妄想ジャンキー。202x

あたし好きなもんは好きだし、強引に諦める術も知らない

『おんな城主直虎』33話 愛され政次の一生

2017-08-24 11:18:37 | 大河
2016年NHK大河『おんな城主直虎』第33回「嫌われ政次の一生」の感想まとめのまとめです。


とんでもねえもんを見てしまった。



関連リンク

『おんな城主直虎』32話 今川焼けたかな?

『おんな城主直虎』31話 地 獄 の 但 馬

『おんな城主直虎』30話 戦国タキシード仮面様、一輪の薔薇で悪を切り裂く。


『おんな城主直虎』まとめのまとめ
『真田丸』まとめのまとめ
【朝ドラ大河から】ネタバレ感想の目次!【B級映画まで】


■乱れ髪is大正義


【前回までのあらすじ】
政次さん、幸せフラグ、ばっきばき。


大炎上中の今川ぶった切って、未来ある徳川様と組むつもりだったっていうのに、いざ井伊谷城入城となったら空を飛び交う矢!怒号!悲鳴!
なんとか但馬は逃げおおせたものの、直虎に詰め寄るモッフ&酒井さん。


「どういうことだよゴルァ!!!話とちげえだろ!!!」
「知らんがな!!!!胸毛、自作自演乙!!!!!」


直虎が何を言おうと、この状況で最も疑わしきは但馬。
酒井さんは「但馬がやったんじゃね?今川のイッヌだっていうし」とか言い出す始末。

【悲報】これまでの32話分の話、全 部 裏 目 に 出 る【鬼回収】

「約束通り、井伊家の再興を」
と直虎は懇願するも、もはや時すでに遅し。

ちょうどその頃。
周囲を見回りしてた直之が、なにやら怪しい感じの近藤モッフの家来を発見しました。

「ワンワン!ワンワン!」




■ヤッスお家芸

「井伊というよりは小野の者ではないかと言うておるのですが」
「井伊殿に罪がないのなら、小野但馬には償うてもらわなくては示しがつきませぬ」


近藤モッフてめえ、やったのおまえだろ、タンスの角に小指ぶつけて悶絶やがれぐぬぬぬぬ。
と先週に引き続き近藤康用が順調にヘイトメーターを貯める中。


「何かそれ違う気がするねん」

おっさすがヤッス!鋭いやんけ!さすが阿部サダヲやんけ!

前世は大学者・信西だもんね!頭いいね!

そんなタイミングで、武田からのお手紙
『今川焼わず。掛川でパーリィナイト』

今必要なのは鬼畜武田についていくだけの戦力。
入城する前に矢が飛んできたけど誰がやったとか「そんな程度のこと」に構ってる暇はない。

「今この揉め事に手間取っておるときはないかと」
「戦を進める上では近藤殿のほうが頼りになる」


『合理的な判断』でもって、井伊&小野ではなく近藤を選ぶことにした徳川家康。
後の戦国の覇者、江戸幕府の開祖となるその男が、牢に入れられた直虎を前に取った行動は……


m(__)m

サササッ((((((((・・・・m(__)m


「(舞台でよく見るタイプの阿部サダヲ…!)」




■リア充くっそ!!!!!!!!


川名に逃れた但馬は、千賀マッマたちに事の次第を報告。
これからどうなるかわからんけれど、とりあえず今はいったん休憩。


おう政次、どうした。突然ナッサンとの距離詰めてどうした。

「あっ誰かに見られたらと」
「あっあっ大事、大事ございませぬ」

と照れるナッサン。


おう政次、ニヤついてんじゃねえぞ。


政次は川名の隠し里の思い出を話します。


「結構序盤の第7話なんだけどね。
ちょっとした特別監査があって、ここ川名にかけられてた固定資産税をちょろまかそうとしたんだわ。
先代が中心になって、担当役人への賄賂とか隠し帳簿の用意とか話進んでたんだけどさ。
それでもバレそうになったのよ。
そのクズみたいな先代がさ、マウンティングしてくるし、土壇場で『詳しくは但馬に』って責任なすりつけてくるし。
どうにかなったからよかったたけど、あの先代計画性のあるクズっていうかサイコパスっていうか、
もう言っちゃったんだよ俺『お前のそういうところが好かぬ』って」


「くっそ苦労してんなwwwww」と爆笑ナッサンにたいし
「しかしそれでよかったのかもしれぬ。なつが笑う話となった」

……。

………。



モテ男発言してんじゃねえよ政次!!!!

ナッサンは、先週見つけたお袖の中の白石を取り出します。
白い碁石が意味するのはもちろん直虎のこと。
手に取り、遠い目をする政次に


「見ちゃダメ。今はなしです。今だけは」
「……はい」


リア充くっそ!!!!!!!!





■全ては井伊のために

直虎奪還のため暗躍していたのは南渓和尚でした。
井伊に残った近藤さんが提案したのは、代わりに但馬の身柄を引き渡すこと。

しかし直虎としても納得がいきません。
但馬は何もやっていない。何もやっていない者をなぜ引き渡さなければいけないのか──

混乱する直虎に、和尚が喝!

「落ち着け!井伊のために何をなすべきか落ち着いて考えよ!」



次なる手は、龍雲丸。
直虎を脱出させるため、プリズンブレイクの前科があるアンニョセーラの力を借りようとします。
【→『おんな城主直虎』19話 いいからお前ら一旦落ち着け。で】



直虎を気賀で保護するよう伝える和尚様ですが。
しかしこの材木泥棒んとき、龍雲丸を近藤に差し出していればそもそもこんなことにはならなかったっていう。



和尚はぽつりと真意をもらします。


「政次が死ねばあれは死んでしまうからな。翼が一つでは鳥は飛べぬ。2人して落ちのびそこで再起をはかればよい」
我が子のように接してきたおとわと鶴。
その2人のためにできることは少ない。


ものすごく今更ですが、柴咲コウさんと小林薫さんの組み合わせ。
この2人で思い出すのは、やはり『Dr.コトー診療所』。
2003年、2004年、2006年と断続的に放送されたフジテレビ系列のドラマです。

主人公であるコトー先生こと五島健助(吉岡秀隆)が離島医療に取り組む物語の中、
強気だけれどもろいところもある島の看護師・星野彩佳を柴咲コウ、娘である彩佳とコトーを温かく見守る島の民生課長・星野正一を小林薫がそれぞれ演じます。

『Dr.コトー診療所』はもう10年以上前のドラマですが、『おんな城主直虎』の次郎/直虎と南渓和尚の間に、あの頃の2人がちらっと見えるような気もします。




■もう騙されない、もう騙されない。

政次とふたりで気賀に逃れる、これなら未来がある。
龍雲丸の力を借りれば不可能ではない。


──それなのになぜここに政次が。

近藤に捕らわれてやってきたのは政次でした。
どうやら近藤の寝首をかこうと、寝床を襲ったらしい。

どういうことだ、近藤を襲うことは話と違うはず。
共に徳川に着くはずだったじゃないか。
そのためにここまでやってきたじゃないか、と直虎は声を荒げるのですが。

「信じておられたとは、おめでたい」

あああああ政次ああああああ。
政次……こんなときまで……
いやこんなときだからこそ…



■シリアス昌幸

直虎が牢から解放され、代わりに入った政次。
やつれた姿に、近藤が声をかけます。

「まさかかような山猿に足をすくわれるとは思われ何だか。おぬしはとうにわしを騙したことなど忘れておるだろうの」
「何の話をされておられるのか分かりかねますが」


ああほらやっぱり19話の材木の話……
あれからほとんど宙ぶらりんになってたけど、井伊さん本当に宙ぶらりんにしてたの……


「取れるものは取る、取れるときにの。悪うおもわれるな。世の習いじゃ」

きっとシリアスな真田昌幸ってこんな感じなのかもしれない、

(→ 【まとめ丸】戦国たぬき合戦・真田昌幸 【騙された、また騙された】

近藤モッフの言ってることも間違いではないんだよ。
もちろんヤッスの判断も間違いではないんだよ。

でも、でも。
井伊視点から半年以上ドラマを見てきた身としては……

政次今すぐごめんなさいして!!!


■恐らく私はこのために生まれてきた


それからしばらくして龍雲丸が、政次救出のためにやってきました。
しかし政次「俺は行かない」と断り……


「殿や俺は逃げればよいかもしれぬ。しかし恨みが晴れなければ隠し里や寺、虎松様、民百姓何をどうされるか分からぬ。そして井伊にはそれを守り切れるだけの兵はおらぬ。俺一人の首で済ますのが最も血が流れぬ」


「けどあんたがいなくなったら、あん人誰をたよりゃいいんだよ」
「和尚様がおるし…おぬしもおるではないか」
「ごめんこうむらぁ!大体あんたそれでいいのかよ。おいこのまま行きゃあんたは井伊をのっとったあげく罪人として裁かれるってことだろ、悔しくねえのかよ。井伊のためにってあんなに、誰よりも駆けずり回ってたのはあんたじゃねえかよ」



「それこそが小野の本懐だからな。忌み嫌われ井伊の仇となる。恐らく私はこのために生まれてきたのだ」




「自分たちは逃げればいいけども、残された人たちのことを思うと…」っていう理屈、どこかで聞いたことあると思ったら、直親でした。

「おとわここはもう死ぬしかないと思うのだ」
「死んで一緒になるしかない」


帰参したあと、次郎との心中(狂言)を提案した直親。
死んだことにしてしまえば、還俗できないとか井伊とか関係ない。
「もういいから2人で逃げよう、あとのことは関係ない」って言ってサイコパス認定された回が第6話でした。

あのときの直親とは真逆の行動をとっている政次。
直親と政次の対比がこうも如実に描かれると、直親か政次かっていうよりも「二人合わせて半分」がちょうどいいんじゃないのかなって。



■あんたを守ることを選んだのはあの人だ

直虎がこれに納得するわけがありません。
「忌み嫌われるために生まれてくるなどそんなバカげた話があるか!」
と激昂するも、龍雲丸が政次の思いを代弁します。


「あの人は。あの人はやりたくてやってんだよ」
「井伊ってのはあんたなんだよ!あの人のいう井伊ってのはあんたのことなんだよ!」


小野という家に生まれたことで振り回されただろう。
辛い目にあったこともあるだろう。
でも放り出すことはしなかった。
だっておとわを守りたかったから。
おとわというお饅頭を、それこそかびるくらいまで守りたかったから。



「あんたを守ることを選んだのはあの人だ。だから本懐だって言えんでさあ」

政次が伝えられない思いを代弁するアンニョセーラ。


「頼んでなどおらぬ。守ってくれなど頼んだ覚えは一度もない」

いつだって政次はそうだ。
今川の犬を演じていたことが発覚したときもそう、子どもの首を用意してきたときもそう。

いつだって、ひとりで道を先にいこうとする。

※政次きっと、アンニョセーラが直虎ちゃんとウホウホしてた回の詳しいことまでは知らないですよね。
22話のアレ)

いや、知らない方がいいな……
そのほうが幸せだな……




■答えはそなたにしか分からない

政次はひとり、先にいこうとしている。
ひとり地獄へいこうとしている。


井戸端に置かれた白い碁石。
政次が近藤に捕らわれる直前に置いていったであろう碁石。
見つめる直虎。

「和尚様。これはいったいどういうことなのでしょうね。私に次の手を打てということなのでしょうか」

政次が小野のために振り回されてきたのなら、直虎だってそう。
幼いころからずっと井伊のため振り回されて、いろんなことを犠牲にしてきた。
でも2人とも逃げ出さなかったのは、『井伊を守る』という目標があったから。
敵味方に分かれるふりもした。
お互いに利用し合った。
真意がわからず不安になることもあった。
けれど政次はいつだって井伊のため、おとわの笑顔のため、陰で動いていた。

だから和尚様はこういった。

「誰よりもあやつのことがわかるのはそなたじゃろう。答えはそなたにしか分からぬのではないか」



■引導を渡しに

政次が磔の刑に処されることとなりました。


政次も牢の中で決意を固めます。

南渓和尚は井戸端の直虎に声をかけます。

「次郎。今日政次が磔になる。我らは引導を渡しに行くが、行くか?」
「参ります。政次が行くと言うのなら、私が送ってやらねば」



次の手は決まった。

「我が送ってやらねば」




■地獄へは我も行く。

今日の『そのとき』がやってきます。

 
刑場、再会した2人。

磔になる政次。

直虎はまっすぐに駆け出し、政次の心臓を一突きに。


「地獄へ落ちろ、小野但馬。地獄へ。ようもようもここまで我を欺いてくれたな。遠江日の本一のひきょうものと未来永劫語り伝えてやるわ」


政次は少し笑って。

直虎の頭巾に1滴の赤い血が落ちて。


「笑止。未来など。もとより女子頼りの井伊に未来などあると思うのか。生き抜けるなどと思うておるのか。家老ごときに謀られるような愚かな井伊が。やれるものならやってみよ。地獄の底から見届け」


それはあまりにも壮絶なラブシーン。


「白黒をつけむと君をひとり待つ。天伝う日ぞ楽しからずや」

 
幼い頃のあの日のように。
また会えるその日まで。


つづく。





■ノベライズてめえやりやがったな!!!

なんだこれ。なんだ今の。

いや、つかこれノベライズにあった?!
なかったよね?!


ノベライズ版『嫌われ政次の一生』、ラストシーンをざっくり説明すると…

政次、直虎と明るい日の下で碁を打つ空想をしています。
「幸せな空想はそこまでにして、政次はしっかりと目を見開いた。その足取りに迷いも後悔もない」と。
その頃井戸端で経を唱えていた直虎のもとに強い風が吹き、数珠が切れて。
「予感がした。政次はもう生きてはいないと」


実はノベライズちらっと読んじゃっていたんですね。
完全に記憶していたわけではないけど、ニュアンスで覚えていて。
で今日のドラマ版『嫌われ政次の一生』ですよ。


こんなシーンあったっけ?
えっ槍ドンなんてしたっけ?
あれ?


えっ?

あっえっ?

あーーーーー
騙されたーーーー!!!





■愛され政次の一生

隠し里で皆と再会し、嫁とリア充っぷりを発揮し、牢に入れられても友達が助けに来てくれて。

全然嫌われてなんかいないのにそれでも「嫌われることを本懐だ」って言っちゃってさ。

ふたりで気賀に落ちのびて生き残る可能性だってあるのに、「死ぬのは自分一人だけでいい」って。

直虎だって「守ってくれなど頼んだ覚えは一度もない」って言ってんのに、「地獄へは俺が行く」
と勝手に一人で決めて、自分を犠牲にして守ろうとしてさ。

その何を犠牲にしても守りたい直虎に、最期自分の心臓を一突きにさせて、自分の血でその白頭巾に赤い染みをつける。

「さすがだよ、おとわ」とでも言いたいような最期の笑み。
まっすぐ見据える直虎の目。


 

「地獄へ落ちろ、小野但馬。地獄へ。ようもようもここまで我を欺いてくれたな。遠江日の本一のひきょうものと未来永劫語り伝えてやるわ」

「笑止。未来など。もとより女子頼りの井伊に未来などあると思うのか。生き抜けるなどと思うておるのか。家老ごときに謀られるような愚かな井伊が。やれるものならやってみよ。地獄の底から見届け」


──ひとりで地獄にはいかせない、我も地獄に落ちる。
──井伊の未来はおまえがつかみとれ。


「女しか残っていない井伊に未来などない」は、虎松の生存を隠すため。
「家老ごときに謀られる」は、小野としての本懐を果たすため。
そして「地獄の底から見届ける」と息絶える。

そんなはたからみたら呪詛のような言葉を吐く奸臣・小野但馬。
その実は誰よりも井伊を、直虎を守ろうとした政次。

そんな「奸臣」を直虎が討つことによって「小野の謀略に井伊は無関係、井伊はむしろ被害者」になることができる。
今後必要以上に近藤に疑われることはなくなり、家康にも暗に貸しを作った。

「我をうまく使え。我もそなたをうまく使う」

直虎は最大限に政次を利用した。
政次は最大限に直虎に利用された。

その結果がこれだった。


「白黒をつけむと君をひとり待つ。天つたふ日そ 楽しからずや」

いつか日の光の下で碁を打てるといいねと言っていた2人。
この世では叶わなかった願いだけれど、あの世で君がやってくるのを待っている。

それでも現実は政次はもういない。
だって直虎の白頭巾には、政次の吐いた血が1滴ついている。

政次はもういない。



政次あんた最低で最高だよ。
最高に愛された幸せもんだよ。






■17年前の深作欣二監督作品で超活躍した若手女優




高橋一生さんももちろんなんですが、個人的にここは「さすが柴咲コウ…!」と息をのみました。
さすが17年前の深作欣二監督作品で、殺/人少女役を演じきった女優(バトルロワイアルの話ね)

鬼のように、吐くように「地獄へ落ちろ小野但馬」と。
その実は『私の代わりに地獄に落ちてくれてありがとう、あなたのこと忘れない』ではなく。
『私も地獄に行く(槍どすっ)』

大きな瞳で血反吐にまみれる政次を見届ける。
「女子は血など見飽きておるからの!」って言わせて、何か月後かにこれよ。










誰だよこんな地獄の大河書いたの。

あっ森下佳子か、納得。






■何をほざいているのか伝わりにくいとは思いますが。


「遠江一、日ノ本一の卑怯者と未来永劫語り伝えてくれるわ!」

但馬にそう言い切った直虎。

小野但馬守政次は本当に卑怯者だったのか。
それとも卑怯者のふりをしていたのか。
それは今となってはわかりません。

450年前の井伊谷で何が起きたのか。
今現在伝わっている史料は果たして本当に真実を残しているのか。
そもそも真実とは何なのか。


わからない、わかるはずがない。
だから歴史は面白い。

今回の『おんな城主直虎』は、その醍醐味をつきつけてきたように思います。



直虎が放送開始する直前だったでしょうか。
「直虎は実在しない」「女性ではない可能性」といったニュースが流れた記憶があります。
そもそも『真田丸』の後番組、女主人公の大河などあまり良いとは言えない条件が重なった状態で、さらにそこ水を差されたうえでのスタートでした

『井伊に関して、残っている記録は多くはない』
『井伊に関して、いまだ不確かな部分が多い』


悪条件ともとれるような状況を逆手にとって、今回見せられたのはまさに歴史そのものだったのかもしれません。

「歴史とは、勝者が選び勝者が書き残した事実記録」
「歴史とは、勝者のその裏に同時に敗者がいる」
「歴史とは、真実とは限らない。真実かもしれない、そうじゃないかもしれない。それは誰にもわからない」


小野但馬守政次が実際に奸臣であったのか、それともドラマのように奸臣のフリをしていたのかはわかりません。


「小野家代々の墓は井伊家の菩提寺龍潭寺にあります。墓所に入り最初に目につくのが小野家の墓です。但馬の墓は見当たりません」

今回の直虎紀行。

小野但馬守政次が本当にいたのか。
これという墓がのこされておらず、それさえもわからないかもしれない。

「井伊家の筆頭家老として尽力した小野但馬守。その生涯は井伊家の歴史と共に今も語り継がれているのです」

しかし井伊家の歴史と共に語り継がれているという事実。

いたかどうかわからない、でもきっといたんだと思う。
どんな人だったかはわからない、どんな人だったんだろう。


それを考え続けるのが歴史なのだと思います。




で、『おんな城主直虎』の脚本や制作陣が考えぬいた歴史が今回の物語だったのでしょう。

素材としての歴史、いわば史実を調理台の上に並べ、
「じゃあこれをどう味付けしよう」というのが、大河ドラマの段階。
多少のアレンジはスパイスでしょう。
どの角度で切って、どれくらい煮込もうか。
どのタイミングで視聴者に面白く食べてもらおうか。

歴史の不確実性を味方につけて、物語性で味付ける。
プロのキャスト・スタッフによって作られた大河ドラマをこれほど味わったのは久しぶりかもしれません。





誰だこんな話書いたの。

あ、森下佳子か。
納得やで。






■次週!


次週、第34回『隠し砦の龍雲丸』

相変わらず大ピンチwwww



■おまけ





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6 コメント

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長文失礼致します、2度目のコメントさせていただきます。 (みやさと)
2017-08-24 13:17:14
同じく、ノベライズに騙された者です(^0^;;)
いや、こちらとしては政次退場シーンのショックなんていきなりは受け止められないからこそ
6月にノベライズを買って読んでいたのに、
6月に読んだからこそ早めに受けてしまった、
前回の政次のなつさんへのプロポーズという新たなショックにも色々と理由をつけ、2ケ月かけて立ち直りを見せていたというのに
それが全くの徒労に終わり、更なるショックを受けることになろうとは(^0^;)
おかげで日常生活にも軽く支障をきたしました。

今回の槍ドスが「究極の愛の形」というコメントが多かったというニュースも見たのですが
とてもそんな気持ちにはすぐにはなれず(^^;)、
時間とともに、それこそゆずずさんが書いてらっしゃる「大きな瞳で血反吐にまみれる政次を見届ける」柴咲コウさんに 怖さのようなものを感じ、
それこそ龍雲丸の時は政次の羽交い締めを解いて、
「血など見飽きておる」などと叫んで、たった一人の命を助けようとした直虎が、
政次という一人の人間に対してはこうして殺しちゃうのかと、
それを政次は望んだかもしれないけれども、殺さない選択肢は今回なかったのかと 
そりゃもう色々な思いが出て来てしまい、
これは絶対にフォローが必要だ、
今まで微笑ましく見て来た直虎と政次の2人の場面も
乱暴な言い方をすると、
殺した女と殺された男に見えてしまう、とまで思っていました。

昨日、インスタの方に政次ラストカット撮影後の直虎と政次とにゃんけいさんの3ショットが公開されて、微笑んだ2人にちょっと救われ。

本日、こちらの感想を拝見して、ありがたかったなぁ、やっと33話をちょっと離れたところから振り返ることができました(^^)

ここ数週間はシリアスな展開だったのに、ゆずずさんの感想はいつも必ずくすっと笑える。 
こんなシリアス展開の中に笑いを込めた感想が書けるって実はすごいことだと思いますし、読む側もドラマに心を奪われたままになっているのが ふと我に返って、
ほら槍ドン以外のところも見てみようか、考えてみようかと 一点集中だった意識を広げてもらえた。
ありがたかったです(^^)

そして、本文最後の辺りで書かれていらっしゃる、政次がいたかどうかわからない、でもきっといた、どんな人だったのか、それを考えるのが歴史だという箇所にもすごいなぁと唸らせていただきました。
そして今年の大河はまさにそれをやったんですね!

長文になってすみませんでした。
今後もまた拝見させてくださいませ。

それから花咲徳栄高校、優勝おめでとうございます(^^)
返信する
Unknown (えんしゅう)
2017-08-24 17:51:17
毎回楽しみにしております。自分が整理できないモヤモヤした部分とかもブログで再確認できたり、、とてもありがたいです。

今回テレビで見たときはショックで涙も出ませんでした。
特に刑場で政次と直虎が見つ合った場面はこれからどうなるのか、息がつまる思いでした。(少し微笑んだ)政次が、直虎に、それでよし。井伊を頼んだぞ。と言っているようでした。
政次の心臓を突く時の直虎の形相には鬼気せまるというよりある種狂気を感じて、直虎はよく涙をこらえられたな、すごい!と思いました。こんなことになって、直虎が、(単純ですが)本当に可哀想でした。
今後は政次の強さと覚悟を直虎が引き継いで行くのかな。
政次は嫌われ憎まれながらも井伊を護ってきたけれど、その生を支えたのは、やはり幼い頃の日々、おとわと亀との思い出だったんだろうと思います。(理解者なつさんも傍にいましたが、、)
おとわはずっと鶴の心の支えであり、他人なんだけど、自分の全てだったんじゃないかと。そのおとわを救うために命を落としてもそれは本望だと。

史実はわからないですが、多分、このドラマのように、家老である小野が全責任を負ったんだと自分的には納得してます。戦国の転換期、井伊家の岐路に政次と直虎がいたのだと思いました。

つたない文章で失礼しました。
これからもブログ楽しみにしてます。
返信する
私も騙されました! (はっぱ)
2017-08-25 00:04:17
『愛され政次の一生』
このタイトルを目にしただけで幸せです。
ワクワクしながら読みました(*^^*)
私もノベライズ本を読んでいたので井戸のシーンの直虎が政次の磔の処刑場に「参ります!」と和尚様に返事した段階で、えっ?えっ!な、なに?どーしたの?と…かなり狼狽えてしまいました。
直虎が参ります!って事は~?
当然、磔の処刑シーンがあるということでもありますし~(((・・;)
政次の最期は幼少時代の鶴丸から回想シーンが美しく始まり~そして風が吹き次郎法師の数珠が切れる…と脳内でそれなりの予想をしていた私にはあまりにも衝撃的でした!
この騙し騙されのドラマシーンに心底痺れてしまいました(感涙)
森下さんの脚本は素晴らしいですね!
直虎が政次の生涯の幕を閉じてくれて、政次の直虎への想いがやっと通じたような気がしてほんとうに嬉しかったのです。
ノベライズ通りのラストであれば今頃私はこんな風にコメントも出来ずにただただ泣き暮らしていたような気がしてなりません。
政次絶命シーンからの鶴丸とおとわの無邪気な笑顔…もうここで私の涙腺は崩壊しました(泣)
だらだらと回想シーンを流すやり方は私はあまり好きではありません。
この笑顔の一コマで充分伝わります…。
政次が牢の中で書いた直虎への『恋文』のような辞世の句。
政次が詠みあげりる静かな声も素敵です。
政次の心意は直虎へ届いたのです!
『愛され政次の一生』
『嫌われ政次の一生』の裏返しです。
最期の瞬間まで裏切り者の能面をつけたまま息絶えた小野但馬守政次。
直虎だけは素顔の微笑みが見えていた。。。
なんてものを見てしまったんだろう!
それでも私は
今、不思議な安堵感を味わってます。
やはり政次はすべてに愛されてます!
今回も泣き笑いしながら読ませて頂きました。
愛一杯の素敵な感想ありがとうございました。
返信する
待ってました☆ (永遠のエルザ)
2017-08-25 11:06:10
最近偶然見つけた、こちらのブログ。日本版ロミジュリ(ロミオとジュリエット)のような悲劇が…。やり切れない悲劇という意味での、ロミジュリですが、こちらの日本版は二人とも確信犯。悲しいけれど、これ以上ない位の『悪態の付き合い』に込める深い愛。槍ドンするのもされるのも、(自分なら)死ぬほど嫌だけど(死んじゃうし)。この回も、愛ある激辛テイストな解説に『ビリビリ痺れ』て、涙目になりながらニヤニヤしました。ありがとうございました。
返信する
政次辞世の句について (myshica)
2017-08-25 16:27:00
 政次の辞世の句について、ゆずずさんは、あの世に直虎が来た時にまた囲碁を打つのを楽しみに待っている!という、あの世のことを詠んだ辞世だ!と解釈されています。

 ボクも、きのうまではそう解釈して、この政次の辞世の句が、『直虎』最終回で直虎が死ぬ場面の伏線になる可能性がある!などと考えていました。

 しかし、今は、この政次辞世の句は、あの世のことを詠んでいるのではなくて、この世のことを詠んだ辞世である!と解釈しています。

 あの世説だと、あの世にやって来た直虎を、政次が「ひとり待つ」と解釈することになりますが、これだと、あの世でも政次は嫌われ政次だ!と想像せざるを得ない!のではないか?と思ったからです。

 あの世がどのような世界か?ということは、圧倒的多数の人たちには全くわからない!ことなので、この点については、想像した者の勝ち!という原理がはたらくものと考えています。

 仮にそうだとすれば、あの世では政次は、もはや嫌われ政次ではないんだ!という想像の翼を広げた方がいいんじゃないか?と思っています。

 別の言い方をすると、あの世には、政次が行く前に、すでに直親をはじめとして井伊谷の人たちが行っている!わけで、しかも、あの世の井伊谷の人たちは皆、井伊のために政次が奸臣のフリをしていた!ことを良く知っていて、政次に「良くやってくれた!」とその労を褒めちぎった!と想像した方が、あの世でも政次は嫌われ政次だった!と想像するよりも、ずっと良い!のではないでしょうか?

 あの世について、このように想像する人にとっては、直虎が井伊家を繋ぐ役割を果たして、あの世に来た時には、直虎を政次や直親を含めた井伊谷の人たちがみんなで待っている!と考える方が自然なわけで、政次が「ひとり待つ」と解釈するのには、抵抗を感じる!のです。

 それゆえ、ボク個人は、この政次の辞世の句は、あの世のことではなくて、この世のことを詠んだ辞世なのだ!というふうに解釈を変更しました。

 ただ、この世説で解釈すると、政次辞世の句の意味は、次のような単純なものになってしまいます。

< おとわと囲碁を打っていた時が、わたしの人生の中で一番しあわせな時間だった! >

 そして、これこそが政次のウソ偽りのない本心だった!のであり、また、高橋一生がこの辞世を読むナレーションの時に映し出される映像とも良くマッチしています。

 ただ、この世説の解釈が正しい!とすると、この政次辞世の句は、『直虎』最終回で直虎が死ぬ場面の伏線になる可能性はかなり低くなる!と思いました。
返信する
スッキリしました。 (ミミ)
2017-08-27 18:07:38
先週の余韻がさめきれず、検索していたら、こちらにおじゃましておりました。
拝見しながら、泣くつもりが、いい意味で、噴き出しながら見させていただきました。
笑うところではないのに・・・・
表現があたたかく、おもしろすぎます。
モッフとか、、
政次、番組への愛を感じました。
返信する

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