アマデウス
あらすじ
1823年11月、凍てつくウィーンの街で1人の老人が
自殺をはかった。「許してくれモーツァルト、
おまえを殺したのは私だ」、老人は浮わ言を吐き
ながら精神病院に運ばれた。数週間後、元気に
なった老人は神父フォーグラーに、意外な告白を
はじめた。
--老人の名はアントニオ・サリエリ。
かつてはオーストリア皇帝ヨゼフ二世に仕えた
作曲家だった。神が与え給うた音楽の才に深く
感謝し、音楽を通じて神の下僕を任じていた彼
だが、神童としてその名がヨーロッパ中に轟いて
いたウォルフガング・アマデウス・モーツァルトが
彼の前に出現したときその運命が狂い出した。
【出演】
F・マーリー・エイブラハム、トム・ハルス
エリザベス・ベリッジ、サイモン・カロウ
ロイ・ドトリス、クリスティン・エバソール
ジェフリー・ジョーンズ
感想 ※ネタバレ注意
モーツァルトの死をめぐる豪華絢爛な舞台劇を、
見事にフィルムに転化した傑作。
物語はかつて宮廷音楽家だったサリエリの回想から
入り、モーツァルトの人物像を追っていく。
モーツァルトは謎が多い作曲家で、その死亡説も
たくさんあるらしい。
この映画は、題名こそアマデウスでモーツァルトの
事ですが、主役はあくまでサリエリ。
悲しいかな神が教えてくれた音楽に感謝する反面、
神にその才能を与えられた天才に対しての、嫉妬
憎しみを‥そしてその才能に惚れて込んでしまった
凡才の悲しく切ない一人の音楽家の話である。
作曲の才能は素晴らしかったが女たらしのモーツァルト
が、サリエリが思いよせるオベラ歌手カテリナ・
カヴァリエリに手を出したことから、彼の凄まじい
憎悪の矛先は神とその才能を与えられたモーツァルトに
向けられる。
「神は自分にその才能を知る能力をお与えになった。」
ボクはサリエリが言ったこの言葉が頭に残りました。
モーツァルトの才能は誰もが認めるものだったのだが
その中で彼にしかわからない、彼だからこそわかった
わずかな繊細な部分。
そしてこれ以上編曲のしようもない完璧な楽譜。
それを瞬時のうちに理解したサリエリもまた天才
だったのです。
サリエリの希望通りモーツァルトは、この世を
去るのですが‥
モーツァルトの才能に触れてしまったサリエリに
とって、2度と彼の愛した音楽の才能に触れる事が
出来ない事、そして神の才能を自らの手でこの世から
失ってしまった罪として、自分を責めたのでしょう。
ボクも音楽をやりますが、サリエリ程音楽を
理解しているわけでもなく、大した人間では
ありません。
それでもサリエリの気持ちはわかりました。
音楽が好きで、その音楽に出会わせてくれた
神様には感謝はしています。
しかし世の中には、やはりモーツァルトのように
神に愛されたように才能に溢れた人というのは
確かにいるのです。
それは音楽だけに限った事ではありませんが
その時に自分がいかに凡人だったのかという
その事実に打ちのめされてしまう。
それは仕方のない事かもしれません。
でも人間の真価とは、それでもどんな風に
その音楽を奏でるかで真の価値が見えてくるのだと
最近は思うようになりました。
最後に勝つのは才能ではなく、努力する才能なのです。
【評価】
(5点/5点満点中)
あらすじ
1823年11月、凍てつくウィーンの街で1人の老人が
自殺をはかった。「許してくれモーツァルト、
おまえを殺したのは私だ」、老人は浮わ言を吐き
ながら精神病院に運ばれた。数週間後、元気に
なった老人は神父フォーグラーに、意外な告白を
はじめた。
--老人の名はアントニオ・サリエリ。
かつてはオーストリア皇帝ヨゼフ二世に仕えた
作曲家だった。神が与え給うた音楽の才に深く
感謝し、音楽を通じて神の下僕を任じていた彼
だが、神童としてその名がヨーロッパ中に轟いて
いたウォルフガング・アマデウス・モーツァルトが
彼の前に出現したときその運命が狂い出した。
【出演】
F・マーリー・エイブラハム、トム・ハルス
エリザベス・ベリッジ、サイモン・カロウ
ロイ・ドトリス、クリスティン・エバソール
ジェフリー・ジョーンズ
感想 ※ネタバレ注意
モーツァルトの死をめぐる豪華絢爛な舞台劇を、
見事にフィルムに転化した傑作。
物語はかつて宮廷音楽家だったサリエリの回想から
入り、モーツァルトの人物像を追っていく。
モーツァルトは謎が多い作曲家で、その死亡説も
たくさんあるらしい。
この映画は、題名こそアマデウスでモーツァルトの
事ですが、主役はあくまでサリエリ。
悲しいかな神が教えてくれた音楽に感謝する反面、
神にその才能を与えられた天才に対しての、嫉妬
憎しみを‥そしてその才能に惚れて込んでしまった
凡才の悲しく切ない一人の音楽家の話である。
作曲の才能は素晴らしかったが女たらしのモーツァルト
が、サリエリが思いよせるオベラ歌手カテリナ・
カヴァリエリに手を出したことから、彼の凄まじい
憎悪の矛先は神とその才能を与えられたモーツァルトに
向けられる。
「神は自分にその才能を知る能力をお与えになった。」
ボクはサリエリが言ったこの言葉が頭に残りました。
モーツァルトの才能は誰もが認めるものだったのだが
その中で彼にしかわからない、彼だからこそわかった
わずかな繊細な部分。
そしてこれ以上編曲のしようもない完璧な楽譜。
それを瞬時のうちに理解したサリエリもまた天才
だったのです。
サリエリの希望通りモーツァルトは、この世を
去るのですが‥
モーツァルトの才能に触れてしまったサリエリに
とって、2度と彼の愛した音楽の才能に触れる事が
出来ない事、そして神の才能を自らの手でこの世から
失ってしまった罪として、自分を責めたのでしょう。
ボクも音楽をやりますが、サリエリ程音楽を
理解しているわけでもなく、大した人間では
ありません。
それでもサリエリの気持ちはわかりました。
音楽が好きで、その音楽に出会わせてくれた
神様には感謝はしています。
しかし世の中には、やはりモーツァルトのように
神に愛されたように才能に溢れた人というのは
確かにいるのです。
それは音楽だけに限った事ではありませんが
その時に自分がいかに凡人だったのかという
その事実に打ちのめされてしまう。
それは仕方のない事かもしれません。
でも人間の真価とは、それでもどんな風に
その音楽を奏でるかで真の価値が見えてくるのだと
最近は思うようになりました。
最後に勝つのは才能ではなく、努力する才能なのです。
【評価】
(5点/5点満点中)