☆☆ゆきのおと Yuki's Note ♪☆☆

☆名越(なごや)左源太時敏の玄孫が綴る日々のあれこれや家族の歴史. 
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繋がるものたち

2017-09-14 23:56:40 | 日記
いつもお読み頂きありがとうございます。

この頃、郷土の歴史に関連するいろんな本を読んでいると、それ自体は全く繋がりはないと思っていた書物の中に唐突に別の本のことが書かれていたり、はたまたずっと気になっていたことの答えが随分前に買った本の中にひょこっと書かれていたりする事が続いています。

例えば、ブログを始めた切っ掛けなどを最初の頃に書いたのですが、
2009年2月23日の「ブログに込めた思い ー 2」で「"子孫から"名瀬市に寄贈された」とあるこの子孫とは誰なのか不明のままだったのが、名越護さんの『南島雑話の世界』を念入りにに読み返してみたところ、西宮市の(名越左源太の直系の)子孫の方と鹿児島市の内村八紘さんから奄美博物館に贈られた…とハッキリ書かれていたのです。

なぜこれを見落としていたのかといえば、
頭初は様々な資料・史料に手こずっている中で、関連のあるもの・真っ先に関心のある事柄に気持ちがはやり、飛ばし読み・拾い読みをしていたからなのですね。(汗💦)

なので少しは知識も増えていくらか理解出来てきた今、再度丁寧に読んでみているところなのです。

あと、最近「田代安定」に関して書きましたが、今日落ち着いて「第一章 青年期」を読んだところ、「鹿児島県勧業課陸産係時代の田代安定の動向が記された資料がある」(p.27)として紹介されているのが、随分前(2011年)に出版され、それを新聞の案内で目にした当時に購入していた『児玉宗之丞日記 (上巻) ー明治の生活がよくわかるー 』だったのです!
『児玉宗之丞日記 (上巻) ー明治の生活がよくわかるー 』所崎 平 著

これにはハッとしました!
正直どんな内容だか当時は見当がつかず買うのに随分迷った末、茫洋としながらも、左源太や曽祖父の生きた時代を知る上で何かの参考にはなるだろうと手元に置くことにしたからです。

当の『児玉〜』の本ですが、ところどころ付箋を付けてはいるものの、やはり拾い読み程度で「また後で改めて読もう〜」と今日までほとんどそのままになっていました。
今になって「買っておいてよかった〜♪」と思えたのでした。
資料とはそんなものなのかもしれませんね、もしかしたら。。。(?)

しかし、改めて田代安定という人は凄い方です。
名越護さんのご著書を読まれることをお薦めします!

それと、「田代安定誕生の地碑」の写真が出てきたと前述のブログ記事に追加で貼ってるのですが、名越氏の本の冒頭部分にも同じ様に載っていて、「四方学舎之跡」の石碑の写真と共に場所の紹介もされていました。
☆田代安定誕生の地は旧私立病院の裏手にひっそりと立っています。実際、私も2008年11月15日の「維新のふるさと鹿児島ウォーク」で歩いた際には、他の偉人達とは別の一角に全く唐突に石碑を目にした様に記憶しています。

そして、田代が上京し勤めた内務省の博物局(!!)係の局長というのが、田中芳男でした!
以前書いた通り、初代帝国博物館館長・町田久成の次に2代目館長となった人物でした!
ここでもこんなふうに繋がるなんて…という感じです。


では、今夜はこの辺で。
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