日本語教師ブラジル奮闘記

ブラジル生活裏話

年齢とともに役割を変えていく生き方

2010年08月09日 15時43分30秒 | ブラジル事情

 サンパウロでは、僕がブラジルに初めて来た時の最初の生徒に会った。

 27歳。ソフトウェア会社で企業向けにシステムを開発している。僕が初めて彼と知り合った頃は、14、15歳だったのだから、時間の経過とは恐ろしいものである。

 彼はサンパウロ州の地方都市にある連邦大学を卒業し、地元のソフトウェア会社にしばらく勤務していたが、そこの顧客であったサンパウロ市にある会社にスカウトされた。現在の会社に移って1年半ほどだそうで、彼の月給は2倍以上に跳ね上がったと言う。何とも羨ましい話である。

 そんな彼が将来はサンパウロ市内で洒落たコーヒーショップを開き、経営者として優雅な生活を送りたいと語ったのには、正直驚いた。システムエンジニアは日々新しい技術や言語を覚えなければならず、現在は何とかついていっているが、35歳、40歳になった時にこの仕事ができるとは思えないそうなのだ。

 僕も実は1度日本でソフトウェア会社に就職し、自分の才能のなさから辞めた経験があるので分かるが、あの当時からシステムエンジニア35歳限界説はささやかれていた。そして、そういった人が会社で生き残るには、中間管理職になるしかないと言う。

 つい最近まで、日本は年功序列型の賃金体系で、1度会社に就職してしまえば、給料は徐々に増え、よっぽどヘマをしない限り、退職まで何とか会社にしがみついて生きていけた。でも、現在はそのような義理・人情の雇用関係はなくなりつつある。

 能力・成果主義が採用され、給料だけが高くて、対費用効果の低い年齢の高い職員はリストラの第1の対象となっている。Jリーグやプロ野球でも、過去の優秀な成績から高給取りとなっているが、成績を上げていない選手は真っ先に解雇されてしまうのである。

 サラリーマンも全く同じである。もちろん、入社して2,3年の新入社員の給料が安いことは当然だが、普通は経験年数に従って給料は上昇していく。ただ、ある特定の仕事に限れば、3,4年も同じ仕事をやれば、それ以上同じ人が熟達することはない。つまり、経験年数が増えるからと言って、給料が増える理由にはならない。

 だからこそ、会社は社員の配属先を何年かごとに変えたりして、社員のやる気を維持させるとともに、ジェネラリストを養成する。また、中間管理職としてのポストを用意して、給料が増えるための「言い訳」を作ったりして、会社全体の活性化を図る。

 僕は年功序列制度とは全く無縁のシステムの中で生きている。同じ場所で長いこと働いているが、給料は全く上がらない。でも、働かなければ、当然のことながらお金はもらえない。働いた分だけ、給料がもらえる歩合制である。

 つまり、フリーターなのである。バイトをいくつも掛け持ちしているフリーター。

 この生き方は、ある意味楽である。辞めたい時に辞められるし、責任もあまりないからだが、給料は時給で、失業保険や福利厚生など、保証は何もない。

 ただ、究極的なことを言えば、すべての人の人生に保証なんてない。それはもちろん一流会社の社員であろうが、公務員であろうが、人生に絶対なんてない。

 「さんまのまんま」を見ていたら、B21スペシャルのヒロミが出演していた。彼は若いうちから芸能界で成功し、レギュラー番組を何本も持っていたが、知らないうちにすべての番組が打ち切りとなったそうだ。

 そして、司会として仕切っていた経歴から、ゲストとしてテレビ番組に出演することに気恥ずかしさを感じて、芸能界から離れて行った。でも、突然暇になってもやることがない。そこで趣味のトライアストンをきっかけに事業を始めたら、それが成功しているという。

 僕も日本語教師などと言う商売をしているが、いつまでこの職業で食べていけるかは分からない。27歳の元生徒やヒロミなどを見習い、何か好きな業種を見つけて、転身するのも1つの方法かもしれない。

 1つの事をやり続ける人生も美しいけど、新たなものを見つけて挑戦する人生もありだと思う。

  

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