昨日のメモは、この本を読んだことがきっかけで書いたものでした。
「ぼくたちは移行期の地球をサポートするために生まれてきた」 南川ひろこ
私がこの本を購入する後押しとなったレビューの中に
「ここ暫くの間、読んできた様々な本を見事に一つに纏めたものともいえる内容でしたし、また、私自らの体験によって得られたところの真実と思える情報とも合致するものでした。」
という一文があるのですが、私にとってもまさにその通りでした。
それだけでなく、様々な本やいろいろな情報を見聞きするにあたりいつもなんとなく感じていた疑問、腑に落ちない点、言葉では理解できるけど「わかった」という感覚になることがなかなかできなかった点などが、この本を読むことで私のなかで解けていくようでした。
内容は、
「みんななぜこの星(地球)に生まれてきたのか」を
主人公である少年が
自らの内なる領域を通じて
”大いなる自己”からいろいろと教わる
という物語の形式になっています。
教わる過程において、主人公の少年は「なぜ」「どうして」「どうすれば」というようないろいろの疑問にぶつかります。
この「なぜ」「どうして」「どうすれば」はまさに私の疑問でもあり、聞きたいことでもありました。
「人がこの星(地球)に生まれてきたのにはこれこれこういう訳や経緯があるのですよ。」という説明を、読み手である私が受け身一方となって受け取るのではなく、
少年の疑問や不安を通して私自身がぼんやりと感じていた疑問や不安が明確になり、
少年の疑問や不安が解消されるにつれて私のそれもほどけていくという感じ。
その中でも特に印象に残ったのが、昨日のブログに書いた内容でした。
そして他にも、
「愛とは何か」ということ。
「愛に反することは苦しい」ということ。
「それをしている人たちは本当は苦しい」ということ。
「ではなぜそれをしてしまうのか」ということ。
などなど、ハッとする内容がめじろ押しでした。
もちろん、啓示や哲学を含んだ素晴らしい物語は他にもたくさんあります。
ただ、いまの私にはこの本の内容がまさに必要であったものであり、「鍵」のような「スイッチ」のような存在であったようです。
この本を読んだことで、これまでに読んできた本の内容や教えてもらってきたいろいろなどについてさらに理解が深まり、「あああ、そうか。」とまた静かに感動しています。
これまでの出会いにも、この本との出会いにも、すべての奇跡に感謝の思いが浮かびます。(奇跡じゃなくて必然なのだろうけれども)
最近は以前にも増してインターネットやメディア上に「他者を批判(非難)する言葉やエネルギー」が娯楽の一部として溢れているように感じ、それらを見て引っ張られる自分(同じように批判する自分、または批判している人たちのことを批判している自分)のことをつらく、不甲斐なく、無力に感じていました。
そしてこれは、そんな私をそこからシンプルにすくい上げてくれるような本でした。
この星(地球)に生まれてきたからには、不安や恐れ、寂しさや自己否定などを経験するという点についてはみんな同じ。
では、自分や他者の中にあるそれらとどう付き合っていくのか、どう向き合って、どう対応するのか。
すべては自由意志なので、好きにしていい。
好きにしていいのに、好きにしているのに苦しい思いをすることがあるのはなぜなのか。
今後もちょいちょい迷うであろうので、そのとき、きっとこの本はお守りになるなぁと思いました。