この三ヶ月間で、私が小さい頃から可愛がってもらった方がお二人亡くなった。
お一人は、以前日記にも書いたことのあるGおばちゃん。
思い出があるだけ、涙はあふれてくる。
お葬式のお手伝いされていた近所の方に「そんなに泣いていたら、Gおばちゃん安心してあの世に行けんよ。」と言われたり。
式後、「これも洗濯機に入れといて。」と、弟にハンカチを渡したら「(ハンカチが)重いんだけど。」と笑われたりしたなぁ(^-^;)
で、一ヶ月後の8月末に、今度は親戚が亡くなりました。
で、今現在 あまり具合が良くない近しい方が何人かいはります。
度々書いてることですが、私が4歳の時に父が亡くなった為、父方・母方の親戚やGおばちゃん家のようなご近所さんにすごくお世話になりました。
「育ての母」と呼べる人は3人もいます。いてくれてます。
較べられるものじゃないけど、父が生きていたとしても子どもにあれだけの愛情を注ぐことは不可能だと思えるほど、皆さんからよくしてもらいました。
だからこそ お世話になった方が多いほど、辛い別れが多くなる。
当たり前のことなのに、今まであまり考えてなかったなぁ。
『でも、喜怒哀楽の内、いままで沢山の「喜」や「楽」を受け取っておいて、「怒(この場合は「辛」かな。)」と「哀」を受け取らないのは卑怯だよね。』
と、友達にメールしたら「そうだね。全部あってしかるべきものだもんね。」という返信が。
全部あってしかるべきものかぁ。
そうだよね。
「辛さ」「怒り」「悲しさ」」「喜び」や「楽しみ」。 そんな様々な感情を感じながら、愛されたり愛したり。想ったり想われたり。
それが、人同士の当たり前の接し方だもんね。
「喜び」と「楽しみ」だけじゃ片手落ちだしね。卑怯なマネはダメだよね。
すべて味わってしかるべきだよね(^-^)
お一人は、以前日記にも書いたことのあるGおばちゃん。
思い出があるだけ、涙はあふれてくる。
お葬式のお手伝いされていた近所の方に「そんなに泣いていたら、Gおばちゃん安心してあの世に行けんよ。」と言われたり。
式後、「これも洗濯機に入れといて。」と、弟にハンカチを渡したら「(ハンカチが)重いんだけど。」と笑われたりしたなぁ(^-^;)
で、一ヶ月後の8月末に、今度は親戚が亡くなりました。
で、今現在 あまり具合が良くない近しい方が何人かいはります。
度々書いてることですが、私が4歳の時に父が亡くなった為、父方・母方の親戚やGおばちゃん家のようなご近所さんにすごくお世話になりました。
「育ての母」と呼べる人は3人もいます。いてくれてます。
較べられるものじゃないけど、父が生きていたとしても子どもにあれだけの愛情を注ぐことは不可能だと思えるほど、皆さんからよくしてもらいました。
だからこそ お世話になった方が多いほど、辛い別れが多くなる。
当たり前のことなのに、今まであまり考えてなかったなぁ。
『でも、喜怒哀楽の内、いままで沢山の「喜」や「楽」を受け取っておいて、「怒(この場合は「辛」かな。)」と「哀」を受け取らないのは卑怯だよね。』
と、友達にメールしたら「そうだね。全部あってしかるべきものだもんね。」という返信が。
全部あってしかるべきものかぁ。
そうだよね。
「辛さ」「怒り」「悲しさ」」「喜び」や「楽しみ」。 そんな様々な感情を感じながら、愛されたり愛したり。想ったり想われたり。
それが、人同士の当たり前の接し方だもんね。
「喜び」と「楽しみ」だけじゃ片手落ちだしね。卑怯なマネはダメだよね。
すべて味わってしかるべきだよね(^-^)