ゆめる樹

10年前の夢を覚えていますか?

もう年だからυφχ

2009-03-23 18:02:45 | みつめる…心身・霊魂


“「もう年だから仕事がない…」と
 47歳の男性が嘆いている”と新聞は書き立てます。
“「すごいおじいちゃんですね」
 「おじいちゃまが頑張れば云々」”と
 65歳の東京マラソンランナーで52回のフルマラソン達成者に対して
 テレビ司会者(男性40代?)が評します。
そこに見え隠れする社会の思考法…
年齢差別《もう年だから↓▼↓×》です。
世間で普通とされている思考法…
 もう年だから↓▼↓×頭も身体も動かない…
 もう年だから↓▼↓×働く場所がないし…
 もう年だから↓▼↓×こんな服を着ると笑われる…
 もう年だから↓▼↓×社会の片隅で……
 もう年だから↓▼↓×φχψ…

私は誕生日が来るたびに
この年齢差別“《もう年だから↓▼↓×》論法から脱却して
新たなる年齢肯定“《もう年だから↑◎↑☆》論法で生きていこうと誓います。

私は、私の生きてきた年月を受け入れ肯定します。
そして
 もう年だから↑◎↑☆私の頭と身体を精一杯生かしていこう
 もう年だから↑◎↑☆働く場所がなければ働く場所を創ろう
 もう年だから↑◎↑☆私の好みの着たい服を着よう
 もう年だから↑◎↑☆自らが生きている場所こそ自らの生かし場所
 もう年だから↑◎↑☆………
今年も私の“《もう年だから↑◎↑☆》論法を
楽しんでいきましょう。

      人生夢の如し
         遥かな時空に漂う
            かそけきの芥子粒
         されど我が命
            遠大宇宙の真ん中

…の森♪

2009-03-22 17:01:37 | つくる…文・絵・舞・創


久しぶりにコミックを買いました。
『ピアノの森』(一色まこと作)です。
昨年末、お好み焼き屋さんでチラリと見てから気になっていた本。
思い切って、全巻1~15巻買って読みました。
面白かったですよ。
カイのように天才ではないし、修平のように努力家でもないけれど
好きなことを自分なりの方法で続ければいいのだと感じます。

好きなことを続けましょう。
ただ大好きだからピアノを引き続けているカイはまだ十代…
彼が年を重ねたらどうなっていくのでしょう?

東京マラソンで65歳で52回目のフルマラソン挑戦に成功しました。
彼も走るのが好きだったのでしょう。
何かを続けることはすばらしいこと…

カイがピアノを弾くシーンを見て
森のピアノの音色が心の奥深くに響きます。
カイが森でピアノを弾くように
私たちも私たちのそれぞれの場所で
好きなことを楽しみましょう♪
65歳ランナーが走り続けるように
私たちも私たちの道を私たちなりに旅し続けましょう。

   春の嵐
    振り返れば
     桜の蕾
   風雨を耐えて
    凛と咲かん

若草物語ΥΦΧ??

2009-03-21 11:32:58 | つながる…人間・社会


女性上司「○△さんは、長女かな?」
○△  「……」(言いたくないな…という表情)
女性上司「×●さんが、三女だから…」
×●  「………」(同じく言いたくないという表情)
女性上司「▲×さんは、末っ子だよね。」
▲×  「はい、そうみたい(ウフフフ…得意気)」
ある職場の会話。
職場仲間を若草物語の4人姉妹に例えて言えば…という会話。
この職場は、正規職員がアルバイトを数人使って、仕事をしています。
正規職員は女性上司で、
○△さんも×●さんも▲×さんも、アルバイトです。
少し聞いただけでは、
家族的で微笑ましい会話と思うかもしれません。
けれども、
職場でどうして年齢を話題にされなければならないのか?と
思う人も多いのです。
長女と名指された人は、
「またか、もう止めてほしいよ。
 年齢と仕事は関係ないでしょ…」と思いつつも
自分より年下の勝ち誇ったかのような問いに
笑って応対しなければならないのです。
なぜって、
彼女は正規職員で、上司ですから。
ここを止めれば次の仕事場が見つかる保障はないのですから。

そこでの会話は、
女性同士のランク付けをも意味します。
だれそれは若い…
だれだれの家は資産家…
だれがしは未亡人…
その他いろいろ云々…
そこで会話されていうことは、社会での位置づけにより
「自分の立場をわきまえて行動せよ」と暗に意味しています。
「四人姉妹での仲良く、自らの立場をわきまえて仕事せよ…」?
年齢とか社会的立場とかに関係なく私らしく働きたいという欲求は
ここでは、どうも通用しないようです。
上記の会話は、、
パワーハラスメント・エイジハラスメント…?

この世に生まれたとき、
人はAQちゃんとかけがえのない存在として優しく呼びかけられます。
それが、
何年かしてAQちゃんに弟妹が生まれると、AQちゃんはAQちゃんでなくなり
「おねえちゃん、おにいちゃん」と呼ばれて、役割を押し付けられます。
人間が社会的存在である限り、
それは仕方のないことだといいます。
それは生きている限り続く、人間社会のルールだとさえ感じます。
けれども
私は、心の底で感じています。
そういう風に、人間を位置づけ、自らの立場を思い知らせようとするのは
《真に人間らしく生きる》のを阻害します。
出身・性別・年齢・学歴・職業・職場での地位・収入・見た目の美醜…
そんなもので格付けされることはありません。
私たちは誰もが自由で自分らしく生きることができます。
格付け社会の罠から抜け出しましょう。
人間は時として
自らの置かれている境遇で、
人を指導したり裁いたりできると思い込みます。
その反対に、自らを指導されたり裁かれたりされて当然だと思い込みます。
けれども
そんな表面上の立場を曲解してはなりません。

人は人を祀り上げるものでもなく祀り上げられものでもありません。
自分が今置かれている立場がどうあろうと
自らの奥底深くに流れる命を信じることです。
人は誰も自由で命輝く存在です。
誰かが、自由な命の輝きを止めようとするかもしれません。
それでも
命の自由と尊厳を信じて
自らに与えられた命を輝かせましょう。

散る花は…

2009-03-20 17:13:42 | つながる…人間・社会


「散る花は追わず、出ずる月を待とう。」
誕生日になると新たなものにチャレンジを考えます。
自分の好きなものや興味関心のあるものを
自らの実体験としたいと開拓しています。
その開拓精神がはねつけられてしまうこともあります。
そのような時は、
「散る花は追わず…」です。
いずれ自らを照らしてくれる月が出てくるでしょう。
それまで、
自らの考えを、より明確に鮮明に暖めていきましょう。

近くの公園の桜の蕾が膨らみ始めました。
桜の季節はもうすぐです。

まわり廻りまわって

2009-03-15 08:00:53 | ひろがる…生命・宇宙


カレンダーまわり廻りまわって誕生日。
この世に生まれたことに感謝。
ありがとう、お母さん、お父さん、ご先祖さま。
ありがとう、大好きな家族たち。
ありがとう、みんな皆みんな。
今此処に存在する不思議に感謝。
ありがとう、青い空、緑の草木、紫の風。
ありがとう、瑠璃色の花、三毛猫、小さな流れ。
ありがとう、すべて総てすべてのもの。

見渡せば、きれいなものたちでいっぱいだよ。
振り返れば、苦しいことも悲しいことも必要だったのよ。
まわり廻りまわって又わたくしの原点に回帰。
いつか無に帰するためにいつも無を胸の奥に。

この次元に存在する時間が零れ落ちていくけれど
きらきら命輝くものでありますように。

大きな樹の下で~♪

2009-03-08 12:46:35 | つながる…人間・社会


♪おおきなくりのきのしたで
 あなたとわたし
 たのしくあそびましょ
 おおきなくりのきのしたで~♪

桜の花の蕾が膨らみ始めました。
もうすぐ
大きな桜の樹の下で
私たちはお花見を楽しむことでしょう。

桜の膨らんだ蕾を見ながら
ふと人間の無意識に刷り込まれる思考法に思い至ってしまいました。
大きな樹は何なのか?
ただ単に自然の大樹なのか?
それ以上に社会の強者や権力や権威を意味するのではないのか?
物心ついたころから歌い継がれるこの歌が
「強者や権力や権威の下でこそ楽しい人生が成立する」
という思考法につながっているのではないかと疑っています。
この歌の「栗の木」は
国家や大企業やその他諸々のこの社会のより所とされるものとするならば
それらが安泰でなければ私たちは楽しむ事はできないでしょう?
けれども
私は、この思考法を放棄します。
そして
新たなる思考法を持つようにしました。
わたしたちは
わたしたちの樹を育てましょう。
それは
国家や権力や権威や強者ではなく、彼らが指し示すものでもありません。
わたしたちの夢や希望や祈りやすべての輝きを育て上げるものこそ
〔大きな樹〕なのです。

自らのブログに〔ゆめる樹〕と名づけたのも
国家や権威や権力や強者の思考法から放たれた
自由で楽しい夢を語る場でありたいからでした。
そして
私の〔ゆめる樹〕は
むかし、友達と誓い合った大きな樹なのです。
私たちは、白い花咲く大樹の下で夢を語り合ったものです。
あれから、ずいぶん時が流れました。
私たちが通った学校は閉校になりました。
私たちの学校と私たちの人生の物語を
書き綴っておきたいと思っています。

この次元に存在する間に出会う人は限られております。
できるだけ多くの人たちと夢を語りあいたいと思います。
先日作った名刺に
「夢かたり場〕と刷り入れました。
権力追随、学説踏襲、常識云々…などではなく
自分自身が本当に人間らしく幸せであるような夢を
語り合いたいと思っています。
私たちひとりひとりの人生物語を語り合い、
人生物語が自分らしくあるように行動していきたい
と考えています。