ゆうゆうの教会便り

私の教会のこと、教会生活をボチボチと・・・・

献金に思うこと

2012-07-24 02:00:58 | その他
美竹教会では半年に一回くらいの割で受付当番が回ってきます。

礼拝の受付当番は献金の時、籠をまわして礼拝の献金を集め、それから献金のお祈りをします。
昨日私は当番でしたが、一緒に当番だった長老の方がお祈りしてくれました、ホッ! (^-^)

献金の祈りには「捧げたお金は私たち信者の感謝と献身のしるしです」という言葉を入れるように言われています。
献金は単に教会にお金を出すというのではなく、神様からいただいている大きな恵みへの深い感謝と、私たちの
献身の気持ちがこもっていなくてはいけないからです。

今、私は月約献金、会堂献金、東日本被災者の方への献金を毎月しているのと、日曜礼拝の献金をしています。
亡くなった姉に以前、私の月約献金の額を教えたら「まあ。可愛らしい額ね」と言われてしまいました。
たしかに神様からいただいているたくさんの、大きな恵みを考えると本当はもっと献金をして献身の気持ちを
表さなくてはいけない、と思います。
金額の変更については現在考慮中ですが、サテいくらにいたしましょう。
姉が生きていたらなんでも相談できたのに、残念です。

献金と言えば、私の母は大勢の子供を抱えて生活が苦しく献金が払えない一時気、教会の礼拝に出るのを遠慮して、
家で聖書を読み神様にお祈りして過ごし、再び献金できるようになってから礼拝に出席したそうです

この話は私が直接聞いたわけでなく、姉から教えられた話ですが、貧しいことは勿論、教会の礼拝に出られないことは
どんなに悲しかったでしょう。
なんで母の生きている間に私が教会(神様の御許)に戻り、母と神様のことについて話をしなかったのだろう! と、
絵に描いたような「後悔先に立たず」の思いを今、強く感じています。

母は自らの意志でそうしたのかも知れませんが、美竹教会の場合は決してそんな必要はないと思います。
献金は献身なのですから、献身の気持ちを何らかの形であらわせば、教会は、神様は、喜んでそれを受けて下さると思います。
そしてどんな人も教会員として神様のみ前に立てることと思います。


<カラスアゲハ> 止まっているのは<クサギボタン>の花です。
コメント
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