女性上司「○△さんは、長女かな?」
○△ 「……」(言いたくないな…という表情)
女性上司「×●さんが、三女だから…」
×● 「………」(同じく言いたくないという表情)
女性上司「▲×さんは、末っ子だよね。」
▲× 「はい、そうみたい(ウフフフ…得意気)」
ある職場の会話。
職場仲間を若草物語の4人姉妹に例えて言えば…という会話。
この職場は、正規職員がアルバイトを数人使って、仕事をしています。
正規職員は女性上司で、
○△さんも×●さんも▲×さんも、アルバイトです。
少し聞いただけでは、
家族的で微笑ましい会話と思うかもしれません。
けれども、
職場でどうして年齢を話題にされなければならないのか?と
思う人も多いのです。
長女と名指された人は、
「またか、もう止めてほしいよ。
年齢と仕事は関係ないでしょ…」と思いつつも
自分より年下の勝ち誇ったかのような問いに
笑って応対しなければならないのです。
なぜって、
彼女は正規職員で、上司ですから。
ここを止めれば次の仕事場が見つかる保障はないのですから。
そこでの会話は、
女性同士のランク付けをも意味します。
だれそれは若い…
だれだれの家は資産家…
だれがしは未亡人…
その他いろいろ云々…
そこで会話されていうことは、社会での位置づけにより
「自分の立場をわきまえて行動せよ」と暗に意味しています。
「四人姉妹での仲良く、自らの立場をわきまえて仕事せよ…」?
年齢とか社会的立場とかに関係なく私らしく働きたいという欲求は
ここでは、どうも通用しないようです。
上記の会話は、、
パワーハラスメント・エイジハラスメント…?
この世に生まれたとき、
人はAQちゃんとかけがえのない存在として優しく呼びかけられます。
それが、
何年かしてAQちゃんに弟妹が生まれると、AQちゃんはAQちゃんでなくなり
「おねえちゃん、おにいちゃん」と呼ばれて、役割を押し付けられます。
人間が社会的存在である限り、
それは仕方のないことだといいます。
それは生きている限り続く、人間社会のルールだとさえ感じます。
けれども
私は、心の底で感じています。
そういう風に、人間を位置づけ、自らの立場を思い知らせようとするのは
《真に人間らしく生きる》のを阻害します。
出身・性別・年齢・学歴・職業・職場での地位・収入・見た目の美醜…
そんなもので格付けされることはありません。
私たちは誰もが自由で自分らしく生きることができます。
格付け社会の罠から抜け出しましょう。
人間は時として
自らの置かれている境遇で、
人を指導したり裁いたりできると思い込みます。
その反対に、自らを指導されたり裁かれたりされて当然だと思い込みます。
けれども
そんな表面上の立場を曲解してはなりません。
人は人を祀り上げるものでもなく祀り上げられものでもありません。
自分が今置かれている立場がどうあろうと
自らの奥底深くに流れる命を信じることです。
人は誰も自由で命輝く存在です。
誰かが、自由な命の輝きを止めようとするかもしれません。
それでも
命の自由と尊厳を信じて
自らに与えられた命を輝かせましょう。