全国でもそうはないようです。


橘神社参道に立てられているノボリですが、龍造寺や鍋島は、本日の劇では敵方になります。

雨天決行と書かれてますが、雨でも松明は大丈夫なのでしょうか?
風が強くても火事などの危険が高まり中止の可能性があるでしょうから、前日など心配していましたが、当日天気は比較的良かったです

18時10分から福石公園会場でイベントが始まり、19時30分から松明行列の国道渡りがあり、20時頃から千々石(ちぢわ)中学校グランド会場でメインイベントを行う予定のようでした。

橘神社参道入り口向かいのデイリーヤマザキで行列を待っていると、19時少し過ぎくらいに松明行列が国道57号線を渡ってきました

おおっ!!
まさしく松明・武者行列です!


橘神社の大鳥居をくぐる所。
九州一のみかげ石の大鳥居だそうです。

すすや煙、灯油臭の出ないエコオイルを松明に使っているようでした。
鹿児島県日置市吹上町永吉で開催される「山神の響炎」というイベントでも 昭和シェル石油の『Shellエコ灯油』を使っています。


鹿児島神宮のノボリがありました!

島津の家紋の旗も!
友情出演のようです
実は私が「観櫻火宴」の存在を知ったのは、去年・2009年10月18日、霧島市隼人町で「きりしま隼人浜下り」が開催された時に、「観櫻火宴」の鎧武者が数名参加されたからなのです!!

松明武者行列は、橘神社参道から千々石(ちぢわ)中学校グランドに入りました。
そして雲仙市と観光姉妹都市である霧島市の「きりしま隼人浜下り」のメンバーが数人参加したことを紹介していました。
彼らは、舞台上で「チェスト~!!」と気勢を上げ、長崎の方々から暖かい拍手を受けていました


中学校グランドを行進する「グランド松明」が行われました。
武者達は「いやさかぁ~!!」と掛け声をかけながら練り歩きます。
いやさかは繁栄を祈って叫ぶ声で「ばんざい」の意味だそうです。


大人から少年少女達まで、大勢参加していました。

次に島原具足弓が披露されました。

残念ながら火矢ではありませんでした。

次にタイ捨流剣術が披露されました。

タイ捨流剣術は肥後国球磨郡相良家の兵法指南役、 丸目長恵が創始した新陰流系統の剣術流派だそうです。
新陰流を創始した上泉伊勢守(かみいずみいせのかみ)秀綱の弟子となった丸目蔵人佐(くらんどのすけ)藤原長恵(ながよし)は、28歳(1568年)で新陰流極意の印可を得、新陰流を九州一円に広めたあと、独自の工夫によりタイ捨流を開流したそうです。


なんと、あの立花宗茂も丸目長恵から1596年10月にタイ捨流の免許皆伝を受けているそうです!


次に熊本の葦北鉄砲隊の方々により火縄銃演舞が行われました。
「構えぇ~!」「放てぇ~!」「バァーンッ!!」
かなりの轟音です!

1630年代に細川藩が葦北地方の防衛と、加藤家旧勢力の遺臣を取り込み統治を安定させるため、鉄砲隊を組織したのが始まりで、天草・島原の乱での原城総攻撃において目覚しい活躍をみせ、明治3年(1870年)まで存在していたそうです。

「弾込めぇ~!!」
次弾に備え、準備し・・・

一斉掃射!!

平成15年(2003年)秋に結成され、「紀州鉄砲祭」では、当時の葦北鉄砲隊が実際に使用していた幕府の正式砲術「稲富流砲術」の再現により演武を行い、初出場にして優秀賞を受賞し、日本国内各地・海外まで演舞を披露されているそうです


劇「釜蓋城物語2010」開始の前に景気づけに?大筒がぶっ放されました
凄い爆音でしたが・・・

筒の下半分が吹き飛んでました(爆)


劇「釜蓋城物語2010」が始まりました。
1582年、長崎港を出港しキリシタン大名の使節(天正遣欧少年使節)としてローマ法王のもとへ派遣された原マルチノ、中浦ジュリアン、伊東マンショ、千々石ミゲルの4人。

1577年(天正5年)に龍造寺氏に攻められ家老・木戸高九郎とともに自刃した釜蓋城主・千々石 直員(ちぢわ なおかず)が、息子・千々石ミゲルを脱出させる場面です。


千々石大和守直員は肥前の戦国大名で島原半島に勢力を持っていた有馬晴純の三男で、兄に有馬義貞、大村純忠がいます。


龍造寺軍と千々石家臣との戦闘。
千々石家臣を演じる赤鎧の人はタイ捨流剣術の師範だったような・・・


家老・町田兵七郎「殿・・・もはや、これまででございます・・」
「殿の御首(みしるし)を敵にとらせまいぞ・・・」

家老・町田兵七郎が龍造寺軍を食い止めます。
かなり殺陣が多くてナイスです

この龍造寺軍の中ボス的幹部・空円は
(自称・龍造寺隆信様の懐刀(笑))
「いくさ坊主の空円なるぞ」とかなりキャラが立ってました(笑)


空円のセリフに「ザコとは違うのだよ、ザコとはっ!」(ランバラル?)とか
やられた時に「この茶器を親方様に届けてくれ・・・これはいいものだっ・・」(マ・クベ?)とかガンダムネタを織り交ぜていて、うちの息子大喜びでした(笑)

鍋島直茂「空円を倒すとは・・・」


鍋島直茂と家老・町田兵七郎の死闘!


刃折れ矢尽きて自刃・・・
町田兵七郎は群がる敵中に突入し、最後は西河内の大石の上で割腹したとのことです・・・


大友宗麟が、1570年に弟の大友親貞を総大将として6万もの大軍を組織し、肥前に侵攻させますが、龍造寺隆信はこれを鍋島直茂による奇襲策によって撃退し(今山の戦い)、肥前への勢力を拡大していきます。
1572年には少弐政興を肥前から追放
1573年には西肥前を平定
1575年には北肥前を平定
1577年までに大村純忠を降し
1578年には有馬晴信を降して肥前の統一を完成

1582年有馬軍は、釜蓋城を攻撃し、城番の龍造寺家盛を敗走させます。
1584年龍造寺氏から離反した有馬晴信に対し龍造寺軍は、島原半島に攻め込みます。
龍造寺軍には大村純忠もおり、やむなく甥の晴信を攻撃する事になりますが、空砲だったようで、後の島津軍の追撃の際、大村軍は攻撃されなかったとのこと。
島津勢(家久)・有馬勢連合軍は、島原の沖田畷で、戦闘となり隆信の戦死で龍造寺勢は敗走。
これによって大村・有馬らの大名は龍造寺隆信の重圧から解放されました。


劇の後は「最強軍団(稚児武者)VS極悪軍団」
最強軍団(稚児武者)は今度小学校に入学する児童達です

極悪軍団(鎧愛好家の皆さん)を全滅させ、最強軍団「えいえいおう!」


この後、元服立志式と御神楽が行われ、終了でした。




いやぁ~、雲仙まで来た甲斐がありました

鹿児島なんかは、題材に困らないでしょうから、こういうのをやってくれないでしょうかね?
薩摩川内市はんや祭りの武者行列で、秀吉vs島津は、行われるとのことですので、楽しみですが。
「関ヶ原突破」なんか、お涙ちょうだいで受けると思うのですが(笑)




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