ほろ酔い日記

 佐佐木幸綱のブログです

読み直し近代短歌史5 「気分」をうたう(今の「われ」を)窪田空穂

2016年04月24日 | 評論
 窪田空穂は、大正9年から戦後間もなくの昭和23年まで、長く早稲田大学文学部の教員をつとめ、日本文学とくに古典和歌についての授業を担当しました。
 その講義をベースにして、空穂には『万葉集評釈』『古今集評釈』『新古今集評釈』という大部な著作があります。万葉集、古今集、新古今集の全作品の評釈をした歌人は窪田空穂だけです。
 窪田空穂はつまり、この稿の3回目にとりあげた佐佐木信綱とともに、近代短歌史に登場する中で、とりわけ古典和歌に造詣の深い歌人でした。

 そんな空穂が、近代短歌史のなかで果たした役割は何だったのか。ここでは「気分」を取り上げたいと思います。「われ」の「今」をどううたうか、という問題です。が、空穂はもう一つ、近代短歌史において重要な発言をしていますので、まずそれについて一言だけ記しておきましょう。
 空穂は「短歌は態度の文芸である」と言っています。この発言も近代短歌史にとって重要な発言です。「態度」とは、人間としての生き方、文芸・短歌に対する対し方、といった基本的な姿勢のことです。
 短歌は歴史的に、天皇、貴族、武士、僧侶といった表だった階層の人々の文芸でした。そういう伝統をもつ短歌は、おのずから態度を重んずる文芸になったわけですね。伝統詩としての短歌を考えようとするとき、これはことさら重要な論点になると思います。

 ここでは、空穂が重視したもう一つのポイント、「気分」をクローズアップしておきたいと思います。空穂は「気分」の表現をだいじにしました。「気分」とは「今」の気持ちです。つねに流動してやまない「心」の「今」の状態です。「気分」に注目することで、動いてやまない「心」の「今」に光があたることになります。この「気分」については、後でくわしくふれることにしましょう。
 やや横道にそれるのを許してください。私の個人的なかかわりについて、少し書かせてもらいます。

 私は、窪田空穂になんどか会っています。会ったというよりは見た、という方が近いかも知れませんが。上野の精養軒で開かれた、空穂の米寿の祝賀会に出席したのをおぼえています。このときは遠くから見た程度でした。
 私は早稲田の大学院で空穂の長男・窪田章一郎先生の研究室のお世話になりました。章一郎先生のお宅が空穂の家とおなじ敷地内にあったので、新年には毎年、空穂のお宅にもご挨拶にうかがいました。
 小柄な方で正月だったからか、いつも着物を着ておられました。90歳近い方とは思えぬ目の輝きが印象的でした。野球の早慶戦の話で盛り上がったりしたこともありました。

 私が大学院に入った年の4月に、空穂は89歳で他界されました。個人的な出来事で、空穂の葬儀がわすれられません。空穂の葬儀のとき、私はながく会いたいと思っていた方にはじめて会ったからです。
 雑司ヶ谷のご自宅でお通夜、葬儀は早稲田大学の大隈講堂で行われました。私は2日つづけてお手伝いにうかがいました.葬儀の日は雨で、私は友人といっしょに傘をあずかる係をしました。その方は2日ともお見えになりました。

 その方とは、俳人の水原秋桜子です。私は秋桜子先生の産科の病院で生まれました。母から秋桜子先生の話を聞いていて、お目にかかりたかったのですがチャンスがなく、一度もお目にかかったことがなかったのです。
 秋桜子先生は、お通夜の日の昼間から空穂宅においでになり、一人縁側にずっと座っておらました。歌人ばかりで親しい知人がおられなかったからでしょう。私はどきどきしながらご挨拶をしました。「その節はお世話になりました」。
 しばらくして、秋桜子先生から自筆の葉書をいただきました。ちょうど刊行中だった『水原秋桜子全集』の「月報」に文章を書くように、とありました。喜んで書かせていただきました。
 
 水原秋桜子は、東大医学部を卒業して間もなくのころ、虚子の「ホトトギス」に投句をはじめますが、並行するかたちで、空穂に短歌を見てもらっていた時期があるのです。俳壇では、秋桜子俳句の叙情性を指摘されることがあります。私が見るところ、「気分」という「今」をうたう空穂の影響だろうと思います。近代短歌史で、俳人の弟子がいたのは、正岡子規と空穂だけだと思います。

 さて、最初に触れた「気分」の問題にもどりましょう。「気分」とは、『日本国語大辞典』によれば、「ある期間持続する比較的弱い感情の状態」のことで、「先天的で持続性の強い感情の状態をいう気質と区別される」とあります。
 厳密に定義しにくいところですが、気質とか信念、信条といった持続的な心の状態ではなく、揺れやすい、変化する、いわば現在進行形の「生(な)まの心」のことだと、私は理解しています。空穂はほかに、「微旨」「心の微動」という言い方もしています。揺れやまぬ今の心。
 古典和歌にその具体例をみることにしましょう。

春雨のそぼふる空のをやみせず落つる涙に花ぞちりける  源重之『新古今集』

 ちょっと分かりにくい歌ですので、空穂の『新古今集評釈』の解釈を参照しましょう。
 「庭の桜が春雨に打たれてしきりに散るのに対し、花を惜しんで涙を落としつつ見ている気分である」。空穂は「気分」をうたったこの歌を高く評価します。「春雨と涙を一体としているのみならず。自身の涙の方に重点を置いたことになり、気分化を濃厚にしているのである。作意は常凡であるが、表現は気分化を主として、手法もそれにふさわしくしている、特色のある歌である」。

 一般論として花が散るのを悲しんでいるのではない。雨中に現に散りつつある花の今を悲しんでいる。個人として、現にその場にいる「今の私の気分」を表現している、そういうニュアンスでしょう。
 「われ」とは何なのか。具体的に定義するのはほとんど困難ですが、空穂は「いま」「そこ」に現に生きつつある一人の流動的な「心のありよう」こそが「われ」なのだ、と考えた。そう理解していいと思います。

 ドラマティックではない「われ」、世界の中心にいるのではない「われ」。その意味で派手さのない、地味な「われ」のとらえ方ではありますが、こうした平凡な「われ」に光を当てたことは、大衆社会へと進んでゆく日本近代史の流れのなかで、重要な短歌表現の方位を示したのでした。

 戦後、空穂の長男の窪田章一郎が「まひる野」という結社雑誌を創刊します。そこで「民衆詩としての短歌」を提唱します。「気分」の表現、「心の微動」の把握を大切に考えた窪田空穂の短歌観がその起点にあったわけですね。

 最後に、空穂の短歌を引用します。とくに、晩年の歌である3首目に注目してください。そこで「消えやすき心の波」と言っているのは、まさに「気分」のことだと私は思います。
 
鉦鳴らし信濃の国を行き行かばありしながらの母見るらむか 『まひる野』
湧きいづる泉の水の盛りあがりくづるとすれやなほ盛りあがる 『泉のほとり』
消えやすき心の波の消えぬ間(ま)と語(ことば)もて追ふこころ凝らして 『去年の雪』


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