断薬の「きつさ」ばかりが強調されているので、誤解を解きたいと思います。
断薬はきつい時期もありますがなんとかなります。
職場や周囲の助けがあれば、望ましいですね。
私の場合の体験談です。
○仕事
減薬・断薬の期間中は、いろいろと負担を減らさなければ難しいです。
特に初期の段階は、「休職レベル」に近いです。
最初の2か月ぐらいは、外見は元気ですが脳がおかしいです。
それでも、仕事をしながら何とかなりました。
ダメかなと思えば、少し飲めば良いだけです。(私は焦って少し強引な減薬をしましたが、結果として減るのであれば焦らなくてもいいでしょう。)
(デパスの置換をしていませんが、長期型の薬へ置換をしたほうが楽だった気がします。)
○人間関係
減薬で無理をしている間、人間関係は悪化します。お互いのために(可能ならば)1年くらいは付き合いを減らしたほうが良いです。
大半の人が敵に見える時期がありました。
○医師との関係
医師は、患者が望んだ不幸としたいので、自分の強い意志を伝えるだけです。
元気になってくると・・・色々見えます。
○生活
散歩で良いので運動です。スポーツはとにかく怪我が怖いです。そのため、散歩以外は極力、控えました。
規則正しい睡眠や健康的な食事に努めます。
酒は禁止です。飲むと数日後にひどい症状がきます。1年位は、飲まないほうが良いです。(元々飲まないので・・)
すべての不安定な症状は、離脱症状と考えて、ほぼ、間違いありません。(でも、周囲に言ってはダメです。)
減薬のスケジュールは、医師の相談というより、自分で可能な内容を決めて実行します。
眠れないのは困るので、減薬中でもダメと思えば、悩まずにデパスを半錠、飲みました。
パソコンの画面が大丈夫な時は、youtubeやまとめサイトを見ていました。多数のブログサイトには、助けられました。
アシュトンマニュアルは、否定も肯定もしながら、都合の良い個所だけ、何度か読みました。
基本的にストレスは、離脱症状が悪化します。できるだけ、大人しくしておきました。
○その他(断薬するきっかけ)
私が断薬するきっかけは、調子が悪くなり、薬を増やしても症状がひどくなり最後は歩けなくなったことです。
(デパスの量を増やして、症状が逆に悪化?)
休職中に、本当の治療は、「断薬すること」と理解しました。
○その他 離脱症状の理解と緩和
休職中の勝手な断薬の中でどさくさで薬の数を減らしたことは、良かったです。その時に、強烈な離脱症状を体験したので、
減薬中に出た症状が離脱症状と理解できました。
(頭がまともになってから)
緩和方法は、散歩です。他には、楽しいことをするだけです。私は、サプリや漢方はやっていません。(たぶん、離脱症状と関係ないと思います。)
10か月後に変な症状が来ました。あまりにもきついので、仕事や生活に支障が出たので、デパスを半錠飲んだこともあります。
長時間型が良いと聞くので、メイラックスの半分も使いました。メイラックスは半減期が長いらしく飲んだことへの後悔も長くなりました。
精神的にダメージを受けて、眠れないときは、マイスリーを飲んだこともあります。
面白いことに、どれでも少し飲めば効果があります。体から、ベンゾジアゼンピンが抜けているらしく、効果抜群です。(眠気に注意)
(1度、飲むとしばらく我慢できる状態になります。体内に残るのかもしれません。常用は絶対にしませんでした。)
○状態の記録
現在の離脱の状態をメモしておけば、数か月後に参考になります。
私も「いつまで、この状態が・・・」と思うと、日記(このブログ)を見ます。
間違いなく、以前より良くなっていることが確認できるので、励みになります。
断薬後、1年位です。まだ、症状が残っていますが、飲んでいるときより全然元気です。
飲んでいた時より、マイナスになっている部分はありません。
(仕事は、脳のブレーキが壊れていたので、無茶な量の仕事でも対応できました。)
当面の間、離脱症状と付き合うことになると思います。ただ、本当にきつければ少し飲むだけです。
離脱症状と戦うのが人生ではありません。
~ 6月30日版に誤記修正
~追記
デパスの断薬と一緒に禁煙をしたのは愚かでした。禁煙の初期症状はデパスよりも強烈でした。
両方同時だから、成功できたのかもしれません。