ゆずり葉塾

ゆずり葉塾は、きわだつ個性いっぱいの小さな塾です。

角を矯めて牛を殺す(3)

2013-07-31 22:40:06 | 塾長独白
「石原前都知事が日教組を大嫌いだったっていうのは知っているだろ。まあ、平和憲法も嫌いな人間だから日教組の戦後教育を嫌うのは自然だよ。そして彼は都知事になったとたん日教組を解体するため、できる限りのことをやったんだ。組合には直接手をかけられないから公務員への職務命令という形で組合員それぞれをバラバラにしようと目論んだ。」「職員会議が会議ではなくって管理職の一方的な命令伝達をする場に過ぎないってことになっちまったんだろう。ニュースで見たよ。」「ああ、それもひとつだ。現場の問題を職員皆で議論し、解決するための場はなくなった。問題があれば管理職に直接相談しろっていうことだ。管理職なんてのは大抵自己保身で登り詰めた奴が多いから、問題をもちかけたところでまず考えるのは自分の体面だよ。話にならない。でもそればかりじゃない。」友人はしごく穏やかな性格であまり饒舌な方ではないのだが、酔いも手伝ってか今日は立て板に水だ。言葉もだんだん乱暴になってきた。「あいつ(石原前都知事)は配置転換を頻繁にするようになった。昔は20年くらいひとつの学校にいることもあった。それが妥当な場合ばかりじゃないのはわかるが、その適否は個々に考えればよかった。今は4~5年で職場を変えられちまう。校長だって将棋の駒状態だ。ぽんぽん移動させられる。職員同士がチームにならないようにってことだ。バラバラの個人として都の公務に従えってことだ。」「昔は職員室ってわきあいあいで先生たちが仲良くしているのが子ども心にも嬉しかったって記憶があるけど、それがなくされたってこと?」「ああ、そうでないところもあるとは思うが、そういった職員同士の連帯を切断するようにしむけているってのは事実だよ。」「だからこの頃先生のノイローゼ退職とかの話をよく聞くのかい?」「そうだと思う。以前は職員には横のつながりがあって、ひとつの教室で起きた問題を共有できた。チームで問題を解決していた。でも今の僕らは都の職制にぶらさげられた一体のマリオネットだ。」「子どもの自殺報道を見ると、なんとも官僚的で学校が本当にそんな現場になってしまったのか、と思うことが多いけれどそれも背景には石原の施策があったのか。」「ああ、そうだと思う。あいつは牛の角を矯正しようとした。日教組に対する自分の憎悪をはらそうとして。でもそこには子どもに対する視点は微塵もなかったんだ。結果、子どもたちを取り巻く環境まで殺してしまった。職員をバラバラにしてチームを作らせないってことは、民間の会社でいえば自殺行為に等しい。しかも僕らが作っているのはモノじゃない。未来を担う人間たちなのに。あいつは牛の角を矯めて牛を殺してしまったんだよ。愚かしいことだ。」その後も随分飲んで気炎をあげた。
 人には派手な強い者に憧れる者と人の弱さをそっと見つめる者がいる。最近の日本は強さに憧れる者ばかりが幅をきかしているようで寒々しい。戦前の軍部もそうだったから。

角を矯めて牛を殺す(2)

2013-07-02 17:34:42 | 塾長独白
 先日、もう三十数年高校教師をしている友人に久しぶりに会ったので、最近疑問に思っていることを尋ねてみた。「どうも近頃の高校は大学進学のための予備校みたいに思えてならないんだ。きめ細かな進路指導、勉強合宿、宿題の厳しいチェック、予備校と連携した衛生放送授業等々、親切すぎるくらい親切だよ。僕らの頃には想像できなかったような学校ぐるみの進学支援体制だよ。ある高校の保護者なんて夕食の時間を何時にするかまで学校に指示されたと言っていた。親切もそこまでくると、大きなお世話だよな。それにしてもなんとも窮屈な青春じゃないか。時間も空間も細分化されて管理され、はみ出すのが難しい。なんだかブロイラーみたいだ。子どもが自分で工夫できる空間なんて残されていない。決められたことをトレースするだけだ。形はいいけれど小振りな花しか咲かない。教育現場はそんな土壌になりつつあるんじゃないだろうか。」いささか感情的になってまくしたてた。友人には自分が責められているように受け取られたのかもしれない。そんな気は毛頭なかったのだが。「おまえの言わんとしていることはわかるし、俺もそう思う場面はたくさんある。でも、現場の教師から言わせてもらうと、個人の努力ではどうしようもないことだらけなんだよ。」「というと?」「おまえ、角を矯めて牛を殺すって成語を知っているか?」「ああ、正確かどうかは知らんが、牛の曲がった角を真っ直ぐに矯正しようとして牛を殺してしまうという愚かさのたとえだろう?ことの本質がわからないくせに自分の好悪で誤った判断をしてしまうということだ。」「その通りだ。」「して、何を言いたいいんだ?」