日本語教師ブラジル奮闘記

ブラジル生活裏話

ブラジルと日本の比較

2007年08月16日 09時58分43秒 | ブラジル事情
 今日はブラジル人の価値観を日本人の価値観と比較しながら紹介したい。

 ブラジル人は過去や未来について深く考えない。基本的には今のことしか考えない。明日の食事の心配より、今日の食事が食べられればそれでいいのだ。つまり、今が楽しければいいという発想である。だから、将来の家計危機に備えて貯金したりするということはしない。どちらかと言うと、何でも分割払いにして、借金して商品を買って、もし自分が死んだら借金を払わなくてもいいから、得したという感覚を持っている。

 何か困ったら、必ず誰かに助けてもらえると信じている。親戚に頼ったり、友達に頼ったりする。そして、頼られたほうは無下にそのお願いを断れない。なぜなら、その人との人間関係を壊したりするからである。この考え方は特に下層階級に顕著である。いい意味で言えば、お互い助け合いの社会であり、悪い意味で言えば、お互い利用し合いの社会である。

 家族の中で1人でも成功者が出ると、その周りに遠い親戚がたかってくる。スラム街出身のサッカー選手のロマーリオがプロとして成功してから親戚の数が増えたと言うのは有名な話である。とにかくみんなたかるのである。

 また、ブラジル人女性もお金目当てで結婚する人が多い。ローリングストーンズのボーカルのミック・ジャガーの恋人となったブラジル人モデルは子供を身ごもり、それを武器に養育料をせしめ、今はブラジルのテレビで司会者をして成り上がっている。

 ブラジル人は裁判が好きである。労働裁判、離婚裁判。ブラジルでは法律上労働者が必要以上に保護されているため、従業員が労働裁判を起こすと大抵の場合雇用主が敗訴する。だから、従業員は何かあったらすぐ裁判を起こすため、雇用者のほうは気がきではない。今日の友は明日の敵なのだから。

 この労働裁判も今のお金のことしか考えない短絡的な発想から来ている。同じ仕事を長く続けて給料をもらい続けるよりは、裁判で勝って多少まとまったお金を一度にもらって、後は野となれ山となれ。別にそれで社会的信用を落とすわけでもなく、何もなかったかのように新しい仕事を探すわけだ。多分日本人には絶対に理解できない発想である。

 国民がこの発想なのだから、当然政治家も同じである。90年代前半汚職により弾劾裁判で職を追われた大統領は、去年州知事として政界に戻ってきて再選を果たしたのである。日本だったら絶対に起こりえないことだ。人生は何度でもやり直せるという発想である。

 他人は利用するために存在する。自分にとって不必要なものは捨てる。我慢して仕事したり、結婚を続けたりはしない。常にその時々で自分の利益にかなうものかを判断し、自分に正直に行動する。良く言えば、人間らしいと思う。でも、悪く言えば、自己中心的であり、モラルがない。

 日本人は義理と人情の世界である。もらった恩は返す。会社には尽くす。嫌な仕事でもなるべく我慢して続ける。うるさい嫁でも我慢する。自分に利益にかなわなくても、自己の犠牲を払ってでも頑張る。

 日本人は自分の気持ちに正直ではなく、人間的ではないとも言える。また、自己の感情をはっきり表に出さないので、ブラジル人から見たら何を考えているか分からない。そして、なぜ自分の利益にならない自己犠牲を好むのかが理解できないのである。

 一言で言えば、価値観・文化観の違い。お互いの国民がこの溝を埋めるのは本当に難しいと思う。ただ、「郷に入れば郷に従え」。日本に住むブラジル人は日本文化に溶け込むべきで、ブラジルに住む日本人はブラジル文化を受け入れるしかないのである。

ブラジル人の考え方は基本的に楽観主義である。何とかなるといつも思っている。だから、お金がないから死のうとかいう発想にはならない。日本人は何でも真剣に考え、仕事において責任を感じたりすると、自殺したりする。日本人の自殺率は世界でも随一だが、ブラジルの自殺率は世界でも下から数えたほうが早い。まあ、自殺しなくても、殺人が多いから死んでいる人の数だけ比較すると同じだと思う。

何事も時間通りにきっちりいくが、融通が利かず、悪く言えば人に冷たい機械的な国の日本。何事も思ったとおりに物事が運ばないが、お金さえ出せばうまくいったりし、協力さえしていればあたたかく迎えてくれる国のブラジル。全く対照的である。

僕の意見では、ブラジル人が日本に適応するほうが日本人がブラジルに適応するより大変だと思うが、どうだろうか?

9年半ブラジルに滞在した末の結論。世界において絶対的にいい国というものは存在しない。それぞれ一長一短ある。要はその国がその人にあっているかどうかの問題だと言うことだと思う。

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4 コメント

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Unknown (YT)
2008-01-22 09:25:59
すうううううううううっごくこの記事のことよくわかります。ブラジル人と3年付きあってますが、
私はすごく日本人らしい性格で彼はすごくブラジル人らしい性格です。だから大喧嘩ばかりしてますけど、
いつの間にか・・というか次の日には喧嘩したこと忘れて普通にまた会いますね。。
本当にその通りですね。すべてにおいて、深く納得しながらこの記事を読みました。ここに書いてあることは私があったケースばかりでビックリしています!!!
私はある程度ブラジル人の利用する性格とか理解してますけど、私の親はブラジル人の性格が理解できなさすぎて・・ビビッてます。
YTさんへ (たけちん)
2008-01-22 13:52:19
 水に流せる性格であれば、本人同士は大丈夫。ただ、それを親に強要する事はできません。

 恐らくそれは同じ国民同士でもそうでしょう。ただ、そのギャップが国民性に基づいたものではないため、ギャップが小さいのと共有できる部分が多いということでしょうか。

 人は変えられません。自分が受け入れる、受け入れられるようになるというのが一番の近道かと思います。

 受け入れるというのは相手の考えを正しいと認める事ではありません。そういう考え方もあるという事実を受け入れるということです。
Unknown (なな)
2013-01-21 09:45:12
はじめまして。興味深く拝読いたしております。
両親日本人のブラジル人の友人がいますが、ある面、古風な日本人気質を持っているのに、他方では理解不能なことが多かったのですが、この両極端な面を持っていることが理由なのでしょう。
日本語ができても、社員になりたくても、ハローワーク行かずに派遣会社紹介に頼る。。。これも解りませんでしたが、「親戚・友人に頼る」という感覚なので、口コミで行動するからなのでしょうね。
「利用している」という感覚も皆無だし、利用されていると感じた日本人が壁を作れば「日本人は冷たい」
人は皆同じではないけれど、やはり国民性と言うものは存在しているのですね。
しかし、まだ理解できないことがあります。ブラジル人は、掃除になんでもかんでもハイターを使うのはなぜでしょうか?

お返事 (たけちん)
2013-01-21 19:44:22
コメントありがとうございます。
お知り合いのブラジル人が大雑把だけのような気がします。

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