湯原修一の歓喜悦慶と聊かの慷慨憂愁, etc.

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◇ 宮本武蔵が「五輪書」を著したと云われている洞窟「霊厳洞」

2015年11月08日 17時10分50秒 | 日常・その他
先月下旬に2年半ぶりの再会をした遠来の友と一緒に
「霊厳洞(レイガンドウ)」へ行ったときの写真です。

  霊厳洞は、晩年を熊本で過ごした剣聖「宮本武蔵」が籠って
  兵法書「五輪書(ゴリンノショ)」を著したところと云われています。
  霊厳洞は「雲厳禅寺(ウンガンゼンジ)」の奥の院にあたり、
  本堂から「五百羅漢」が安置されている岩肌に沿った木陰の細道を100m以上いったところに
  小さくヒッソリと隠れています。
  熊本市街地からみて「金峰山(キンボウザン)_標高665m」(頂上にテレビ塔が林立)の
  裏側になり、私の家から車で約30分のところです。 

雲厳禅寺の入り口

   ※中央付近に見える竹林・杉木立を過ぎていったところに霊厳洞があります。

観覧料200円/人を払って中に入りました。

岩肌に五百羅漢(*)が安置されています。

   ※ここに500体の羅漢像があるかどうか知りません。

   * : 「五百羅漢」とは
      ブッダ入滅後に開かれた「仏典編纂会議」に集った500名の人々(阿羅漢)を指すそうで、
      日本では禅宗で五百羅漢が崇拝されているそうです。

安置されているといっても経年劣化が激しいため(人為的なものもある(?))、
首がなかったりヒビが入った羅漢さんが多数あります。


五百羅漢は様々な表情を見せており、
「自分に似た顔が必ず一体はある」と云われています。


細い道を100m余り進むと霊厳洞の下に出ます。


   ※急な階段を登った先にある奥まったところが霊厳洞です。
     城下から遠いこんな寂しい所に独り籠って五輪書を "書いたこと" になっています。

霊厳洞内には「岩戸観音(イワトカンノン)」の名で知られる観音像が安置されています。
石体四面の観音像で、平安朝の歌人檜垣(ヒガキ)さんが参拝したことでも知られ、
家内安全・商売繁盛などを願う参詣者が全国各地から訪れているそうです。

現代に建てられた石柱の側面に「熊本県知事 細川護煕」と彫られています。
元内閣総理大臣の細川護煕(ホソカワモリヒロ)さんの揮毫です。
宮本武蔵さんは1640年(寛永17年)に熊本城主「細川忠利」の客分として肥後に移り住まれています。
細川家第18代当主にあたる細川護煕さんは細川忠利さんの末裔であり、因縁を感じます。 

近くに「二天一流」の由来が記された石碑も建っています。



   五輪書は、執筆途中で武蔵さんが亡くなったため未完成の原稿のまま残されたもの
   (草稿)だそうです。
   また、 "五輪書" と一般的に呼ばれるようになったのは明治以降のことだそうで、
   それ以前は「五巻の書」、「兵書五巻」、「地水火風空の五巻」あるいは「兵法得道書」
   などと、さまざまな名前で呼ばれていたそうです。
   ちなみに原本は残っていないとのこと。



   私は五輪書の内容を詳しくは知りませんが、
   奥義秘伝書とは違い初心者にも理解できる普遍的な兵法書といわれており、
   凡人の私でもフムフムと頷けるところがあるようです。

     他流批判の内容が書かれた「風之巻」の中に、次のような文があります。

       兵法のはやきと云所 実の道にあらず
       はやきといふ事は
       物毎のひやうしの間にあはざるによつて
       はやき遅きと云こころ也
       其道上手になりては
       はやく見ヘざるもの也


         私なりに此れを少し不真面目な話に例えていえば、         

          「初めてのデートの日に彼女を押し倒す」
            それは間に合わない(拍子に早すぎる(手が早すぎる))。
          「付き合い始めて1年が経過しても彼女の手すら握ったことがない」
            それも間に合わない(拍子に遅れている)。
          「いつの間にか愛しい彼女に子供ができていた」
            というのが上手の振る舞いである。

          何でも速ければ良いというものではなく、
          キュウリを輪切りにする速さで肉をスライスしようとするのは
          下手のやることだ。

         とでもいうことになり、

          上手は「如何に間に合わせるか(拍子に合わせるか)」ということに
          注力しており、そもそも「早い・速い」などという概念を持っていない。

                       といったところを教示したかったようです。